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異世界恋愛短編

声を愛された令嬢は

作者: 牧村 咲希

アニメイトブックフェア2022 『耳で聴きたい物語』コンテスト ノミネート作品

 外国留学から予定より早く帰国したワンダ・ジェネヴィーヴ・レッドメインは、受け入れがたい現実を目の当たりにして、両目をひん剥いていた。

 幼馴染みであるエリック・トラヴィス・タッチェルの隣に並ぶ婚約者令嬢が、あまりにちんちくりんだったからだ。


 背が低く、子供っぽい体型。赤味がかった茶髪はくりくりと強いカールがかかっていて、上品ではない。ダークブラウンの瞳は地味で、顔立ちも平々凡々。

 どこが良くてこの女を選んだのだと、ワンダは3年ぶりに再会した幼馴染みに訝しい視線を向けた。


 エリックは王族と血縁関係にある公爵家の嫡男だ。白金髪プラチナブロンドに蒼い瞳、その美貌ゆえに近寄りがたく神経質そうに見えるが、話してみると気さくだ。

 母親同士が友人――というか主従的な関係にあったため、ワンダは子供時代からエリックと交流があり、密かに恋心を抱いていた。


 しかし所詮、叶わぬ恋だと諦めていた。何しろエリックは公爵家の嫡男で、ワンダは格下の子爵令嬢。いずれエリックは王族か、対等以上の地位の令嬢を娶るに決まっている。そう諦めていた。


(――そう、だからこのちんちくりんがそういう身分なら完全に納得できるわ。地位が物を言う世の中なのだから、仕方がないと)


 しかしこのちんちくりん、ことセルマ・ルシンダ・アーチボルドは、ワンダの家よりも階級が劣る男爵家の娘だというではないか。


(何で、この子なのよ! これなら私でも良かったんじゃないの!?)



「ワンダ嬢、どうかなさいましたか? お顔の色が優れないようですが……」


 子犬のような愛嬌で見上げてくるセルマを睨み付け、ワンダはふいと顔をそむけた。


「ええ、少し悪酔いしたみたいですわ。テラスで夜風に当たって参ります、失礼」




「ワンダ、大丈夫かい?」


 酔いざましの水に口づけながらテラスの風に当たっているワンダの様子を見に来たのは、エリックだった。

 セルマとの婚約発表をしたばかりの彼は、夜会の主催者を始め色々な人物から祝福を受けることに忙しく、会の終盤になってようやくそれらから解放されたところだ。


「留学中の話をゆっくり聞きたかったんだけど、また別の機会で。そうそう、僕たちの結婚式の招待状見てくれた? 君はまだもう1年メイシャルに留学するものだと思っていたから、急な帰国に慌てたよ」


 どうせなら入籍も結婚式も何もかも終わった後で知りたかった。誰が好き好んで、想いを寄せている相手の結婚式に出たいというのか。


「――あの、聞いても良いでしょうか?」


 ワンダは意を決して口を開いた。無礼は百も承知だが、悪酔いと失恋の痛手が背中を押した。


「どうして彼女なんですか? 身分差を乗り越えて婚約するほど、彼女のどこに魅力をお感じに? こう言っては何ですが、容姿もこれといって……」


 そこまで口にしてしまってから、はっと口をつぐんだ。さすがに正直に言いすぎた。

 エリックは静かに笑った。


「さすが君、歯に衣着せぬ物言いだ。陰でコソコソ言われるよりも爽快だ。そうだねえ、セルマの魅力は沢山あって伝え切れないし、理解されにくいかもしれない。けどまあ強いて一つ挙げるなら、声かな」


「声?」


 意外な答えにワンダは面食らった。


「彼女の声がお好きだと?」


「うん。すごく好きなんだ。可愛らしくて透明感があって、少し掠れていて色っぽくて、儚げなのに凛としてる。甘さと強さを兼ね備えた、唯一無二の声だ。ずっと耳元で聴いていたい。それが出来るなら僕は一生幸せだろうなと予感した」


 まさに幸せ一杯という顔をして語るエリックにワンダは頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。

 打ちのめされて絶句し、それからセルマの声を思い出そうと脳みそをフル回転させた。今日初めて会い、二三言しか会話をしていない。声などほとんど印象に残っていない。これほど絶賛される声なら、忘れるはずがないのに。


「あ、今日のような余所行きの声とはまた違うんだ。対外的に取り繕ってるけど、2人だけのときは飾らない声を聞かせてくれる。その声が好きなんだ」


 友人に呼ばれ、テラスを去って行ったエリックの背中を見送ったワンダは、やはりどうにも納得がいかない気持ちを募らせた。

 子爵家へ戻ってからも悶々とし、自室で考えあぐねた。


(声……声ですって? エリックと2人きりの時だけ出す声。普段と使い分けをしている特殊な声……)


 はっとした。それはもしかして昔話で聞いたことのある『魅了』という魔術なのではないか?

