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5.戸惑い

 私の頬の真ん中あたりを、レイナルド様は指で優しく拭った。それは本当にわずかな時間のこと。私は、ただ目を瞬くしかできない。


「……取れたよ」

「あ……あ、あり、」


 レイナルド様は悪戯っぽく微笑んで、指先についた土を「ほら」と見せてくる。あまりにも自然で余裕の仕草に、私はまたぱちぱちと瞬いて息が詰まった。


 戸惑っている私のことは気にも留めず、レイナルド様は聞いてくる。


「……今日はまたポーションを作る?」

「い、いい、いえ。あの、もう日が落ちてしまったので」

「そっか。フィーネは太陽の光があるところでしかポーションを作らないんだっけ」


 私はただこくりと頷いた。いつもなら理由までお話ししたくなるところだったけれど、さっき詰まってしまった胸のあたりはそのままで。なんだか言葉が出てこない。


 アトリエの奥から、リン、とオーブンが温まったことを示す鐘の音が響いた。けれど、レイナルド様は私の隣でフェンネルの加工作業を再開するのをじっと待っている。


「クライド、遅いね」


 アトリエを揺らすオレンジ色の光で、レイナルド様の顔色ははっきりとはわからない。けれど、少しはにかんだようなこの微笑みを私は見たことがある気がする。


 ――もちろん、それを見たのは『フィオナ』だったと思うのだけれど。




 それから少しして、クライド様がお肉のキャベツ包みを持ってきてくださった。


 私は、トマトソースとチーズがたっぷりかかったそれがオーブンで焼かれるのを眺めながら頬に残る感覚にどきどきして、それから焼き上がったフォークの上のキャベツ包みをふうふう吹いて、無心に食べた。



 ◇



 数日後。


「フィーネさん。こちらの処理もお願いできるかしら」

「はい、ローナ様」


 今日は工房勤務の日。私が返事をすると、この工房を取り仕切る錬金術師の一人でもあるローナ様は困ったように首を傾げた。


「ねえ。私はあなたの上司であって仕える相手ではないの。様づけは勘弁してもらえるかしら?」

「! も、もも申し訳ございません……!」

「ううん、いいのよ。じゃあ、ローナさんって呼んで?」

「ロ、ローナさん」

「そうよ。お願いね」


 ひとつに結んだ艶やかな栗毛を揺らし、にっこりと微笑んだローナ様……ではなくてローナさんは、溌溂とした印象の女性。


 私よりも一回りほど年上に見える彼女は王立アカデミーをでてすぐに宮廷錬金術師として認められ、それからずっとここに勤めているらしい。


 ローナさんが操る錬金術の見事さはもちろん、人員配置や指示の的確さは週に二度しかここに来ない私にもよくわかる。


 薬草園で安心する香りと優しい人に囲まれて働くのも好きだけれど、工房に来ると、何となくローナさんを目で追ってしまう。


 ローナさんは私が宮廷錬金術師に憧れていた子どもの頃の理想そのもので。高すぎる目標に違いないけれど、少しでも近づけるように頑張らなきゃ、と思う。


 人知れず気合を入れ直した私は冬支度用の薬草から水を払った。その瞬間に、私の隣で甲高い声が響く。


「つまんないわぁ。冬になって、あまり頻繁に薬草園に行かなくてよくなったと思ったのに……地味なのよ、見習いの仕事って」

「! ミ、ミミミミア様」


 いつの間にか並んでいたらしいミア様に、私は飛び上がってしまった。そして、ミア様は前に私に向かって自分が宮廷錬金術師だと名乗っていたことをすっかり忘れてしまったらしい。上司や先輩方が聞いていないのをいいことに、言いたい放題だった。


「あーあ。ちょっと王宮で働いて箔をつけたら、侯爵夫人として引っ込むはずだったのに。なんでこんな地味な冬支度をしなきゃいけないのよ!」

「……」

「あなたもせっかく王宮勤めをしているんだから、ここで誰かいい人を見つけた方がいいわよ。どうせ、今いる場所がピークなんだろうし」

「……」


 まともに答えようと思うと声が震えてしまいそうなので、私はそっと目を逸らす。


 お兄様によると、ミア様とエイベル様の婚約はなくなったらしい。アカデミーでの婚約破棄騒動については真相の究明ができなかったけれど、エイベル様の振る舞いは王都でも知れるところとなっていた。


 例えば、先日劇場でクレームをつけていたのはその一つで。それに拍車をかけたのがミア様だという判断に至ったようだった。


 そういう経緯から、ミア様の立場は結構複雑らしい。ミア様を養子として引き上げたアドラム男爵家も次に問題を起こせばただでは済まない、とお怒りになっているということだった。それなのにこんな風に次の手段を考えられるミア様。


 ……とにかく、たくましすぎる……。


 けれど、事の顛末を聞いても私はミア様に同情することはない。だって、私もミア様には居場所を奪われている。かと言って、もし私が『フィオナ』としてここにいたとしても腹立たしくは思うけれど仕返しをする気にはなれない。


 だからせめて、アカデミー時代に『フィオナ』がしてきたこと――ミア様の身代わりになって手柄を渡すようなことだけはしないと誓う。


「あーあ。こうして薬草を加工しているけど、冬用に加工した薬草じゃ生成が難しくなるんでしょう? それなら温室から新鮮な薬草を採ってきて使う方が楽よ。どうせ、ポーションが大量に必要になるような冬風邪が流行したらそっちを使うんでしょうし」

「……お、おお詳しいのですね……」


 お勉強が嫌いなミア様が冬風邪に関わる錬金術師の立ち回りをご存じなのは意外だった。思わず返答してしまった私に、ミア様はつっけんどんに仰った。


「ふん。それぐらいは知っているわよ。……教科書なんか読まなくったってね!」

「……?」


 急にミア様の愛らしいお顔からは自信満々の笑みが消えてしまった。どうしたのかな、と強い違和感を覚えつつ、会話が終わったことにほっとした私は目の前の薬草たちに意識を戻す。


 水滴をふき取った薬草は、まだ採取したてのように生き生きとしていた。


 ミア様は「温室から新鮮な薬草を採ってきて使えばいい」と仰るけれど、温室の薬草はいざというときのために残しておくべきなのだ。


 私は、はたと閃く。


 そっか。魔法を使えばこの薬草もいざというときに新鮮な状態にできるんだ。


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