53.二章最終話
声が震える。
直接的な言葉こそないけれど、あまりにもわかりやすい言葉の数々に私の顔は真っ赤に染まっていると思う。
レイナルド様がこんなふうに私を想っていてくださったなんて、知らなかった。スティナの街でなんとなくふわふわとしたものは感じたけれど、あらためてはっきり言葉にされると信じられない。
だって、レイナルド様。品行方正で優秀な王太子殿下で、数多の縁談をお断りになって、人望も厚いレイナルド様。
そのお方が、ただアトリエで錬金術の研究の話ばかりしている薬草園メイドに特別な感情をお持ちになる……?
しかも、生成するポーションの味は2だ。食後のコーヒーすらレイナルド様に淹れてもらう私のどこに惹かれる要素が……? と首を傾げそうになったところで、大好きなアトリエの風景が思い浮かんだ。
休日の午後のお日様の匂いに、棚に並んだ魔石の煌めき。小瓶に入れられたポーションと吊るされたハーブ、レイナルド様がコーヒーを淹れてくださっているときのほろ苦い香り。
あのアトリエが一番落ち着く場所なのは私だけじゃない。きっと、レイナルド様にとってもすごく大切な場所。一年間、ずっと一緒にいてわかった。レイナルド様はそういうお方だ。
今、レイナルド様がしてくださったように、私も自分の気持ちを伝えなきゃ。まとまりのある綺麗な言葉にはならないけど。
そう思って、私は口を開いた。
「……レイナルド様。私はアカデミーでの一件以来、人に会うことが怖かったんです」
「ああ。認識阻害ポーションを使ってまで出仕するなんて、すごくよく頑張ったね」
「きっかけは、お兄様に迷惑をかけたくないという一心だったんです。それで、できることから頑張ろうって」
「フィーネらしいね」
くすりと微笑んだレイナルド様の表情はびっくりするほど優しい。うまく話せるか不安だった私の心はすうっと凪いでいく。
「でも、私に外の世界を見せてくださったのはレイナルド様なんです。ただ出仕しただけでは、こんなふうに充実した世界があると知ることはできなかったと思います。自分の名前で登録した魔法道具を使ってもらえる喜びや、誰かと話しながら食べるご飯があんなにおいしいこともずっと知らないままでした」
「俺もだよ。フィーネに会うまでは自分の立場を受け入れて生きていくことに抵抗がなかった。不満はあったけど、さすがに子どもじゃないからね。……でも、自分の力で一歩ずつ前に進んでいくフィーネを見て、これではいけないと思った」
「レイナルド様……」
スティナの街で告げられた決意は、私にとっては唐突なものだった。けれど、レイナルド様はずっと思い悩んでいたのだろう。
「初めはフィーネがフィオナ嬢と同一人物なんて思わなかったからね。まさか、違う背景と違う外見を持ち違う出会い方をした人に同じように惹かれるなんてな。フィーネはいつもお礼を伝えてくるけど、俺の方こそ感謝したいぐらいなんだ。――こんなふうに、他人を大切にしたいと思ったのは初めてだ」
「あ、あの。……うれしいです。ありがとうございます。本当に……」
けれど、私は頷けない。
多分、今の私はまだレイナルド様と同じ熱量を返せない。ううん。レイナルド様ならそんな必要はないと言ってくださるのはわかっている。
でも、レイナルド様はこの国の王太子殿下で王位継承者だ。加えて、こんな真剣に私のことを考えてくださる方に中途半端に答えてはいけないと思う。
「大丈夫だよ、フィーネ」
言葉に詰まってしまった私に気がついたレイナルド様は、優しく微笑んで続けた。
「無理に返事がほしいわけじゃないんだ。これ以上言ったらフィーネが困るのもわかってる。自分の立場は十分に理解しているつもりだし、俺の願いはフィーネが幸せでいてくれることだからね。……でも、気持ちは伝えたよ」
私が唇を噛みこくりと頷くと、レイナルド様は楽しそうに歩き出す。そうして続ける。
「別に困らせたくはないけど……これから、フィーネが俺のことで赤くなったり困ったりするのかと思うと悪くないな。これまで、完全に俺は研究仲間としか見られていなかったんだもんな」
「!? な、な、何を……」
「あ、そう。その顔。すごくかわいい」
「!?」
レイナルド様ってこんなお方だった!? ……と思ったけれど言えるはずもなく。私は、ただ歩き始めたレイナルド様の背中を追うことにした。
きっと、レイナルド様はお気づきになっていないと思う。
私が、レイナルド様が近くに来るとたまらなくドキドキして死にそうになることがあるのを。
頬についた土を拭ってくださるときも、体調が悪い私を運ぼうと触れてくるときも、人混みの中で内緒話をするために耳に唇を寄せてくるときも。
そのどれもが、私にとっては、不思議と落ち着かない気持ちになる瞬間なのだ。同じように接してくださるクライド様やお兄様とは、絶対に違う。
でも、まだそのことは伝えられない。私なりの覚悟と、どうなりたいのか気持ちが固まる日まで。
お兄様の結婚式でお会いしたウェンディ様の姿が思い浮かぶ。レイナルド様の腕をしっかりと掴むウェンディ様は眩しく見えた。
それを思うと、貴族令嬢だった頃のことが少しだけ懐かしい。けれど何よりも、レイナルド様は今のままの私を認めてくださっている。
きっとこれは、私にとって何よりもうれしくて名誉なこと。ただ、一つだけ言うのならば。
「……ど、洞察力に優れたレイナルド様でも、人の感情を測り間違うことがあるのですね……」
「ん? フィーネ、何か言った?」
「い、いいえ、なんでも……!」
少し先を歩いていたレイナルド様に、私の呟きは聞こえなかったみたい。もちろん、わざと聞こえないようにしたのだけれど。
「フィーネ、手を」
馬車へエスコートするため、レイナルド様は私に手を差し出してくださる。
「……はい」
私はその手を取った。いつもよりも少しだけ緊張した気持ちで。
この手を、自信を持って取れる日が来ますように。レイナルド様がくださる幸せに見合ったものを返せる自分になりたい。
触れ合う指先に鼓動が高まるのをなんとか隠しながら、そう思った。
記念すべき100話目で二章完結です……!(わーい!)
三章は春頃にスタートする予定です。
お付き合いいただけるとうれしいです。
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