37.『フィオナ』とミア様②
私はゆっくりと考えてから、口をひらく。
「……ミア様。私だって怒っていました。アカデミーの出来事が悲しくて辛くて、どうしてこんなことになってしまったんだろうって」
「そうでしょう? それなら」
「でも、偽っていない素のミア様と一緒に過ごしてみて……楽しいと思ってしまったのです。憧れに近い感情を……その」
「は?」
心のままにお話しすれば、真っ赤になっていたミア様のお顔は心底意味がわからないと言うふうに歪んだ。私だってわからないです……!
でも、せっかく思いをぶつける機会があるのだ。アカデミーにいた頃は困惑して戸惑うばかりで何も言えなかったけれど、今の私なら、あの頃の弱かった自分が言葉にできなかった感情を伝えられる気がする。
「私だって何度も考えました。もし私がエイベル様の婚約者でなかったなら。スウィントン魔法伯家の人間でなかったなら。もっとはきはきと物が言えて、ミア様がするあれこれを咎めることができて、対等にお話しできる存在だったなら。初めから、こんな風に友人になれていたのではないかなって」
「はあああああ?」
私の言葉を聞いていたミア様に、いきなりいつもの勢いが戻る。ばしゃんとお湯が揺れて、顔にかかった。
「あんたね、ばっかじゃないの? 友人になれたのではないかなってどこまでお人よしなのよ! っていうか手の施しようがない阿呆ね。貴族のお嬢様って世間知らずで本当に嫌になっちゃう。これだから、成り上がりの男爵令嬢に嵌められるのよ……っ」
キツい言葉とは裏腹に、ミア様の目からはいつの間にかぽろぽろと涙が溢れていた。
「…………」
「…………」
この一年と半分を一緒に過ごしてきて、ミア様が実は王立アカデミーでの出来事を後悔していることは知っている。フィーネとして一緒にいたからこそ、ミア様の本音を知る機会はたくさんあった。
確かに、『フィオナ』はミア様に嵌められて婚約者と友人を奪われた。いくらそれが『フィオナ』にかつて自分を虐げて命の危機まで追い込んだとある令嬢の姿を重ねたからとは言え、許せることではないのかもしれない。
――でも。私は、自分の目で見たミア様のことを信じたい。
「王宮勤めを辞めるのはだめ……です。私は、もっとミア様と一緒に働きたいから」
「何を……言っているのよ……」
「ミア様がいなくなっても、私は安心しません。アカデミーでのことを償っていただいたとも感じないと思います。少しでも後悔しているのなら、王宮に残ってほしいです」
「…………」
長い間があった。考え込んでいる様子のミア様と、ミア様にこんなことで工房をやめてほしくない私の無言のせめぎ合いが続く。
薬草園メイドとしてミア様に出会ったときはとてもびっくりしたけれど、本当の姿を曝け出したミア様は何だか憎めなくて。思いのままに行動するミア様は、いつも一歩が踏み出せない私のお手本のようになっていた気がする。
どれぐらい沈黙が続いたのだろう。
ミア様は赤くなった目を両手で隠すと、また浴槽にじゃぶんと首まで浸かった。
「……とにかく。王立アカデミーでの成績がカンニングによるものだということは、ローナさんにお話しするから」
「ミア様! では……!」
目を輝かせた私に、ミア様は目を泳がせる。
「その結果、田舎に帰ることになったとしても文句は言わないでよ? 本来の私はアカデミーを卒業できなかったはずなんだもの。これまでも後悔していたくせに、どうして今まで本当のことを言わなかったのかって? ……怖かったからに決まってるじゃない! 黙っていればなんとかなるって……一生嘘を突き通すなんて、って思うと辛かった」
「それなら、私もアカデミーでは辛かったです、ミア様」
同じようにお湯につかり、隣から顔を覗き込めば、ミア様の体がわなわなと震える。
「あんたねえ! 初めっからそういう感じでいなさいよ!」
「……っ。こ、こういうふうに素直にお話しした方がいいと教えてくださったのはミア様です……!? 工房で理不尽なことがあっても、毅然として跳ね返せと」
「…………本当に言うようになったわね」
ミア様の言葉に、えへへ、と笑ってみせる。
「ローナさんには私も本当のことをお話ししなければ、と思っています……。レイナルド様公認とはいえ、工房の皆様に身分や名前を偽ってお仕事していたことは事実ですから。ミア様の王立アカデミーでのカンニングに私が関わっていることもお話しします」
「……どこまであんたはお人よしなのよ」
ミア様はまた涙声になった気がする。
アカデミーでの成績がカンニングによるものだと知られれば、王宮での雇用は取り消しになるとは思う。見習い錬金術師を雇用する試験を受けることになる。
しかも、アカデミーを出ていないとなると出世コースには乗れないし、経緯は記録されているから雇用自体も厳しいものになるかもしれない。
それでも、ミア様は最終的に『田舎に帰る』を撤回した。もしそれが私に言い含められたものだとしても、もう少し王宮に残ろうと抗うことを償いにしてほしい……というのは傲慢すぎるかな。
けれど、誰かのせいで歪んだ人生を送る人は見たくないし、ミア様には幸せになってほしいし、ぜひ玉の輿には乗ってもらいたいと思う。
私にとっては、内気で弱気な『フィオナ』をやめて初めてできた、女の子の友人だから。
魔法で浮かぶ不思議な島。
そこでの、星の光を目一杯たたえた夜空に見守られながらのバスタイムは、これまでの人生の中で最高のものだったことだけは研究ノートに記したいと思う。