52.フィオナ・アナスタシア・スウィントン
リズさんとのお茶会を終えてお屋敷を後にすると、門のところではレイナルド様が待っていてくださった。そうして、とても心配そうに私の顔を覗き込んでくる。
「大丈夫? 何か嫌なこと言われなかった?」
「いえ、まさかそんな。とても楽しい時間を過ごさせていただきました」
「そっか。ならよかった」
私の隣を歩いて馬車に向かうレイナルド様は、本当にいつも通りだった。
冬が始まる前、頬についていた泥を拭ってくださったときや、商業ギルドへ魔法道具を登録するために私を街へ誘ってくださったときと、全然変わらない。
さっきのリズさんのお話からすると、レイナルド様は私が『フィオナ』だと知っていることになる。一体いつから気がついていたのかな。
レイナルド様は私の正体をわかっていたにも関わらず、いつでも優しく支えになってくださっている。私は『フィオナ』への好意を知りながら『フィーネ』として振る舞っていたのに。
「レイナルド様。リズさん……王妃陛下はいろいろなことを教えて下さいました」
「まあ、錬金術の研究や魔法道具の普及に関してかなり尽力してきた人だからね。フィーネとすごく話が合うと思うよ」
「い、いえ。それだけではなくて……」
「……フィーネ?」
言葉を探す私を、レイナルド様は不思議そうに眺めていらっしゃる。
レイナルド様が本当のことを知っているのなら、今ここで話さなくてはいけない。
いつかはこの日が来ることに変わりはなかったのだから。それをわかった上で、私は名前と顔を偽ってきたのだ。
けれど、伝えるのが怖い。
弱くてずるい自分が申し訳なくて恥ずかしくて、俯きかけた私をレイナルド様が呼んだ。
「フィオナ・アナスタシア・スウィントン嬢」
どんな嘘も言い訳も意味がないと、一瞬で理解してしまった。
いつもと同じ名前――フィーネ、を呼ぶのと同じ口調のその声に、私は覚悟を決めて返事をする。
「……はい」
「ごめん。意地悪だったかな」
「……いいえ、そんな」
騙していたのは私の方。けれど、なんだか謝りたくない。
レイナルド様やクライド様と過ごしてきたこの一年が、跡形もなく崩れ去ってしまうと思った。
もちろん全部、弱い私が悪いのだけれど。
「フィーネに、俺は追いつけるかな」
「!? な、何を仰るのでしょうか……?」
すっかり断罪をされるつもりだった私は、思いがけない展開に目を瞬いた。けれど、レイナルド様は顔色ひとつ変えずいつも通り爽やかに微笑む。
「スティナの街でも決意は伝えたつもりだ。でもこの冬、フィーネはものすごく頑張っただろう。魔力空気清浄機の普及に関してもだが、ミア嬢のこともあった。たとえ相手にどんな背景があろうとも、人を許すことは相当に心を消耗する。フィーネは本当にすごいな。……一緒にいて、ますます目が離せなくなった」
熱っぽい話し方に心臓が跳ねる感覚がして、ドキドキと鼓動が速くなっていく。
と同時に、レイナルド様は私をフィーネとして受け入れてくださっているのだとも感じる。そして、あえてこうやってなんでもないことみたいに話すことで私の気持ちをほぐしてくれようとする、優しい人。
「ですが、私はレイナルド様を騙していたんです」
「違うな。俺がわざと騙されていただけなんだ」
「え?」
「きっと、フィーネのほうが素なんだろう? 確かに、俺がアカデミー時代フィオナ嬢に好意を持っていたのは本当だよ。だが、もっと知りたい、助けになりたいっていう気持ちの方が強かった。……その先にいたのがフィーネだった。だから俺にとっては些細なことなんだ」
「……レイナルド様は、いつからご存じだったのですか……」
わかるような、わからないような。私の問いに、レイナルド様は悪戯っぽく笑う。
「フィーネは、最後にスウィントン魔法伯家で会ったときのことを覚えている? あのとき、俺は『フィオナ嬢は大切な人だ』と言ったと思うけど、本当はフィーネに伝えたつもりだった」
「……そんなに前から」
ハッとする。少し前、王立劇場での火事に巻き込まれて意識を失い寝込んでしまった私をレイナルド様がお見舞いに来てくださったとき。
あの日、スウィントン魔法伯家のサロンでレイナルド様は『すべてを受け入れるつもりでいる』と言ってくださった。少し意味がわからなかったけれど、今ならわかる。
レイナルド様はこのことを仰っていたのだ。
「いろいろ気にしているかもしれないけど、俺はこれからもずっとフィーネの味方だし、もし君を困らせるものがあるのなら排除する。それはずっと変わらない」
「は、排除?」
真面目に話していたはずなのに物騒な言葉が聞こえて、私はぽかんと口を開けた。けれど、レイナルド様は楽しそうに続ける。
「そう。排除するよ? フィーネはこれからどんどん正当な評価を受けることになると思う。それを、一番近くで見ていたいと思うのが俺の本音。そして、フィーネには傷つかないでほしいし風のない心地いい場所で守ってあげたいのも本音。でも、フィーネはそれを望まないのもわかりきっていて悔しいのも本音」
「わ、私は……」