第二話
「『堅牢なる穴熊囲い』さん……?」
すぐに俺は、三日前に感想を書いた小説の作者だと気付いた。
てっきり、男だと思っていたのだが。
俺の背筋に冷たい汗が流れた。
どういうことだ? あの感想を書いたのが俺だとわかったというのか?
ありえない。
俺はもちろん、本名で感想を書いたりはしていないし、住所がばれるはずもない。
「お、俺に何か御用でしょうか」
声が震えてしまった。
このサユリという女は――怖いのだ。
ただでさえ、ホラー映画に出てきそうな風貌である。それに加えて、身にまとっている雰囲気が常人のものではない。
「確かに『郷田武文の異世界冒険記』は、お世辞にもよくできた小説とは言えないのでしょう。今まで一度も、評価がついたことがなかったのですから」
サユリの声からは怒りがにじみ出ていた。「だから、初めて感想を書かれたのを見て、とても嬉しかったのです。――その中身を見るまでは!」
彼女は体を小刻みに揺らし始めた。
なぜか右腕を上げたり下ろしたりしていて、そのたびに殴られるのではないかと、俺の体はビクッと震える。
細かった目は大きく見開かれ、小さな黒い瞳の四方を白目が取り囲んでいる。
「ご、ごめんなさい。あの時は酔っていて……」
女の迫力に押されて、思わず謝ってしまったが、これではあの感想を書いたのが俺だと認めてしまったことになると気付いた。
もっとも、彼女はもともと確信をもっているようだったが。
「あなたの感想を読んだ時の、私の絶望が想像できるかしら。『郷田武文の異世界冒険記』は、私の宝物なんですよ! 私の子供なんですよ!」
彼女の口調は、どんどん激しくなっていった。「もっと有意義なことに時間を使えですって! 私を心配するがゆえの意見ですって! 大きなお世話よ! あんた、何様のつもり!?」
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
あまりの怖さに、俺は彼女の顔を見ることもできずに、謝り続ける。
今までの人生で、こんなむき出しの怒りをぶつけられた経験はなかった。
だが、これだけは聞いておかねばならない。
「どうして、あの感想を書いたのが俺だとわかったんですか? それに住所まで?」
「そんなことはどうでもいいだろおおおっ!!」
「はい! はい! そのとおりです!」
俺はまた、頭を下げた。
反論など、できそうにない。完全にサユリの気迫に圧倒されていた。
「けーっ、けっ、けっ」
サユリは奇声をあげた。
「けっ、けっ、けっ、けっ、けっ」
俺は恐る恐る顔を上げた。
靴底が見えた。
「ぎゃあっ」
顔に強い衝撃を受け、俺は吹っ飛ばされた。
三メートルは飛んだだろうか。口の中に鉄の味がした。鼻血が出ているようだ。
蹴られた。
その事実に、俺は顔の痛み以上にショックを受けた。
これは現実なのか。
「義景ええぇぇっ!」
「は、はいっ!」
サユリは倒れている俺に指を突きつけ、叫んだ。
「今日、『郷田武文の異世界冒険記』の続きを投稿したから、絶対に読めよおおっ!」
そう言い捨てると、サユリは去って行った。
俺は恐る恐る『郷田武文の異世界冒険記』を開いた。
もちろん読みたくはなかったが、住所までばれている以上、逃げられないだろう。
今日の午後四時ごろに、最新話が投稿されているようだ。
俺は意を決して最新話を読み始めたが、その一行目を読んだ時、衝撃で倒れこみそうになった。
―――
武文は、かつての仲間だった九頭竜義景が無様に命乞いをする様子を見て、暗い笑みを浮かべた。
「どうした、義景。お得意の光の魔法で反撃してみろよ」
「た、助けてくれ武文。僕が悪かった。僕たちは君を追放するべきじゃなかったんだ」
「のう武文、ここまで頭を下げておるのじゃから、命だけは助けてやってはどうじゃ?」
「相変わらずロリエルは優しいな」
武文はロリエルの頭をなでてやった。
―――
どういうことだ!?
なぜ、俺の名前が?
どうやら、主人公を追放した五人のうちのリーダー格の男、光属性の魔法使いの名前が、俺の名前になっているようだ。
もちろん、三日前に読んだときは、違う名前だった。
俺は過去の話を改めて確認した。
すると、初めからその男の名前は九頭竜義景になっていた。
「小説家になろう」では、投稿済みの話であっても、後で書き換えることができる。
サユリは主人公に復讐される男の名前を、俺の名前に変えてしまったようだ。
ちなみに、ロリエルというのは、見た目が幼女の魔王だ。
―――
「仕方ねえなあ。ロリエルがそう言うなら、今日はこれで勘弁してやるよ」
そう言って武文はアイテムボックスからタバコを取り出し、火をつけて吸い始めた。
「な、何をするつもりだ」
義景は逃げようとする。
「動くな。ダークバインド!」
義景は闇の鎖によって、拘束されてしまった。
「くっ、動けない」
武文は義景の左手を、地面につかせた。
そして、くわえていたタバコを手に取った。
「何をする? まさか……やめてくれーっ!」
義景の左手の甲に、タバコの火が付いている部分が強く押し付けられた。
「ぎゃああっ!」
―――
「ぎゃああっ!」
急に左手が熱くなり、俺はスマホを取り落とした。
手の甲に、たった今焼かれたような、丸い火傷ができていた。