【第一幕】皇国潜入篇 第三・五節
【勇者アイリス】
少し気まずい空気を察知してリリスちゃんが休憩を提案してくれたのでそれに乗ることにした。
リリスちゃんがお茶を入れてくると言って部屋を出てから軽く自己嫌悪に苛まれる。
彼女はすごい。
私にはこういう時どう対処したらいいか全くわからない。
人付き合いの経験値が自分には圧倒的不足している事をを突き付けられている。
はぁ……
重苦しいため息がだだっ広い空間に溶け込む。
気が重くなった私は眼前の机につい身体を投げ出して、だらしなくしなだれかかってしまう。
こんなみっともない姿リリスちゃんには見せれない。
そもそも人前では弱みを見せないように躾けられてきたのだ。
好きな人の前では余計に気が張って、いつも以上に自分をよく見せたいと欲張ってしまう。
そんな風に格好付けている私だが、リリスちゃんに過去の話を少し聞かれただけでこんなに狼狽えてしまうなんて想定外だ。
嗚呼、情けない。
はぁ……
一人でいると見っともないため息が止まらない。
本当に私は情けないな。
そう自嘲する。
リリスちゃんの言い分はもっともだ。
彼女のいう通り私だけが彼女の過去に何があったかを知っていて、確かにそれは不公平だと思う。
それに私の過去はリリスちゃんに協力してもらう以上は知ってもらう必要がある。それが筋だと思うし、何よりも皇国の醜悪さ、権力者や支配者の横暴さや腐敗を知ってもらうためにも伝える必要がある。
そう思うのに…ただ彼女に真実を伝えることが今は何よりも怖い。
私の過去を伝えるということは私の醜い部分を全て晒すということだ。
私は心も体もすでに取り返しのつかないほど汚されている。
ありのまま事実を全てリリスちゃんに伝えたらどうなるだろうか?きっと私は彼女に軽蔑されるだろう。
確かに私は軽蔑されるべき人間だが、真実を話せば今のこの奇跡的な協力体制すらも破棄されかねない。
そう確信するくらいには私は私自身が嫌いだ。
身体も考え方も毒の沼に浸かりきっていて醜悪なことこの上ないからだ。
それにしても好きな人に嫌われることがこんなに恐ろしいことだとは思っていなかった。
その考えに行き着いたところで苦笑する。
だってこれではまるで普通の女の子みたいじゃないか。
私がどれだけ切望しても叶わなかった普通の生活、あれほど夢見た普通の女の子に今私は近づいている。その秘密のベールの一端を垣間見れているというのに、私の心は一切晴れやかにはなってくれそうにもない。
それどころか醜い感情が堆積し、曇天の様に私の心を覆い隠している。纏わりつく暗雲は私から光を奪い去る。
きっと過去の私が今の私を見たら弱くなったと評するだろう。
そしてそれは事実だと思う。
昔の私は他者の評価に一喜一憂することは無かった。むしろそんな事は無駄だと切り捨てていたに違いない。
過去の私には復讐しかなかったのだから。それ以外の選択肢など用意されていなかったのだから。
私は自分の中に芽生えた感情の変化に対応することが出来ずにいた。喜べばいいのか、それとも悲しめばいいのか分からずに只々戸惑うことしか出来なかったのだ。
このまま過去のことを考えていたらダメだ。
折角リリスちゃんが気を使ってくれたのにこのままでは彼女の気遣いを無駄にしちゃう。
私は思考をむりやり前向きなものに切り替えることにした。
そして今の私から生み出される感情は全て彼女に集約していると言っても過言ではないと思う。
リリスちゃんは私に色々と新しい事を教えてくれる様だ。
そういえば最近リリスちゃんの言葉遣いが変わってきたよね。
出会った当初の威厳に満ちた喋り方も格好良かった。その様は彼女が少し背伸びをして無理に大人ぶっている様で微笑ましい。だけど最近は段々と取り繕うのを諦めたのか、言葉遣いがくだけてきているのだ。その様子がとても可愛らしい。
どちらの話し方も好きだが、私は特に最近のくだけた言葉遣いをされる方が嬉しい。心を許されていると感じれるからだ。でもリリスちゃんになら多少強引にされるのも……良いかもしれない。
むしろ私が強引に彼女に迫るのも良い。というよりもリリスちゃんと一緒なら何でも良い。何がとは言わないがとにかく良いとい事だけは確信が持てる。
そんな風にリリスちゃんとの(少し不埒な)ことを考えていると私の中に余裕が戻ってくるのを感じた。
そんな時にタイミングよく彼女が帰ってきた。
お茶を淹れると申し出たのはリリスちゃんだったが、実際に目の前で準備している様子を見るとなんだか無性に感動する。
私にはマネ出来ない。そんな風に何かを生み出すことが出来る彼女のことが羨ましく思えたのだ。
その事を素直に彼女に伝えると予想外に喜んでくれた。些細なことでも喜んでくれる彼女の反応がとても嬉しかった。
彼女は照れながらもテキパキと準備を進めていく。その手つきに見とれているとすぐに紅茶が完成したようでカップを手渡された。
手渡されたカップからは柑橘系の爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。
一口含むと上品な苦味と瑞々しくも爽やかな香りが口の中を吹き抜ける。
たった一口で非常に美味しいことがわかった。
「おいしい…」
気がつくと心から賞賛の言葉がこぼれ落ちていた。
彼女の温かい気持ちが私の心に染み渡ってきて、潤してくれているかのように感じた。
気をぬくと涙が溢れそうだった。
ふと彼女を見やると自身のカップには手もつけず、ただ私を見つめて微笑んでいた。
その微笑みを見て浅ましい私は何度も、そう何度でも恋に落ちるのだ。