51.約束のお茶会②
「!」
ティーカップに口をつける寸前でよかった。あぶなく咽せるところだった私は、呼吸を整えてから紅茶を一口飲み直すと、できる限り穏やかに微笑む。
「スティナという街の噂はお聞きしたことがあります。ぜひ一度は行ってみたい場所です」
「ふふふっ。いつでもうちの別邸を貸すわよ?」
「⁉︎ あの、それは結構です……!」
王家のお城を貸してくださるというありえない気遣いを慌てて辞退すると、リズさんはひときわ優しく微笑んだ。
「フィーネさんって本当に面白いわね。普段はこんなにかわいらしいお嬢さんなのに、とても素晴らしい錬金術を扱うんですもの」
「認識阻害ポーションをお褒めいただけて……とてもうれしく、」
「それだけじゃないでしょう? 特効薬もフィーネさんが生成しているのよね?」
「! あの」
やっぱりばれていた。予想はしていたけれど、まさかこんなにストレートに聞かれるとは思っていなくて目が泳いでしまう。
あの日、ミア様がシナモンロールを一気に食べて倒れたあと、クライド様が急いでお医者様を呼んできてくださった。
そのときには、もうミア様はすっかりピンピンしていらっしゃったのだけれど、特効薬と呼ばれる特別なポーションを飲んだことが王宮のお医者様の知るところとなってしまったのだ。
もちろん、レイナルド様のアトリエにはどんな高級な素材やポーションがあってもおかしくない。
けれど、それがリズさんの耳に入ってしまったら、誰が生成したものなのかはもうごまかせなかった。
「前からわかっていたのよ? 鑑定スキルを使えば、認識阻害ポーションと特効薬の生成者が同じことぐらいすぐに理解していたわ。あなたが内緒にしたそうだったから黙っていたけれどね」
「……秘密にしてくださっていたこと、感謝申し上げます」
頭を下げた私に、リズさんはふふっと笑って続ける。
「――そういえばね、この冬スティナの湖で溺れた男の子がいたんですって。その男の子を救ったのは『特効薬』だったそうよ」
「!」
「レイナルドは特効薬が使われたことを私が知らせる前に知っていたみたい。『湖に落ちた子どもは運がよかったですね』なんて取り繕っていたけれど、私にはお見通しよ。だって、かわいい息子だもの。しかも、結局レイナルドの提案で特効薬が使われたことは箝口令が敷かれることになったしねえ」
「あの、それは……?」
知らなかった情報に私は目を瞬く。そんなの聞いていなかった。あたり前に、レイナルド様は特効薬と呼ばれる上級ポーションの生成者が私だと知っている。
それなのに、スティナの街でその特効薬が使われたことを知りながら、レイナルド様が箝口令を敷いてまで隠すのはどうして。それを私に知らせないのはどうして。
この冬、レイナルド様とのやり取りの間に感じた違和感の欠片がカチリと嵌る。
理由は一つしかない。
――レイナルド様は『フィーネ』が『フィオナ』だとご存じなのだ。
愕然として動けない私に、リズさんはふうと息を吐いた。
「あの子は……何を守りたいのかしら」
「!」
「私、秘密って大好きなの。――フィーネさん。あなたの秘密はこれだけなのかしら?」
意味を把握すると同時に、全身がこわばったのがわかる。
リズさんもレイナルド様と同じように私が『フィオナ・アナスタシア・スウィントン』だったことに気づいたのだ。
――どうしよう。
「私、」
「あら、びっくりさせてごめんなさいね。そんなつもりで言ったわけじゃないのよ。……お茶のお代わり、いるわよね?」
震える唇でなんとか言葉を紡ごうとした私に、リズさんは自ら温かいお茶を注いでくださった。そうして、おっとりと続ける。
「私ね、なんでも知りたくなってしまうのが悪いくせなのよ。だって、錬金術も魔法も、知れば知るほど好きになってしまうんだもの」
「……い、偽っていて申し訳ございません。私の本当の名前は、」
「いいえ、あなたがフィーネさんだと言うのなら偽りではないの。だって、私は名前とか肩書きとか後ろ盾とか、そういう外側にはあまり興味がないもの。今、私の前にいるのは優秀な薬草園メイドで錬金術師のフィーネさんよ」
「ですが」
私の言葉をさらに遮り、リズさんは上品に微笑んだ。
「この冬、冬風邪がそこまで広まらなかったのはあなたが開発した魔力空気清浄機のおかげだと思っているの。あれは魔法道具としても素晴らしかったけれど、流通のさせ方がよかったわ。レイナルドじゃ絶対に選ばない方法ね。あの子は王族としてのしがらみが大きすぎるから。だからこれはあなたのお手柄なのよ」
「…………」
リズさんはにこやかに話しているけれど、有無を言わせない話し方と内容は王妃陛下としてのものだ。どう答えたらいいかわからないでいる私に、リズさんは優しく告げてくる。
「私は、レイナルドにこんなに素敵なお友達ができてとってもうれしいのよ。あの子は背負うものが大きいわ。だから、側にいるあなたにはずっと錬金術を好きでいてほしいの。きっと、それがあの子にとって落ち着く場所であり道標になる」
「……はい」
以前、レイナルド様にも似た決意を聞いたことを思い出した私は、素直に頷く。
「ふふふ。なんだか、あなたがずっと王宮にいてくれるみたいな話をしちゃったわね。勝手に決めてごめんなさい? お茶菓子、もっと食べないかしら? 紅茶もいくつか用意しているのよ」
楽しそうに、図書館で会うときの顔に戻ったリズさん。
結局、名前と姿を偽っていることへの謝罪はさせてもらえなかった。
身に余る褒め言葉をいただいて信じられない一方で、ホッとした気持ちにもなる。王妃陛下に自分を偽っていたことが知られても、私はレイナルド様のそばにいていいんだ、って。
もちろん、レイナルド様がどんなふうに思っているのかはわからないけれど……。
そうして勧められたスコーンを口に運ぶ。チーズとドライトマトに何種類かのスパイスとハーブが入っていて、はちみつが添えてある。
ちょっと個性的なおいしさが、リズさんらしいと思った。
私にはいくつかの秘密がある。でも、これだけは嘘偽りのない気持ちだと言える。
――私の魔法や錬金術が誰かの人生に役立てたと思える瞬間が、何よりの幸せ。
スウィントン魔法伯家は消えてしまったけれど、私の大切な記憶はそうやって残っていったらいいなと思う。