第三話
あり得ない。
俺は小説を読んでいただけなんだぞ。
作中の、俺と同じ名前のキャラクターにタバコの火が押し付けられたからといって、俺が火傷をするわけがない。
だが、事実俺は左手の甲に火傷を負ってしまった。
その時感じた痛みは、幻覚ではない。
まさか、サユリの呪いなのか……?
くそっ、どうしたらいい?
なんとかサユリに許してもらわなければ。
そこで俺は、妙案を思いついた。
サユリは俺が書いた感想に腹を立てて、こんなことをしているのだろう。
ならば、きちんとした感想を書いてやれば、怒りを鎮めてくれるかもしれない。
俺は『郷田武文の異世界冒険記』をブックマークし、評価を★★★★★にした。
そして、必死に文面を考え、感想を書き始めた。
―――
良い点:
酔っていない状態で改めて読み直してみると、印象がガラリと変わりました。
文章がとても読みやすいです。
テンポよく話が進むので、読んでいて飽きません。
普通の高校生だった主人公が、闇に落ちていく過程も説得力があり、ランキング上位作品に時折見られるような不自然さが感じられません。
一言:
毎日更新するのは大変だと思いますが、無理のない範囲で頑張ってください。
これからの展開に期待しています!
―――
まあ、こんなもんだろう。
読んで嫌な気分にはならないはずだ。
翌朝、ユーザページをチェックすると、メッセージが届いていた。
"感想に返信が書かれました"
来たか……。
俺は恐る恐る、サユリからの返信を読んだ。
『ずいぶんとまともな感想も書けるんですね。左手がよっぽど熱かったのでしょう。
それで許してもらいたくて感想を書いたんでしょうが、駄目です、許しません。
見え透いてますよ、ただ私の怒りを鎮めるためだけに、思ってもいないことを書いてるのが。
私が最初の感想で受けたショックは、こんなもんじゃ収まりません。
さて、今日はどんな痛い目に遭わせてあげましょうか。
楽しみに待ってな!!』
血の気が引いた。
完全に見透かされている。
どうしようか。
このままにはしておけない。あいつは今日も俺を傷つける文章を書いて投稿するつもりだ。
運営に通報するか?
いや、信じてもらえるわけがないな。あいつの文章が現実になって、俺が火傷をしたなんて。
あいつが書いた返信の内容には、脅迫めいたことが書かれているので、それを通報してもよいのだが、せいぜい返信を削除するぐらいのことしか、してもらえないだろう。
俺は今日は仕事を休み、なんとかサユリを説得することにした。
作者とコンタクトを取りたい場合、感想を書く以外に、直接メッセージを送る方法がある。
俺はサユリにメッセージを送ることにした。
『私は堅牢なる穴熊囲いさんの小説が面白いと思ったから、感想に書いたのですが、そう思われなかったということは、私の文章力が足りないせいだと思います。そのことは本当に残念です。
ひとつお聞きしたいのですが、なぜ作中のキャラクターにタバコの火が押し付けられると、読んでいる私まで火傷を負ったのでしょうか。あなたの文章には特別な力があるのでしょうか。どうか教えてください』
それを聞かずにはいられなかった。
一時間後、返事が届いた。
『あなたは小説家の力をなめているようですね。
いいですか、小説家は本来、書いたことを現実化する能力を持っているんです。
もちろん、全ての小説家にできることじゃありません。私もあなたの感想を読むまでは、そんなことはできませんでした。あれを読んだことで、悟りを開くことができたんです。
その意味では、あなたに感謝するべきかもしれませんね。
悟ったのは、強い思いをこめて書いた文章には力が宿るということです。
力が宿った文章は単なるフィクションではなく。現実に起こることなのです』
「んなわけねえだろ!」
思わず、声に出して突っ込んでいた。メッセージには続きがある。
『あなたにはこんな話、信じられないでしょうね。それがあなたと私の違いなんですよ。
文章を現実化させるには、そうなると信じきる必要があります。
ほんのわずかでも、そんなことは起こり得ないと、疑いの心を抱いては駄目。
自分の書いたことは本当に起きる、と完全に信じこんで書くこと、それが文章を現実化させる条件です。
私は、作中の九頭竜義景という人物を傷つければ、同じ名前の現実世界のあなたも傷つけられる、と信じて書いたのよ』
そんなことを信じられるのは、サユリのような狂人だけだろう。
午後四時ごろ、最新話が投稿された。
読むのが怖い。今度は何をされるんだろうか……。
そこで俺は気付いた。
読まなきゃいいじゃないか。
こんな単純なことに気付かないとは、俺はよほど追い詰められていたのだろう。
俺はスマホの電源を切り、今日は「小説家になろう」を見ないことにした。
そしていつものようにビールを飲みながら、テレビを見ていたときのことだった。
時刻はちょうど午後十時だった。
背中に強烈な痛みが走った。
まるで鞭でたたかれたような、鋭い痛みだ。
それは一発では終わらなかった。
二発目、三発目、四発目……
結局五回、鞭でたたかれた……ような痛みを味わった。
俺は半死半生になりながらも、這って洗面所に移動し、鏡で自分の背中の状態を確認した。
……ひどい有様だ。
大きなみみずばれの痕が痛々しい。
皮膚が裂け、血が噴き出していた。
痛い! 痛い! 痛い!
なぜだ! 俺は何も読んでいないのに!
気が進まないが、確認せずにはいられない。
俺は布団にうつ伏せに横たわると、スマホを起動し、『郷田武文の異世界冒険記』の最新話を読んだ。
―――
「さて、今日は何をしようかな」
武文は嗜虐的な笑みを浮かべた。
「お願いします。もう許してください」
義景は土下座をして懇願するが、むろん聞き入れられるわけがない。
武文はアイテムボックスから鞭を取り出した。
「鞭はね、相手に苦痛を与えることを目的に生み出された武器なんだよ。素晴らしいと思わないかい?」
「もう、やめてください。なんでもしますから」
武文は義景の背中に鞭を振り下ろした。
ピシィッ!
「アアアアアッ!」
ピシィッ! ピシィッ! ピシィッ! ピシィッ!
義景は、あまりの痛みに、息も絶え絶えになっている。
「ケケケッ、まあ、すぐに死なれても面白くないから、今日はこのへんにしとくか。じゃあ、明日をお楽しみにね♪」
武文は這いつくばる義景を放置して、立ち去った。
―――
この話の投稿時間は午後四時となっている。
そしてその六時間後、読んでもいないのに、作中の登場人物と同じように、俺は鞭で打たれたような痛みを味わった。
痛みだけではなく、実際に傷を負っている。
わけがわからない。
読まなくても文章が現実になるんじゃ、どうしようもないじゃないか。