【第一幕】皇国潜入篇 第十六節
【魔王リリス】
「その態度が私のこと信じてないって言ってんのよ!もう私のことを信用しないアイリスなんてキライ!」
言ってしまった。
信じてないなんて一切思っていないのに、ついカッとなって言葉が口を衝いて出てしまったのだ。
後悔と苦悩が一雫、私の心にポトリと落ちる。
罪悪感が波紋の様に心に広がり、じわりじわりと私の心を苛む。
苦々しい思いが私の中に澱のように溜まっていく。
否定的な感情が芽生え、思考がどんどん悪い方向に向かうが自制できない。
本当に私が放った言葉は嘘だったのか?
もしかすると本心なのではないか?
私はアイリスのことが好きだ。
この世の誰よりも愛している。
彼女が大切だ。
なのに今はそんな彼女のことが憎くて、疎ましくて堪らない。
自分の中に生まれた相反する感情を処理しきれずに苦しむ。
それとも自分の想いなど中途半端な恋心に過ぎないのだろうか?
だからこそ彼女を疑う様な事を言ってしまったんじゃないだろうか?
むしろその方が救われる気がした。
ただ自分の想いに嘘はつけそうになかった。
苦々しい思いが胸いっぱいに広がる。
きっとこれが後悔の味というモノなのだろう。
アイリスが私を護ろうとしてくれている事は分かっている。だけど私が彼女に求めているのはそんな歪な関係ではない。彼女に庇護の対象として見られるのは我慢ならないのだ。
私と彼女は対等の立場であって然るべきなのだから。
そしてそう思っているのは私だけじゃ無い筈だ。
はじめに私に協力を求めてきたのはアイリスなのだから…。
私は自分の考えをまとめることに夢中になって、アイリスの異変に気がつかなかった。
突然彼女の足元が覚束なくなり、急に背後の椅子に倒れ込んだのだ。
アイリスの様子から尋常では無い事態を察した私は一度自分の中にある不安や葛藤を掻き消して、すぐに彼女の側に駆け寄る。
「アイリス?!大丈夫…な訳無いわよね。良いから横になりなさい!」
彼女の背を支え、取り敢えず床に横たわらせる。
顔色が土気色になっいる。
嫌な汗もかいているし、呼吸も荒い。
今の今まで気付いてやれなかったが、きっと相当な負荷をこの小さな身体に、心に掛けていたのだろう。
不器用で、口下手な彼女は誰にも頼らずに、一人っきりで全てを背負い込んで、それでも成しとげるつもりだったのだろう。
本当にバカだと思う。
バカで、不器用で、それでいて優しくて、信じられないほど愛おしい。
だけど今回、彼女は優しさを履き違えてしまっている。
彼女には人を巻き込まない事が優しさに繋がるとは限らないという事を、しっかりと理解して貰わなければならない。
その為にもアイリスの目が覚めたら、腰を据えてしっかりと話をしようと思う。
一先ずはこの場を収めるとしようか。
「済まないがハイゼンフォード殿、一度お取り引き願えないだろうか?」
私の言葉に黙り込んでいたハイゼンフォードがハッと意識をこちらに戻す。
「そ、そうですな。分かりました。ではまた明日同じ時間に此方に来るとしますかな」
私の言葉に動揺を見せるハイゼンフォード。
その様子が少し気になったが、今はアイリスのことだけに集中していたかったので、あえて無視する。
「分かりました。ではまた明日お待ちしてますね」
「……ええ、また明日ですな」
ハイゼンフォードは何か言いたげな様子だったが、その言葉を飲み込んで、自身のねぐらへと引き上げて行った。
彼が去った後、天幕の中には静寂で満たされる。
横たわるアイリスを抱え上げ、ベッドへと運んでいく。
鎧を身に着けていない彼女の身体は驚く程に軽かった。
その身体は枝の様にほっそりとしていて、少し力を入れるだけでポキっと折れてしまいそうで怖くなった。
こんなにも弱々しい身体で彼女は戦っているのか。
それもその筈だ。彼女はまだ十数年しか生きていない少女なのだから。
本来なら親の庇護下にいるべき年齢なのだ。それなのに皇国は、教会は彼女に最強の戦士である事を強要している。
その事実が無性に私を腹立たせる。
この苛立ちはどこから来るのだろうと少し考えて、思い当たる。
彼女の境遇が私と似通っている事が関係しているのだ。
私たちは多少の事情は違えど生い立ちが似ている。だから私は彼女に対して無関心ではいられないのだ。
私たちは望まない業を背負わされている。
どうにもならない現実と向き合って、それでも戦い続ける彼女に私は自身を重ね合わせているのかもしれない。
でも、だからこそアイリスには私を頼って欲しかった。
この誰にも頼れない理不尽な世界で私にだけは心を開いて欲しいのだ。
否、アイリスは私に心を開いてくれているのかもしれない。だからこそ私に自分の汚い所を見せたがらなかったり、私を危険な場所から遠ざけようと考えている節が彼女にはある。
その事が私を悲しませると、彼女は思いつきもしないのだろう。
寝息を立てる彼女に毛布を掛けながら、今後について考える。
私の存在は彼女にとって邪魔なのだろうか?
