46.秘密②
クライド様の手のひらには、深い藍色をした石が載っている。それに私は見覚えがあった。
「あ」
思わず声をあげると、クライド様はいつもより澄ました顔でこちらをちらりと見る。
「めずらしいですよね。これは友人から借りた魔石というものなんです。魔法道具のパーツとして使うのが本来の使用方法のようですが、今回は私が魔力を注いで起動しました。……そゆこと。レイナルド、わかった?」
「クライド、何を言っているんだ。そもそも、どうしてお前がそれを持っているんだ」
「いいじゃん。面白そうだからフィーネちゃんに借りてたの」
二人の会話を聞きながら思い出す。そういえば、私はこの前薬草園でクライド様に水と風の属性を持たせた魔石を貸したのだった。
でも、どうしてここでクライド様は『フィーネ』から借りた魔石を取り出したのだろう。
「あのとき、俺は煙を見てすぐにこれを一階客席に向けて起動させてたんだよね。機転が利くでしょ? ほら、こんな感じで」
「もういい。やめろ」
魔石を浮かせたクライド様と、拗ねたような顔をして、それを宙でぱしっと掴み取るレイナルド様。
この雰囲気はいつもと変わらないけれど、その中で察する。……そっか。クライド様は、私を庇おうとしているんだ。この前、困ったときには助けてくださいって私がお願いしたから。
もちろん、クライド様は私が魔法を使ったなんて夢にも思っていないはずで。でも、一階の客席に水が降り突風が吹いたのは、私がこっそり魔石を使ったせいだと思っているのだろう。
恐らく、『フィーネ』ではなく『フィオナ』がこの石を持っていてはおかしいから、自分が持っていた魔石を使ったということにしようとしてくれている。……なんていい人なのだろう。
「……クライド」
「なに、王太子殿下?」
「……いや、今はいい」
レイナルド様も、いつも通りつかみどころのないクライド様の様子に呆れたようだった。この話題はおしまいになって、私のほうに向き直る。
「フィオナ嬢。私が、劇場でお伝えしたことを覚えていらっしゃいますか。友人になってほしい、と」
「は……はい。はっきりと覚えております」
「今回のことで改めて認識いたしました。フィオナ嬢は私にとって大切な方だ、と」
その言葉には、友人になってほしいという誘いとは全く違う質の熱が感じられて。ずっと前から決意を固めていた私は、きっぱりと告げた。
「私は、近いうちにこの王都を離れる予定でいます」
「それは……スウィントン魔法伯家の事情によるものですね。もしよろしければ、このまま変わらない暮らしができるように私のほうで手配を」
「いいえ。あの……私は、王都を離れて暮らすことを望んでいます」
「……慣れ親しんだ王都を離れることを望んでいると仰るのですか」
驚きに目を見張るレイナルド様を前に、私の本音がこぼれた。
「はい。私にここでの暮らしは華やかで荷が重すぎました。スウィントン魔法伯家がなくなるのを機に、自分に合った暮らしができれば、と」
「しかし、フィオナ嬢は、」
「ご心配には及びません。私のようなものにレイナルド殿下が心を砕いてくださったこと、本当にありがたく思っております」
ずっと伝えられなかったことだけれど、私は噛むことも声が震えることもなかった。
私は新しい自分になりたい。『フィーネ』として薬草園で働き、あのアトリエで研究をする毎日を大切にしたい。
その決意を、レイナルド様はわかってくださったようだった。
「承知いたしました。とても残念ですが、何があろうと私はあなたの味方で、全てを受け入れるつもりでいます。それだけは、心の片隅に」
「……ありがとうございます」
『全てを受け入れる』の意味が少しわからないけれど、私にとってはもったいない言葉すぎた。
淑女の礼をして、私はお二人を見送る。貴族令嬢の『フィオナ』として私がレイナルド様にお会いするのは、きっとこれが最後。
――これでいい。
◇
スウィントン魔法伯家を後にし、帰りの馬車に揺られるレイナルドとクライドの間には微妙な空気が流れていた。
「クライド。さっきのは何だ?」
「え? 何のことかわかんないんだけど?」
「とぼけるな。フィーネが生成した魔石の話だ」
「そんなに変? フィーネちゃんに借りてて、火事の被害を食い止めるのに役立ったって」
クライドの返答に、レイナルドは窓枠に肘をつき剣呑な視線を送る。
「……いつから知っていた」
「だから、何のことかわかんないな?」
「さっき訪れたスウィントン魔法伯家の庭には、しっかりとしたアトリエと温室、薬草畑があった」
「歴史ある魔法伯の家なら当然じゃない?」
「錬金術師と魔法使いは大きく違う」
「うっわ出た、オタク。レイナルドは本当に錬金術と魔法が好きだね」
茶化すクライドをレイナルドは完全に無視する。
「フィーネはフィオナ嬢……なのか。これまでのことを考えれば、納得できる点がいくつもある。何よりも、こうなってみれば控えめで放っておけない性格が同じだ」
レイナルドがひとつひとつ自分を納得させるように呟くと、もうクライドは肯定も否定もしなかった。
「でもさ、俺は、立ち直ろうとしている人って美しいと思うけどね? フィーネちゃん・フィオナ嬢いかんに関わらず、さ」
「フィーネは……よく頑張ったな」
「ね。あの火事に飛びこんで行ったのが、いつもおどおどしているフィーネちゃんだなんて信じられない」
「……あの素晴らしい錬金術を扱い、優れた知識を持ち、研究熱心なフィーネの正体がフィオナ嬢、か」
「どっちにも惹かれるのも納得でしょ? レイナルドは本当に一途でかわいーね」
「……認めるが、フィーネに言うのと同じ口調は止めろ」
二人の間の固い空気は解けていく。
これからも、『フィーネ』にいつもと同じ朝が来ることに、間違いはない。