【第一幕】皇国潜入篇 第一節
【魔王リリス】
私たちの住むこの世界には二種類の知的生命体が存在している。
片方が人族だ。技術力に優れ、様々な知恵を持ってこの世界を支配している。
もう片方が我々亜人族だ。亜人は種族ごとに差はあれど基本的にはどんな個体も人族と獣を混ぜ合わせた様な外見をしている。
そんな奇異な外見をしているせいか、私たち亜人はこの世に生を受けた瞬間から迫害の対象だった。
私はその原因の一つに、この世は何事においても力を持つものが支配者に成り得るからだと考えている。
亜人は単一の個体として見た時は人族よりも優れていると言えるだろう。身体能力においても、寿命においても、生命力においても人のそれよりも大幅に優れている。しかしそんな亜人にも一つ重大な欠点がある。
繁殖力だ。
圧倒的に数で劣っていた私たちは人族の隆盛と共に世界の端へと追いやられていった。
そんな少数派の私たちは多数の種族が肩を寄せ合うように寄り添いあって、協力してこの世界を生き抜いてきた。
多種族共生国家なんていえば聞こえはいいが、実際のところは負け犬同士傷を舐め合って生きているだけだ。それに元々は違う文化を持っていたのだから、しきたりや考え方の食い違いもあって内側での争いごとも絶えない。
生きにくい世の中だと世界を恨んで今日まで生きてきた。
私はそんな糞溜のような世界の中でも一等くそったれな場所で生を受けた。
国家の盟主。つまりは王族である。
これは昔からずっと疑問に思っていたことなのだが、排斥されているもの同士が集まった時に今度はその中でまた差別が生まれるのは何故なのだろうか?
何故差別を受けている立場の者が、その痛みを知っている者たちがそれと同じことが出来るのだろうか?
それが身分や立場を手に入れた者達なら尚のこと醜悪になっていくのは一体何故なのだろう。
自身の利権を守るだけの保身馬鹿。
人を蔑むことでしか自身を肯定することができない高慢馬鹿。
競争相手を陥れることに至上の喜びを見出す下衆野郎。
王女であるが私に向けられた下卑た視線、視線、視線。
好奇の目を向けられるのも、下心剥き出しに擦り寄られるのもうんざりだった。
私の属する世界は絶望するほど醜悪に歪んでいる。
王族という立場から見た世界は右を見ても左を見ても腐りきっていて吐き気がした。
そんな腐った世界で生きている私だが、人生で唯一尊敬できる人もいたのだ。
それが私の祖父だ。
祖父は先先代の王としてこの国を束ねていた。
彼は立派な指導者であり、人格者だった。
また祖父は普段は物静かだが、いざ戦争が始まると鬼神の如く戦った。そのあまりの壮絶な戦いぶりに敵は恐れ慄き、味方は畏敬の念を抱いていた。祖父はその戦いぶりのあまりの苛烈さから隣接する国々を心の底から震え上がらせた。そしてついにはその国々と停戦協定を結び、人族との間に国交を回復させるにまで至った。
祖父は偉大な英雄として皆から一目置かれていた。そんな誰から見ても偉大な男だったが、祖父はそんなことで偉ぶったりはしなかった。
また彼は宮廷に篭るよりも市井に出向くことを好み、いつでも民を愛していた。民もまたそんな彼を愛し、どこにいっても彼は歓迎されていた。彼の周りはいつも笑い声で満ちていて、とても温かった事を今でも鮮明に覚えている。
私は祖父から王たる者の責務、生き方、戦い方と何から何まで教わった。家族の中でも祖父だけが私の将来を案じ、気を配ってくれていた。そんな厳しくも優しい祖父を私は愛していた。いつでもどこでも彼の背にくっついていた。
私にとっては彼の背中越しに見る世界だけが輝いて見えていたのだ。だけど幸せな時間は長くは続かなかった。
祖父は私が初陣を飾ったその戦場で命を落とした。
否、私の父である先王に陥れられたのだ。
「こ、ここは?」
気がついた時私は自室のベッドに寝かされていた。
そうか。私は気絶していたのか。
なにか酷い夢を見ていた様な気がする。
勇者が魔王である私に求婚するなんて……いやいや、どう考えても有り得ないだろ。
どう考えてもたちの悪い悪夢に違いない。
そんな事よりも頭に靄がかかったように重い。思考が定まらない。まるでまだ夢の中にいるかのような心地だ。
それなのに何故か気持ちだけがふわふわしている。
目を覚ますために水でも飲もうと上体を起こすと、ベッドの縁に勇者が座っていた。
そのあまりにも浮世離れした姿を見てしまい、私は
(寝起きに見るのは体に毒だな)
なんて益体のないことを考えてしまう。
「魔王、おはよう」
「あぁ、おはよう」
……まだ夢を見ているのだろうか?