私がアイリスに同行する事で彼女の足を引っ張っているのだろうか?
私が彼女と一緒に皇国に乗り込みたいのは、単に私のエゴでしかないのではないか?
答えは、全て是だ。
私の主張はすべて私の我が儘に過ぎない。
だとしても私は自分が間違っているとはどうしても思えなかった。
私を突き放そうとした時、アイリスがとても辛そうな顔をした様に見えたから、どうしてもそれが彼女の本音とは思えなかったのだ。
そんな彼女を見ていたくなかった。
自分に嘘はついて欲しくないから。
私はこの先何があろうとアイリスの側にいたい。
この気持ちを後悔することはないと断言できる。
そしてアイリスにも自分の本当の気持ちを私に伝えて欲しい。
自分の気持ちを整理して見ると、驚くほどに単純な答えが出てきた。
彼女に本当を望むからには、私も勇気を振り絞ろう。
「ん…」
アイリスのうわごとにビクッと肩を震わせる。
違います。いくら自分に嘘をつかないと誓ったからって、いきなり寝込みを襲おうなんて野蛮な事は考えていません!ちょ、ちょっとだけ、その柔らかそうな唇に目が奪われただけで、なにかしようだなんて思っていませんから!
そんな弁明を必死になって、心の中で誰に聞かせるでもなく垂れ流していると、アイリスのうわごとが苦しみに満ちたモノに変わっていく。
「やめて……来ないで…もう……ゆるして」
彼女は一体誰に許しを乞うているのだろう?
何が彼女をそこまで苦しめているのだろう?
何故自分がそんなに苦しんでいるというのに、彼女は私の心配ばかりするのだろう?
やっぱり彼女はバカだと思う。
自分がどんなに辛くても、人の事を気にしてばかりで、お人好しにも程がある。
そんなどう仕様もない事に苦しむ彼女の頰に手を添えて、ずっと言いたかった事を言ってやる。
「アイリスのばか。そんなに何でもかんでも背負わないで。少しは私にも分けなさいよね」
彼女はとことん人の気持ちには鈍感だと思う。
なまじ自分に能力がある分、全てを自分の力だけで解決しようとする。たとえそれで自分がどれだけ傷付こうが御構い無しに。
それを見護る者がどんな気持ちになるかなんて一切考えないで。
今朝、血塗れの彼女の姿を見た時に感じた寂寥を思い出す。
アイリスは私の事を大事に思ってくれている。今更そこを疑うつもりなんてない。だから今度はアイリスに、自分のことを大事に思っている人が居るって事を知って貰おう。
そう決意し、彼女の頭を撫でていると、安心したように寝息をたて始めたので安心する。
安らかな寝息をたてる彼女を見ていると、私もなんだかどっと疲れが出てきた。なので私も彼女の隣に寝転がって、少しの間休むことにした。
横で目を瞑っていると、彼女の温もりが私を眠りへと誘なう。
何故だろう。アイリスの隣にいるとどうしようもなく安らぐのだ。
きっと彼女の出すフェロモンか何かが、私の張り詰めた空気をそっと緩めてくれているに違いない。
弛緩した脳でそんな事取り留めの無い事を考えていると、心地よい微睡みが波のように打ち寄せてくる。
その誘惑に抗うことも出来ず、私はただ身を任せることにした。
気が付くと天幕の裾から西陽が差し込み、時刻が夕刻に差し迫っている事を知る。
思ったより長い間眠ってしまっていたようだ。
そんな事より今、重大な事件が起こっている。
アイリスが私の頭を撫でている!
ま、まぁ?もう婚約もした(してない)間柄だし?頭なでなでくらいで騒いだりなんて、そんな子供っぽい事は私はしないし?
そんな事を考えていると彼女の手が私の頭からそっと離れる。
ああ、もう!もう少し撫でていて欲しかった!
