55.失ったものを、また②
爵位、って……。私が男爵とかになるってことですか……!?
「世界から消えた魔法を復活させるきっかけを作ったのはとんでもない功績だよ。当然の褒章だ」
「でも……私にはそんな分不相応で……いりません……っ⁉︎」
あわててブンブンと手を振れば、レイナルド様は悪戯っぽく笑った。
「スウィントン魔法伯、でもいらない?」
「……!」
それは、私がかつて失った家名で。
古くからずっと続いてきたスウィントン魔法伯家。両親が亡くなった後も、お兄様が頑張って維持してきた大切な家の名前だった。家が没落することになったとき、お兄様がとても後悔していたのは知っている。
けれど、あの頃の私は自分のことにいっぱいいっぱいで、消えゆく家名をどうにかして残そうなんて考えることすらできなかった。
心の中にずっと閉じ込めていた『スウィントン魔法伯家』での温かい思い出が蘇って、唇が震えた。
「ほ、本当にですか……? スウィントン魔法伯家を再興してもよいと」
「ああ。スウィントン魔法伯家が没落したとき、土地と屋敷を売却しただろう? 実は、それを俺の私有地として買い戻していたんだ。いつか機会があったときに渡せるようにね」
知らなかった。言葉にならない私の前、レイナルド様は続ける。
「アトリエは壊されてしまったが、屋敷はそのままにしてある。フィオナがご両親や兄上と一緒に過ごした思い出のままにね」
「……レイナルド様……何とお礼を申し上げたら良いのか」
なんて優しい人なのだろう。かつて失った大切な思い出が戻ってくるということは、奇跡に思えてしまうほど幸せなことで。
いつの間にか涙が頬を伝っていたことに気がついた私に、レイナルド様はハンカチを差し出してくださった。それには、紺地に空色の糸で刺繍が施されている。アカデミーで助けてくださったお礼として、私が贈ったものだった。
「俺はフィオナが幸せそうに笑っている顔が見たいだけなんだ。……ただ、そうして幸せに笑わせるのは、自分自身でありたいとも思う」
声音が変わったことに気がついて、どきりとする。
ここ一年の間、私はずっと研究に没頭していた。レイナルド様とは食事に行くことはあったけれど、お互いの気持ちを話す機会は全然なくて。
私たちが乗った馬車は、川沿いの穏やかな景色を車窓に映している。
レイナルド様と私は、すっかり周囲から魔法や錬金術という共通の話題を持つ友人として認識されている。だから、普段は馬車に二人で乗っていても咎められたりおかしな噂になったりすることはない。
そのはずなのに、急に落ち着かなくなってしまう。
「スウィントン魔法伯、フィオナ・アナスタシア・スウィントン嬢」
復活が決まったばかりの名前で呼ばれてどきりとする。
「……はい」
「私はこれまでもこれからも、ずっと変わらずにあなたを愛しています。どうかこの手を取っていただけませんか」
そう告げてくるレイナルド様の表情はいつも通り優しくて穏やかに見える。けれど、空色の瞳がほんの少しだけ縋るようにこちらを覗き込んでいる気がした。
この一年間、ずっと忙しかったのであまり考えないようにしていた。けれど私が凹んだときや頑張りたいとき、一番に思い浮かべるのはいつだってレイナルド様のお顔で。
前に気持ちを告げられたときの私は、自信がなかった。王太子殿下でいらっしゃるレイナルド様の隣にいる自分が想像できなくて、気持ちに応えることができなかった。
けれど今は。
ゆっくりと息を吐いた私は、恐る恐るレイナルド様の手のひらに向かって指先を伸ばす。そうして手を取ると、レイナルド様の目が驚きで見開かれたような気がした。
「私も……ずっと前からレイナルド様をお慕いしていました。自分に自信が持てるようになったら気持ちをお伝えしようと、」
そこまで口にしたところで、抱きしめられた。これまでにないほどにレイナルド様の鼓動を近くに感じて、ドキドキする。
「困らせるつもりはなかったんだ」
「困ってはいないです……!」
「フィオナに無理はさせたくない。王太子の地位も、弟に譲ったっていい」
「それはダメです……!?」
とんでもない冗談に慌ててレイナルド様の腕から抜け出そうとすれば、さっきより強く抱きしめられた。
「それぐらいの気持ちってこと」
「……はい。私だって、生半可な気持ちではないです……!」
固い決意を伝えると、私の耳元でレイナルド様が優しく笑う気配がした。それは、これまでに聞いたどんな声よりも愛おしげな気がして。
幸せを噛みしめた私は、この馬車が永遠に王宮に着かなければいいのに、と思ったのだった。
次回エピローグです。