 昔々とある国では、特殊な声を用いて国王を意のままに操り、傾国させた魔女がいたと聞く。

 そのため王族や貴族の間では、魅了よけとして知られる魔石を身に付ける風習が根付いた。ワンダも赤ちゃんの頃から身に付けているし、エリックも当然身に付けているはずだ。

 しかしもしも、それがセルマの誘導によって外されていたら? 魅了よけの魔石を外させた上で、特殊な声でエリックを洗脳していたとしたら――……

 それなら合点が行く。あの身分も容姿も完璧なエリックが、あの身分も容姿もワンダよりも格段に劣るちんちくりんと婚約した理由が。洗脳だったのだ!


 何て恐ろしい、こうしてはいられない。明日朝一でタッチェル公爵家へ馬車を向かわせ、真実を伝えなくては。

 エリックはあの様子ではすっかり洗脳され済みだ。場合によっては公爵か夫人へ陳情――直接は無理としても、手紙を渡すくらいは出来るだろう。

 興奮しきったワンダは深夜に勢いよく手紙を書き上げ、翌朝公爵家へ向かった。


 約束を取り付けずにいきなり訪問してきたワンダに困惑したタッチェル公爵家だったが、エリックは快く面会に応じた。

 応接間に通されたワンダは、エリックにセルマの声の件について懸念を訴えたが、一笑に付された。


「笑いごとじゃありません。私は貴方のことを真剣に心配してるんですよ」


「ああ、ごめん。あまりに斜め上のご忠言で。心配ないよ。魅了よけの魔石はほらこの通り、ずっと着けているし。セルマの声の虜になっている自覚はあるが、問題ない。愛しい人を愛しく思うのは、ごく自然なことだからね」


 柔らかい口調で言い含めた後、エリックは顔つきを険しくした。


「だからこれ以上、僕の最愛の人を侮辱しないでくれ。いくら昔馴染みの君でも、これ以上の無礼は許さない」



 その数日後、タッチェル公爵宛に届いたワンダからの手紙を目にしたエリックは呆れ、この一件を笑い話としてセルマへ伝えた。


「僕があまりに君の声に心酔しているものだから、魅了などと騒ぎ立てて参ったよ。ワンダは留学先で随分ストレスを溜めこんでいたそうだから、発散の矛先にされてしまったのかな。僕たちがあまりに幸せそうにしているから」


 それを聞いたセルマは、あまり良い顔をしなかった。


「私が察するに、彼女は貴方のことが好きなんじゃないかしら? 敵意のこもった目で睨まれたもの。本当にただの幼馴染み? もしかして昔、恋人だったことがある?」


「ないよ、ただの幼馴染みさ。彼女の母親、レッドメイン子爵夫人は、僕の母と古くからの友人でね。僕は母の取り巻き夫人連中が苦手でね、母親そっくりのワンダのことも得意じゃない」


「そうなの? すごく美人なのに」


「あの手の美人は苦手なんだよ。自意識過剰ですぐに臨戦態勢、自分より上の人間には卑屈な態度を取るのに、下だと見ると強気になる。プライドとコンプレックスの塊で出来てる」


「相変わらずの毒舌ね。内心ではそう思いながら、表では良い顔をして。どうせニコニコ微笑みながら、そのコンプレックスを煽りに煽ったんでしょう。私を出しにして。性格悪いったらないわ」


「良いね、もっと言って。天使のような声で辛辣に罵られるとたまらない。セルマ、君の声が本当に好きだ。甘くて色っぽくて、澄んでいて、耳触りがいい。僕の名を呼んで、愛していると言って」


 小さな手を取り懇願すると、セルマは「エリック」ととびきり良い声で呼びかけた。しかし、続く言葉は「愛している」ではなかった。


「声ばかり褒められて、複雑な気持ちよ。私は声だけなの? 声が好きって言ってくれるのは勿論嬉しいけれど、それしか取り柄がないみたいじゃない。大体婚約者の好きなところを訊かれて、一番に挙げるのが声ってどうなの」