そう口走りそうになった私の背に向かって彼女は重々しそうな口を開き、言葉を紡ぐ。
アイリスは私が眠っていると思っているのだろうから、きっとこれは彼女の独白だ。
私はそっと彼女の言葉に耳を傾ける。
「本当はリリスちゃんに伝えなければいけない事がある」
その後、彼女の口から告げられた言葉はそれなりの衝撃を私に齎していた。
アイリス曰く、彼女は私のお祖父様に私と亜人の未来を託されたらしい。
アイリスとお祖父様に面識があったということにも驚いたし、お祖父様の最期に立ち会ったのがアイリスだという事実にも多少は思う事がある。だけどお祖父様は最後の瞬間まで立派に生きていたと彼女が言うのだ。そのことを知れたのは単純に嬉しかった。
それに最後の方自信なくしてたし。たぶんってなによ。たぶんって。
だけど彼女の言葉で何よりも引っかかったのは、アイリスが私には生きて欲しいと言う割に、自分自身の命を軽く見ている節があるというところだ。
まるで彼女が自ら死を望んでいるかのように。
自分の命にはなんの価値もないと見切りをつけてしまっているかのような態度に腹が立つ。
その思い込みが私の癇に障る。
だから私は彼女を見上げて睨みつける。この目にありったけの怒りを込めて。
私の視線に気が付いた彼女は分かりやすい程に動揺して見せた。
やはり私は寝ていたと思い込んでいたのか。だけど今はそんな事関係がない。それよりも彼女には聞くべき事が沢山あるのだから。
そう思い、上体を起こして彼女に問う。
「アイリス、今の話って…なに?」
普段よりも多少冷ややかな態度をとってしまったが、それも仕方ないのだろう。
隠し事をしていたのはアイリスなんだから、少しくらいは怒っても良いだろう。
そう思いアイリスに目を向ける。すると彼女は両目に涙を溜めて、叱られるのを怖がる子供の様にビクッと震えて俯いてしまう。そんな彼女の様子に、すっかり毒気が抜かれてしまった。
本当は恨み言の一つや二つくらいは言ってやるつもりだったのだ。だけど、アイリスがあまりにも可愛い態度を取るものから、つい甘やかしそうになってしまう。
だけど彼女の独善だけはしっかりと正さねばならない。
そう考えた私は取り敢えず彼女の勘違いを(優しく)悟すことにした。
「アイリス、言いたい事は沢山あるけど取り敢えず一つ。…貴女、本当に何も分かってないのね」
「え?」
私の言葉の意味が分からないと言った様子で、呆気に取られるアイリスを見ていると、やっぱり無性に腹が立ってくる。
どうやら彼女には一から説明せねばならないみたいだ。
私は努めて優しい口調を意識しながら彼女に語りかける。
「アイリスは私の事大事に思ってくれているのよね?」
私の言葉に勢い良く頷くアイリス。そんなに強く首を振っていたら取れちゃいそうだ。
「どれくらい大事?」
「私の命に代えても護りたい。それくらい大事」
大真面目な顔でそんな事を言ってのけるものだから、危うくこっちが照れてしまいそうになる。
彼女が真剣に答えてくれているのだから、此方も真剣に彼女と向き合わなければならない。
そう思った所で、今まで彼女に対して自分の気持ちを伝えていない事に気がついた。そんな状態で彼女に対してだけ怒っている自分がひどく恥ずかしく思える。自分の行いを省みると、これではまるで子供の癇癪だ。
穴があったら入りたいほどに恥ずかしい。むしろ今からでも堀ってやろうかと大真面目に考えてしまう。
私が羞恥に悶える様子を、アイリスがキョトンとしながら見つめてくる。
そうだ。彼女は私じゃないんだから、私の気持ちなんて伝わるわけがない。
どれだけ私が恥ずかしい思いをしても、彼女はそれを知る由もないのだ。
そのことが嬉しいような、悲しいような、なんとも言えない気持ちが去来する。
そ、とにかく!今、私には大事な使命があるのだ。アイリスに私の気持ちを伝えるという使命が。
一命を砥して、挑む必要がある。
さぁ、勇気を振り絞れ、私。
「私もそうよ」
「ど、どういうこと?」
「私にとってもアイリスは命に代えても護りたい、そんな大事な人だってこと」
「え、それって」
どういう意味?
彼女の目が私に問いかけてくる。
その目に少し怯む。
自分の気持ちを打ち明けることがこんなに怖いことなんて思いもしなかった。だからと言ってここで怯んでいられない。
ここが私の正念場だ。
臆病風に吹かれるな。
言え!
