校門
自室に戻ると、どっと疲れが伸し掛かってきた。朝の日課を終えると、足腰に疲労が蓄積するのはいつものことだ。俺は肩を鳴らして疲労が取り除かれるような心地よさをおぼえながら、カーテンレールに吊るしてあるハンガーに掛かった制服を取りに行く。窓からは柔らかい日差しが降り注いでいた。陽光を浴びた制服に触れると、わずかな温もりを感じた。俺はトレーニングウェアを脱ぎ捨て、真新しい制服に袖を通す。
校門を抜けると、道の両側に満開の桜の木が校舎の入口まで並んでいた。ところで、校門という言葉はいったい誰が発明したのだろう。学校の門と書いて校門だが、そこはかとなくいかがわしい単語に聞こえるのは気のせいだろうか。いや、気のせいではない。校門と、声に出して言ってみてほしい。誰しも排泄物が通過するための器官を示す肛門を連想したのではないだろうか。何しろひらがなにしてみれば両方ともこうもん。それどころかイントネーションですら肛門と校門とでほとんど変わらないのだ。これは大変恐ろしいことである。校門という言葉を考えた先人は校門からケツの穴を連想しておきながら恥じらいもなくそれを辞書に載せたというのだ。悪意しか感じられない。彼らはどこかで校門と言葉にした人を見てぷぷぷと笑っているはずなのだ。そして女子高生が校門と言えば興奮するようなどうしよもない変態に違いないのだ。そんな犯罪者予備軍を野放しにしてはいけないと俺は思う。俺は人類の命題にぶち当たった予感がした。