 むくれるセルマに、エリックは慌てた。


「いや、勿論他にも沢山ある。セルマの好きなところは全部だ。特に声が好きだってだけで」


「じゃあ私が喋らなくても好き?」


「え?」


「本当に声だけじゃなくて、他も好きだって証明してみせて。当分の間、私一言も話さないことにするわ。それでも私を好きかどうか、知りたいの」


 面倒なことを言い出したなとエリックは思った。だが、少女らしい可愛らしい提案だ。単純なゲームに付き合うのも面白かろう。どうせ喋りたくなって、うずうずしてギブアップするのはセルマの方だ。うっかり喋らせてやろう。

 そう思ったエリックだったが、この日のデートの最中、セルマは一言も口をきかなかった。会話は筆談とジェスチャーでなされ、その徹底ぶりに舌を巻いた。


 喋らないやり取りは新鮮で楽しく、無言の彼女も可愛いと感じた。

 しかしまさか日を改めて会った日にも、まだそのゲームを続けているとは思わなかった。

 流石にしつこいな、意地を張っていつまで無言を貫くつもりなのかと眉をひそめたとき、耳を疑うような訃報が飛び込んできた。


 ワンダ・ジェネヴィーヴ・レッドメインの急逝だ。自室で自らの喉をナイフで切り裂き自決したとのこと。


「嘘だろ、まさか……彼女がどうして……」


 青ざめるエリックの隣で、セルマも顔色をなくしていた。その薄い肩を引き寄せた。


「よほどストレスが溜まっていたんだろう……ノイローゼだったのかもしれないな。辛いことだが、僕たちに責任はない。冥福を祈ろう」


 セルマは物言いたげにエリックを見たが、何一つ言葉を返さなかった。


「セルマ、こんなときにくだらないゲームをしてる場合じゃないだろ。いい加減、何か喋ってくれ」


 セルマは口を開いて、酸素を欲する金魚のごとくパクパクと口を動かした。喉に手をやり必死で喋ろうとするが、全く声が出ない。


「だからふざけるなって。セルマ、なあセルマ、おい嘘だろ……まさか、本当に喋れないのか……?」


 その後医者の診察で、セルマは失声症と診断された。肉体的な原因はないが、心理的要因で声が出せなくなったとの見立てだった。

 その要因は、ワンダの自殺だと推測された。エリックの前では自らの意思で無言を通していたセルマだが、それ以外の場では普通に声を発していた。それが全く話せなくなってしまったのは、ワンダの自殺を知った時からだ。よほどショックを受けたのだろうと、皆がセルマに同情した。


 しかしそのことが大きく噂になる頃には、こんな風に言われるようになっていた。


「セルマ嬢の声を奪ったのは、ワンダ嬢の呪いだ」と。

 格下の冴えない男爵令嬢が、ワンダの長年の初恋相手を奪った。

 嫉妬に狂ったワンダ嬢が、自身の死をもって強力な呪いを発動させたのだと。喉をナイフで切り裂くというショッキングな自殺手段も注目され、噂はまことしやかに囁かれ広まった。


 それは当然、タッチェル公爵家の耳にも入った。喋ることの出来なくなったセルマをこのまま嫁に取るか、婚約を破棄するかで家族会議が開かれた。


「喋れないといっても身体に問題はなく、一時的なものです。ショックが癒えれば話せるようになる。僕は献身的にセルマを支えるつもりです」


「しかし、治る保証はないと医者が言っている。心理的な問題は難しいそうだ」


「それにレッドメイン子爵令嬢の呪いだと噂されているじゃないの。とんだ醜聞だわ」


「姉上、お言葉ですが、そのような噂を信じて、婚約者が困難を背負った途端に見捨てるようでは、それこそ我がタッチェル家の醜聞では」


「ではこのまま婚約を維持して、予定どおり結婚するというの? 公爵家の奥方が喋ることが出来ないで、社交をどうするつもり? 大体あの男爵令嬢の取り柄って、物怖じせずによく喋り、口が立つってところくらいでしょ。話せなくてどうするのよ」


「どうとでもなりますよ。話せなくても意思表示は出来ますし、僕がフォローします。それにセルマの取り柄は、喋ることだけじゃない。彼女の側にいるために僕はもっと努力しなくてはと、そう思わせてくれるんですよ彼女は」


 エリックの強い決意に打たれ、セルマとの婚約は維持され、半年後に2人は晴れて夫婦となった。

 永遠に夫を愛すると声に出さずに誓い、宣誓書に署名をしたセルマだったが、内心は不安でいっぱいだった。


 声の出せない自分をエリックは本当に愛し続けてくれるのだろうか?