「アイリス、私は貴女のことを愛している」
「へ?」
アイリスが驚いている。
だけど今は構っていられない。
そこからは堰が切れた様に感情が溢れ出した。
「愛してるの、アイリス。この世の誰よりも愛してる」
言葉が止まらない。
「だからアイリスには無事でいて欲しい!貴女が傷付くところなんて見たくないの。私の目の届かないところに行って欲しくないの!私の見ていないところで貴女にもしものことがあったらと思うと気が気じゃないの!」
「リリス…」
「皇国に行くなら私も連れて行きなさい!置いて行こうとしても無駄よ。たとえ一人でも、地の果てまでもアイリスのこと追いかけて行くんだから」
その結果死んじゃったとしても絶対行くから。
そう告げられたアイリスの表情は何とも形容し難いものになっていた。
きっと彼女自身喜んだら良いのか、悲しんだら良いのか、憤ったら良いのか分からずに悶えているだろう。私が彼女と同じ立場に立ったと考えたら、きっと私も彼女と同じことを言うだろうから。
ただ私が本気だという事を彼女も察したのだろう。
絶望の雰囲気が彼女を包んでいた。
一体教会はどれだけの傷を彼女に負わせたのだろうか。
一体どれだけ彼女は苦しめられたのだろうか。
その痛みを想像することしか出来ない自分の無力さが恨めしい。
「でも…私、リリスのお祖父さんを…」
「アイリスはお祖父様と一騎打ちで決着をつけたんだよね?」
アイリスに最後まで言わせずに、疑問を被せる。彼女は戸惑いながらもその疑問に答えてくれる。
「う、うん」
「なら仕方がない。お祖父様は決闘で負けた。それだけの事よ。お祖父様もきっと納得なさった筈よ」
私の言葉にアイリスは驚く。
自惚れても良いのなら、彼女はこの事を私に伝える事で、私に嫌われることを怖かったのだろうか?
「り、リリスは怒らないの?」
「隠し事をしていた事には怒ってます」
「そ、それだけ?私はリリスにとって仇じゃない?」
「私達がしている事は何?戦争よ?恨みつらみなんて腐るほど見てきたわ。それに正々堂々と勝負した結果にまでケチをつける気はないわ」
「……リリスってお祖父さんと似てるって言われない?」
「あら?光栄ね。お祖父様は私の目標だもの。それは私にとって最高の褒め言葉よ」
それを聞いてアイリスが苦笑いを浮かべる。
苦くても何でもアイリスは笑っている方が素敵だ。
彼女に笑ってもらえるのは本意だったが、一応は突っ込んでおく事にした。
「何よ。何か文句でもあるのかしら?」
不機嫌そうな声音で問い詰めると、堪らずアイリスが吹き出した。
「ふふっ…ううん、文句なんてない」
楽しそうに笑うアイリスを見て、私も心が弾むのを感じた。
一頻り笑い合った後、二人で顔を突き合わせ今後の方針を纏める事にした。
「私も一緒に皇国に行く。それで良いわね?」
「分かった。一人で突撃されるよりは一緒の方がまだマシ」
彼女の言葉に内心ガッツポーズを決めていた私だが、努めて冷静に振る舞う。
「…そう。分かってくれたなら良いの」
動揺して少し声が裏返ってしまったが、アイリスは気付かないフリをしてくれる。それどころか私を見る彼女の顔は慈愛に満ちていた。
やはりアイリスには笑顔が良く似合う。
「リリスに改めてお願いする。一緒に皇国に来て。お互いの復讐を果たそう」
「分かったわ。もう勝手に置いてこうなんて思わないでね」
「約束」
真剣な表情で頷くアイリスを見ていると愛しさと、ちょっと揶揄いたい気持ちが湧き上がってくる。
少しニヤつきながら彼女に声をかける。
「それよりアイリス、私が寝ている時、私のことなんて呼んでたっけ?」
キョトンとした表情のアイリスにもう少しヒントをあげる。
「えーっと…確か…リリスちゃんだったかしら?心の中では随分と可愛い名前で呼んでくれているのね?」
私のつぶやきを聞いたアイリスは、みるみるとその顔を真っ赤に染め上げた。
慌てふためく彼女たっぷり堪能した後に彼女の耳元に口を寄せ、こう囁く。
「良いのよ、アイリス。これからは好きな様に呼んでくれても」
私の囁きを聞いたアイリスは唇を尖らせ、真紅に染め上げた頰を膨らませて、ぼやく。
「リリスは意地悪だ」
そんな彼女の様子が可笑しくて、私はまた笑い出す。
そんな私につられてアイリスも笑う。
笑っている間は目を背けたくなる様な過酷な現実も、絶望しかない待っていないであろう未来も、何もかもを忘れられる。
今だけはただ二人、この瞬間の奇跡のような幸せな時間を噛み締めていた。
暫くの間、辺りには二人分の笑い声が響いていた。