そうだな。そうに違いない。
でないと仇敵が目の前で寛いでいることに説明がつかない。よし、もう一度寝よう。
「魔王、顔あかい」
そう言って勇者は私の頬に手を添える。
「体調、わるい?」
などと宣い、こてんと首を傾げる。
正直かなりあざとい。だが彼女がすると不思議と様になっている。
…って言うか手っ!
触られてる感覚があるってことはここは現実か!
にしても勇者はこういったことにも慣れているのだろうか?
その…勇者は美人だし。
やけに手馴れているように思う。
私はこんな風に触られたら普通にドギマギするし、嫌でも彼女を意識してしまう。
いつから私はこんなチョロい女になってしまったのか。
……だからと言って意識しているのが私だけで彼女はどこ吹く風って態度には腹がたつが!
私は身体中から理性をかき集め、彼女の手を振り払った。
「問題なんてない。それより一体なんのつもりであんなことを言ったの?」
勇者は心底不思議そうにしている。
「だから!私と貴様とで……け、けっ、結婚が、どうだとか言っていたあれよ!」
そう!あれが夢でないというのなら彼女には説明の責任がある。何をどうしたらあんなトンチンカンな事を言い出せるのか理解不能だ。
私の言葉を聞いてやっと彼女が得心がいったという顔をした。
この短いやり取りの中だけで今迄私が抱いていた【勇者】という存在のイメージが崩れていくのを感じた。
彼女は思っていたより何というか、抜けている。
良い風に言うと天然、取り繕わずに言うならバカだ。それもかなり。
「そのままの意味。私は魔王に協力する。魔王は私に協力して」
うん、抜けていると言うよりも彼女は会話が下手くそなのだろう。
何が言いたいのかさっぱりだ。
自己完結し過ぎている印象を受ける。
とにかく判断材料が足りない。そう思ったの私は会話を続けることにした。
「協力とはどういうことだ?」
すると勇者が無表情で私にとって重要な情報を溢す。
「私は魔王の父の居場所を知っている」
空気が凍てつく。
私はあらん限りの憎悪を込めて彼女を睨む。
そんな私の視線を事も無げに受け流す彼女が今は憎らしい。
「魔王が協力してくれるなら、彼らの居場所を教える」
確かにそれは喉から手が出るほど欲しい情報だ。
あのクソ野郎どもに復讐出来るなら誰に尻尾を振ろうが、悪魔に魂を売り渡そうが構わない。
唯一つ解せないことがある。勇者である彼女に私を殺す以外の目的がある…ということだ。
好奇心は猫をも殺す。だがこの時の私に断るという選択肢などなかった。つり下げられた餌があまりにも魅力的だったからだ。
この瞬間私の中では人との戦争も、国の威信も、守るべき民すらも消え、ただ仄暗い復讐心だけが心を満たしていくのを感じていた。
きっと悪魔と契約を結ぶ時、人はこんな心境になるのだろう。
神々しいまでに美しい悪魔が私の魂を刈り取りにきたのだ。
私は堪らず彼女に詰め寄り、胸ぐらを掴んで問いただした。
「目的はなんだ?」
すると彼女はゾッとするほど綺麗な笑みをうかべ、こう言い放った。
「神聖皇国を滅ぼしたい」
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