 大好きだと褒め称えてくれた声を失い、エリックを喜ばせる言葉をもう吐けない。


 これは何の罰なのか。本当に呪いなのか。ワンダ嬢に勝ち誇った罰だろうか。声しか愛していないのねと、エリックに不満を抱いた罰か。

 当たり前のように話せて、良い声だねと当たり前のように褒められる。それを当然に思っていた、傲慢さへの戒めか。


 許されるならば謙虚に生きようとセルマは胸に誓った。自分が失ったのは声だけだ。五体満足で健康体、ありがたいことだ。

 エリックや公爵家のお荷物になるのでは駄目だ。夫のためにタッチェル家のために精一杯尽くそう。

 そう決心したセルマを待ち受けていた新生活は、張り合いがあったが、苦難も絶えなかった。喋れないセルマに対する、社交界での嫌がらせや蔑み。

 貴族の中では身分の低い男爵家の娘ゆえ、これまでもその手の嫌がらせは散々受けてきた。しかしこれまでのセルマなら、それに応酬する話術を持ち合わせていた。


 貴族間の応戦は大抵「言葉の殴り合い」だ。暴力沙汰は刑事罰になるが、上品な言葉遊びに見立てた暴力は日常茶飯事だ。その世界に於いて、セルマは無敵だった。

 元々語学や文学が好きで、古代語の格言や哲学書の名言、神話や古典小説の文章を丸暗記していたセルマは、その豊富な語彙力と知識量から、様々な揶揄を繰り出せた。

 セルマとやり合うと、知識の浅い者はそれを晒してしまうことになる。すらすらと言葉のパンチを繰り出し、優雅に相手をやり込めるセルマの話術は有名で、エリックの姉に「口が達者なことだけが取り柄」と言われるだけのことはあったのだ。


 そのセルマが声を失った。言うなれば、猛獣が牙を失ったようなものだ。過去にセルマにやり込められた者たちは、仕返しの好機がやって来たとばかりに舌なめずりし、社交場に現れたセルマを口撃した。


 筆談で会話することは出来たが、言葉の殴り合いとは文字では成立しない。言葉を発するタイミング、間の取り方、語気の調子や声の高低、息遣い。それらの全てを乗せて、音として耳から脳へ撃ち込む。そうでなければ威力は半減、いやもっと低くなる。

 そう分かっているセルマは、筆談で言い返したり誰かを攻撃することはなかった。そもそも文字として残せば、後々厄介事になる。

 言葉の応酬とは、生物なまものだ。その場そのときの雰囲気、その顔ぶれであったからこそ成立したやり取りは、時が経てば陳腐になるばかりだ。


 そうしてセルマは社交界の陰湿な嫌がらせに耐え、公爵家の若奥様として毅然と立ち居振る舞った。言葉にしなくても態度で認められるようにと行動に気を付けた。


(これも、これまでの私の言動を省みる良い機会だわ。相手を言い負かす、言葉でやり込めることで優越感を得ていたけれど、上手く話せない人の気持ちが話せなくなって分かったわ。もどかしくて悔しい、でもぐっと言葉を呑むしかない……)


 もし神様の許しを得て罰が終わり、再び声を発することが出来るなら、そのときは絶対に綺麗な言葉を話そう。恨み辛みではなく、愛を。


『僕の名を呼んで、愛していると言って』


(ああエリック。そんな簡単な願いさえ、今の私には叶えることが出来ない――……)




 それから1年後、エリックは信じられない雄叫びを聞くこととなった。

 猛獣の唸り声のような野太い声が響いてきたかと思うと、ばんっと勢いよく助産婦が部屋から出てきた。


「若旦那様っ、男の子ですよ! 元気な産声で」

「いっ、今の猛獣の咆哮のようなのが産声か!?」

「嫌ですわ、それは奥様の――えっ、セルマ様の!?」


 2人で驚き顔を突き合わせ、慌てて産室へ入った。湯浴みされている赤子の近くで、ぐったりしてるセルマがいた。


「エリック。赤ちゃんよ、私たちの。見て、こんなに小さくて可愛い……良かった、私、生きてて良かっ……」


 最後は掠れて声にならなかった。感極まり、溢れ出る涙で視界がぼやけて滲んだ。

 エリックはベッド脇に跪いてセルマの両手を取り、うんうんと何度も深く頷いた。



「――――エリック、愛しているわ」




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