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46.シナモンロール②

今回もミアの過去回想回です。次話からフィーネ視点に戻りますのでお待ちください……!

 いつの間にか月日は過ぎ、ミアたちがバラクロフ家に住み込むようになってからまもなく六年が経とうとしていた。


 しかし環境も状況も変わらない。


「おねえちゃんの腕っていつも赤いポツポツがあるね」

「昔はなかったはずなんだけどな」


 ミアは十四歳、弟は九歳。ミアのほうはそろそろ働きに出られる年齢だった。


 外聞を気にする家の主人の計らいで初等学校に通ってはいたものの、成績は全く振るわなかった。母親譲りの美貌だけは目立ったが、働くにしてもできることがない。


 外ではチヤホヤされて、家に戻れば顔色を窺う日々。この数年間で『お金さえあれば』と思った回数は数知れず。


 弟は父親に似て体が弱いようだった。しょっちゅう風邪をひいてはなかなか回復せず、ポーションのお世話になる。当然、母親はくれないので、ユージェニーがどこからか手に入れてきてくれた。


 家にいるときの主食はシナモンロールだ。


 飽きた、とは言えなかった。その言葉を口にすると、いつも優しいはずのユージェニーの笑顔から温度が消えるから。


 ミアの腕や首にはいつも赤いポツポツがあった。体調によって違いはあるものの、それは薄いか濃いかの差。特に気にしたことはなかった。




 そんなある日のこと。バタン、と勢いよく扉を開けて青い顔をしたユージェニーがミアたちの部屋に飛び込んできた。


「ユージェニー? どうしたの?」

「ママが倒れたの」

「えっ」


 相変わらず、この家の女主人からミアたちへの暴力は続いていた。だからその本人が倒れたという話を聞いてミアは内心喜んだ。けれど、暗い顔をしたユージェニーを前に飛び上がって拍手するわけにはいかない。


 反応に困ったミアを前に、ユージェニーはバスケットを取り出した。シナモンロールが入っているのだろう。いつもの甘ったるい匂いが部屋の中に充満していく。


「ママが倒れた理由は精神的なものですって。……全部あんたたち親子のせいよ」

「……⁉︎」

「パパを返してよ。パパは私のパパで、ママの夫よ! あんたたち親子さえいなければ、ママだって倒れることがなかったのに……!」


 初めて、名前ではなくあんたたちと呼ばれた。


 一体何が起きているのか受け止めきれないミアの前に、いつもよりもどず黒く見えるシナモンロールが並べられていく。


 そうして、ユージェニーはにやりと笑った。見たことのない笑い方に背筋がぞっとする。


「今日はね、シナモンの量を三倍にしてみたの」

「ユ、ユージェニー……?」

「いい? 絶対に残さずに食べるのよ?」


 そういえば、この前初等学校の授業で食物アレルギーのことを習ったような。頭の悪いミアでもわかるほどに、明確で疑いようのない悪意にぞっとする。


(一体いつからだったんだろう……)


 この家でミアたちを支えてきた唯一の存在の裏切り。いや、支えだったということすら幻想なのかもしれない。


 その日、ミアがシナモンロールを食べ終えるまでユージェニーはそこから動かなかった。事態を把握しきれない頭で、とりあえず残さずにシナモンロールを食べ切る。


 翌日、首と腕のポツポツはさらに濃くて痒くなった。冗談じゃない。殺される前に出ていこう。――と思ったところで弟が風邪をひいた。


 こんな時に限って悪化し、ポーションが必要になった。母親と商人のおじさんは二人で旅行に行ってしまっていて、頼る相手がいない。


 いつもならユージェニーがポーションをくれたが、今は敵になってしまった。


「大丈夫?」

「くる……しい……」


 苦しむ弟を前に、何もすることができない。そんな時、またシナモンの匂いがして、ひどく冷たい声が聞こえた。扉の前に佇むのはユージェニーだ。


「ポーション、ほしい?」

「ユージェニー……」

「ユージェニー()、でしょ?」


 凍りつくような声色にミアの唇は震える。そんなミアに向け、遠い目をしたユージェニーは続けた。


「初めはね、些細な悪戯心だったの。私とママに辛い思いをさせるあんたたちを助けてあげるフリをして痛めつけようって。でも、じわじわいくんじゃなくて、初めからもっとわかりやすく叩きのめせばよかったって思った。あんたたちがいなくなれば、ママだって倒れることがなかったもの」


「そ、そ、そそそんな……」

「で。ポーション、ほしいの? いらないの?」


 刺々しい言葉はミアが知らないものだった。ミアにはお金も能力も誰かに助けを求めるという考えもない。


 その日も、シナモンロールを食べさせられた。


 翌日、体中を痒みが襲い、ミアは悶え苦しんで一日を過ごしたのだった。




 事態が急転したのは数ヶ月後のことだった。


 ミアには潤沢な魔力があることが判明したのだ。


 きっかけは些細なこと。ユージェニーの命令で街へおつかいに行かされたとき、ミアは魔力で作動する魔法道具にうっかり手をかけてしまった。  


 一家の誰も魔力を持たないバラクロフ家の屋敷にはそんな魔法道具はなかったし、何よりも魔力操作など知らないミアは、無意識のうちに大量の魔力を流し込んでしまい、その魔法道具を爆発させた。


 ちょうどその現場を見ていたのが、アドラム男爵だった。


 アドラム男爵は魔力量に恵まれたミアを一家揃って受け入れると言ってくれた。


 バラクロフ家には一括で礼金が支払われ、シナモンロールを食べ痛めつけられる暮らしはあっさりと終わりを迎えた。


 母親も、アドラム男爵側に付くべきだと思ったのだろう。あんなに商人にべったりだったのに、未練を寸分も感じさせることなく話に乗った。


 貴族に引き取られたことで、ミアとユージェニーの力関係は真逆に変わった。


 弟にはアドラム男爵が高値で購入した、巷で『特効薬』と呼ばれているらしい上級ポーションが与えられ、体が弱かった弟は滅多なことでは熱を出すことがなくなった。


 そして、周囲の言いなりだったミアはやっと目を覚ましたのだ。


(弱いままでは搾取されるだけよ。私にだって幸せになる権利はある。強くならなきゃ。どうやったらいいのかはわかんないけど……とにかく、いい人の顔をして近づいてくるお嬢様にはもう絶対にだまされないんだから! やられる前にやらないと、ひどい目に遭うんだわ!)


 ミアは、生きていくうえで人として大切なところを取りこぼしたのかもしれない。


 けれどこのとき確かに、弱かった自分と決別したのだった。

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