36.『フィオナ』とミア様①
すったもんだの末、私とミア様は広いバスルームにいた。
いろいろあったけれど、ミア様をここまで動かしてくださったレイナルド様には本当に感謝したいです。
床を掘り下げる形でつくられ、土を白いタイルで彩った湯船は二十人近く入れそうな大きさ。真っ白なドーム状の天井を照らす魔石の光がとても綺麗だ。
お湯にはバスオイルが混ぜられているのか、ミルク色に染まっている。アルヴェール王国にも温泉のようなものはあるけれど、客間についているお風呂がこんなに大きなものなんてあり得ない。
「ミア様、すごいですね……!」
「……」
ミア様は私の言葉には応じず、体にタオルを巻くとそのままちゃぷんと音を立てて湯船に入った。私もそれに続いてミルク色のお湯に体を沈める。
浴槽は意外と深くて、立って入るとお腹の上ぐらいまでお湯がくる。首まで浸かると、気持ちよかった。とろりとしたお湯の感覚に、体が溶けそうなぐらい気持ちいい。
「…………」
「…………」
浴室にはガラスのない窓がいくつもあって、星が煌めく夜空の向こうからひんやりとした風が吹き抜ける。ぽたんぽたんという、天井から水が落ちる音が浴室に反射して響く。
会話はない。
でも、ミア様に私がフィオナだと話したい。話さなければいけない。
「ミア様。私の本当の名前は、フィオナ・アナスタシア・スウィントンです」
「……」
ミア様はやっぱり答えなかった。けれど、続ける。
「ミア様とは、王立アカデミーで友人に……なったつもりでいました。ですが、いろいろなことがありまして……私は名前を変え『フィーネ』として王宮に務めに出ることになりました」
「……」
「い、今まで黙っていて、ごめんなさい」
勇気を出してぺこりと頭を下げると、ざぶんと音がした。
顔を上げると、ミア様が立ち上がって私を見下ろしていた。薄暗いせいで表情はあまり見えない。でも、唇が震えているのはわかった。
「ミア様……?」
「私、アルヴェール王国に戻ったら、錬金術師やめるから。王宮に出仕するのもやめるし、玉の輿を望むのもやめる。家に帰って、誰か適当な人と結婚するから」
つっけんどんに告げられて、全く受け入れられない私は目を丸くする。
「ミ、ミア様、何を言うのですか!?」
「ずっと思ってた。王太子殿下に見初められて、宮廷錬金術師に一目置かれるほどの存在って、まるで王立アカデミーにいたあの子みたいだなって。私のつまらない虚栄心があの子の未来を奪ったんだって。田舎に引っ込んだって聞いたけど……出仕して、自分のことをいろいろ知ってわかった。田舎に引っ込むべきだったのは、いくらでも替えがきく私よ」
「…………」
それは、『フィオナ』に対する謝罪と後悔が混ざった複雑な感情で。私も当時のミア様には思うところがあるけれど、工房で出会ってからのミア様のことを考えると、手放しで肯定する気持ちにはなれなかった。
生まれ育った環境のせいで、どうしても玉の輿に乗りたいという気持ちが強いのはよくわかる。それに、私もミア様のおかげでエイベル様と結婚しなくて済んだのだ。実は、救ってもらった面もある。
「ミア様。私はエイベル様と結婚しないで済んだことをとても喜んでいるのです。婚約者や家を軽視して他の令嬢と仲良くされる方であることを知らずに結婚していたら、私は今の夢のような毎日も手にできずにいました。ひどい人生になったと思います……!」
「そんな感謝しているみたいに言わないでよ。私なんてね、さっき晩餐会の会場であなたがフィオナ様だってわかって納得したし安心したの。あの子は、まだやり直せるんだって。きちんと能力を認められる場所にいるんだって。ここだけ聞くといい話だと思うでしょう? 違うからごめんね? ――私はね、フィオナ様に未来があることにじゃなく、自分が救われたことにほっとしたの。悪いことをしたけど、結果オーライだったって」
堰を切ったように話す、まるで泣き声みたいなミア様の声が浴室内に響く。あまりにも感情的になっている様子にどうしたらいいのか戸惑う私の前、ミア様は続けた。
「大広間からここにくるまでの間、ずっと考えてた。どうしたら謝罪になるかなって。何をしてもきっと許してもらえないかもしれないけど、私はあなたの視界から消える。だから、安心して生きるといいわ」
「……」
私はずっと、ミア様に本当のことを明かさないといけないと思っていた。それは、自分が楽になりたいからでもあって。この点ではミア様と同じだと思う。
でもそれだけではこんなに固く決意しているミア様を引き留められないのはわかる。けれど、私はミア様にどうしてほしいんだろう。不幸になってほしい? もっときちんと謝罪してほしい? アカデミーでの時間を返してほしい? ううん。どれも違う。





