38.警告
次の日。
私たちの朝食はテラスに準備されていた。
馴染みがない形の平たいパンに、野菜のキッシュ、ハム、数種類のチーズ、季節のフルーツ、ワインなどが所狭しと並べられたテーブルは驚くような華やかさ。
「フィオナ王女。お飲み物はいかがいたしましょうか」
「え……と、紅茶をお願いできますか」
「お連れ様は」
「フルーツティー。レモンとはちみつをたっぷり入れてくれる?」
「かしこまりました」とにこやかに離れていく給仕担当の女官の方を見ながら、クライド様が「どっちが王女かわかんないな」と茶化してくる。
レイナルド様は、私を心配してくださっていたようだった。私とミア様を交互に見て、小声で聞いてくださる。
「その様子だと、昨日はうまく行った?」
「はい。背中を押してくださってありがとうございました……!」
「よかった。心配だから立ち会いたいと思っていたんだけど、お風呂に入るなんていうから」
レイナルド様の言葉に、私は照れ隠しの笑みを浮かべる。
アカデミーで『フィオナ』を退学に追いやったミア様をレイナルド様がよく思っていないのはわかっていた。今度は頼らず自分の力で解決するために、お風呂を選択したのは正解だったみたい。一つ壁を越えられた気がして、うれしかった。
「お風呂、ものすごく気持ちよかったです……!」
「ここ、水の供給はどうしてるんだろうな。俺たちの部屋の浴室は純度が高い水の魔石を使った魔法道具が設置されていたけど、そっちも?」
「あ、同じです……! 私には鑑定スキルがないので細かくはわかりませんでしたが、水には微量の魔力が混ざっていました。魔石によるものだからかと」
「へえ。この国はわからないことだらけだ」
レイナルド様の言葉の後で、給仕担当の女官さんがテラスを出て行ったのを確認した私はバスケットから本を取り出す。
それは、図書館で借りた絵本『ベンヤミン・ボルストと魔法の国』。ここに来てからずっと見ていただきたくて、リトゥス王国の方が離れるタイミングを窺っていたのだ。
「レイナルド様。これを『下界』の図書館で見つけたんです。覚えていますか、この本」
「……懐かしいな。空を飛ぶ国のおとぎ話だ。これ、リトゥス語で書いてあるのか」
「はい」
レイナルド様の言葉に頷きつつ、パラパラとページをめくる。そして、図書館で見つけた資料と同じ挿絵が書いてあるページを指差した。
「この挿絵は、図書館にあった『絵画史』の書物にも載っているのを偶然見つけました。ということは『ベンヤミン・ボルストと魔法の国』はリトゥス王国で創られた物語ということになります」
声を潜めれば、レイナルド様も同じように小声になって顔を寄せてくる。想像していた以上に距離が近づいて、ドキドキする。
けれど、しっかり王太子殿下モードになっているレイナルド様は私の緊張には触れることなく、言いたいことを察してくださったようだった。
「――なるほど。この物語の内容は大まかなところしか覚えていないけど、状況はあまり良くないな」
◇
昨夜、私はミア様とお風呂に入ってからベッドの中でこの絵本を読み直した。リトゥス王国について、何かヒントがあるかもしれないと思ったから。
『ベンヤミン・ボルストと魔法の国』は元は少年少女向けの冒険小説だ。私の手元にある絵本は、小さな子どもでも楽しめるように絵本になったものだけれど、その分内容を端的に表していてありがたかった。
私はこの物語を、魔法が出てくるファンタジー冒険物語だと記憶していた。けれど、今この状況になって読んでみると、あらゆることがこの国についての隠喩になっているようにしか思えなかった。
狩りをして生計を立てていた主人公ベンヤミンは、ある日突風に飛ばされて雲の上の国にたどり着く。そこには魔法が存在していて、主人公の想像の範囲を軽く越えたとんでもない世界が広がっていた。
主人公は元の世界に帰るためにあらゆる努力をするものの、どうしても願いは叶わない。そのうちにベンヤミンは魔法の国になくてはならない存在になり、故郷を忘れ、雲の上で楽しく暮らしました――というお話。
子どもの頃は、雲の上にある魔法の国のことを空想して過ごしたけれど、今読んでみると不気味さを感じる話なのだ。
この物語がリトゥス王国で考えられたものだと踏まえると、この国を訪れた人からの警告にしか思えなかった。
◇
回想を終えた私の前、レイナルド様も絵本を流し読みして詳しい内容を思い出したようだった。
「つまり、この場所に来た人間は帰れない。そういうことか」
「うっわまじで? やばくない?」
茶化してくるクライド様も、言葉こそは軽いけれど表情は真剣なもので。私も、女官さんの目があったさっきまではお風呂の話をしてはしゃぐふりをしていたけれど、危機感は持っていた。
魔法が消えた理由や“お母様”のことは気になる。けれど、すぐにでも理由をつけてこの場所を去るべきだと思う。
「お飲み物をお持ちしました」
給仕をしてくださる女官さんの朗らかな声に、あわてて私は絵本をバスケットの中に隠す。
こそこそしている私を庇うように、ミア様の「はちみつはきちんと入れてくれた? 見て、私のフルーツの皮が残っているの。取り除いてもらってもいいですかぁ?」という声が聞こえた。
「フィーネ。心配だと思うけど、こちらから指示するまで動かないでほしい。ミア嬢もだ。フィーネのことは、絶対に安全に帰すから」
耳元で囁かれたレイナルド様の声音は、低く響いて真剣なもので。いつでも私を見守って助けてくださるレイナルド様を疑ったことなんてない。
女官の方にわからないように軽く頷いたけれど、なんとも言えない不気味さが心の中に残って、なかなか消えなかった。
ゆいまほはWEB版をなるべく理想通りのかたちで置いておきたいなと思っていて、出版社様に相談して書籍1巻で加筆した「プロローグ」の簡易版を第一部分に掲載させていただきました(2024.2.26)
書籍未読の方は、ぜひ読んでみてください……!





