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虹粒集め 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 ふー、危なかった〜。爆発寸前だったよ、もう〜。

 いや、「ヤバイヤバイヤバイ……」で飛び込んで腰を下ろす、便座のありがたみといったらないね。間に合えば天国、間に合わなきゃ地獄。本当、トイレっていうのは人生の分かれ道だと思うんだよ、僕は。


 ――ん? だいぶ長かったけど大丈夫かって?


 それがさ〜、腰を下ろしたはいいけど、いざというときになると踏ん張っちゃうタイプで、きつかったよ。

 前の日、がんがん肉ばっか食べてたから、そのせいかね……。水もあまり飲まなかったし、だいぶ偏りがあったかもしんない。

 こーちゃんは最近、食事にちょっとばかし気を遣い出したって、いっていたっけ? お通じ、問題ないかい?

 お通じは健康診断にも使われる、大事な指標。おおっぴらに学校では検便しなくなったと思うけど、食と並んで排泄はなじみが深い。前者に比べると、あまりいい顔されないけどね。

 それらをめぐって、少し不思議な話をおじさんから聞いたんだけど、耳に入れておかないかい?



 おじさんは小さいころ、おせんべいをかじるのが大好きだった。いまでも好きらしいけど、血圧とかその他のことで量は控えているとか。でも昔はそんなことを気にする考えなどなく、家に帰ってくればしょうゆせんべいにかじりつくのが、常だった。

 せんべいの入っている棚は把握している。その日も外遊びから帰ってくるや、「夕飯までまだ時間がある」と、いつも通りぱくついた。

 個包装された黄土色をしたせんべいの肌は、ぶつぶつといくつもの小さい山を作り、おじさんの粘膜を待ち受ける。下手に触ってこすったりすれば、しょうゆのしょっぱさも重なって、ひりひりとした痛がゆさが走り出すんだ。


 無作法な侵入を許すまいと、おじさんの歯は検閲官に早変わり。ちまちまとせんべいの身体をかじり砕き、更にのり状へすりつぶしながら、ようやく奥へと通していく。

 件の山は、必ずストップを食らった。過去の「しょっぱい経験が」おじさんの中に生きている。わずかな出っ張りも歯は逃さず、その山のてっぺんからぱっくりと、断頭台のような一撃を加えていった。

 ぷっくり膨らむ山の中は、白くて細いいくつもの糸が重なったみたいな、不思議な光景。虫のまゆの中身をのぞいたら、こんな景色なんじゃないかって、おじさんはいつも思っていたそうだ。


 その断面をいくつも越えて、いよいよせんべいも残すところ3分の1といったところで、おじさんの歯は思わぬ抵抗を受ける。

 山が硬かったわけじゃない。先駆者と同じように、おじさんの丈夫な前歯によって真っ二つに割られたけど、問題はその中身だった。

 山の内側より、ボロボロと崩れ出てくるものがある。そのいくつかはすでにおじさんの口の中へ入り込んでいて、せんべいもろとも、粉砕の刑にかけられていた。

 その味、その硬さ。おじさんは研がれていない米粒のように感じたらしい。

 当初こそ歯ごたえがあるものの、唾液に絡まりながらプレスされるうち、じょじょに態度が柔らかくなっていく。いま口の外にあるせんべいの断面からも、山の中からゴマ粒のようにぽろぽろと、床の上へこぼれ落ちていくもの、数多し。

「こぼさずに食べなさいよ」と、包丁の音を響かせながら、おばあちゃんが背中を向けつつ、注意してきた。



 せんべいが米からできていることは、おじさんも知っている。もちを平たく伸ばして、焼いたものがせんべいになるのだと。


 ――まさか、もちの段階でつきそこねた米が、ここまで残っていたのか? そんなことありえんのか?


 いくら考えようと、すでにそれらはせんべいと一緒に、おじさんの胃の中。

 おかしな味ではなかったし、調味料程度と思いかけていたおじさんだけど、問題はトイレに入った時に起こる。


 痛い。そして、しぶとい。

 当時、新型の洋式便座に腰を下ろしたおじさんだったけど、その心地よさなんかあっという間に吹き飛んだ。

 座るまでは、これまでと大差ない便意だったはず。それが尻と体重を便座に預けたとたん、漬物石のごとき重さで、おじさんの下っ腹にのしかかった。

 それもすぐに出ていきたがる気配じゃない。胃も腸もいっぺんに巻き込んで、ぐるぐると行き帰りを繰り返し、少しでも長く居座ろうとしている。いきむたびに、キリキリと自分の中へねじ込まれるような痛みが走って、内側から突き破られるかと思った。


 ――お腹が詰まったら、渦を巻くようにお腹をさすれ。


 おばあちゃんにいわれた通り、おじさんは痛みをこらえながら左巻きにお腹をなで続ける。うめき声をあげたいのを何度もこらえながら、痛みを少しずつ押し下げていく……。



 籠城して、どれくらい時間が経ったろうか。

 ちょうど尻の辺りまできたかと思った時、どっとその穴から飛び出ていく感覚があった。

 これまでのいかなる便意よりしぶとかったんだ。解放感もひとしおで、思わずおじさんはトイレのカバー。いまは背もたれのようになっているそこへ寄りかかって、一気に押し寄せてくる眠気に、ウトウトしている。

 自分の股下から響くはずなのに、何メートルも先にあるかのように感じる頼りない音は、用を足すときにいつも聞く水音とは違う。


 カツカツ、パラパラ、コロンコロン、パラパラ、ポチャポチャン……。


 強まる眠気に視界をぼやけさせながら、おじさんが便座の中を見下ろすと、そこには瑠璃色になった真珠の輝きがあった。

 実際にどのようなものか分からない。形こそイクラを敷き詰めたようだけど、のぞく角度によってその色は異なる光を放ち、水の上に、便器の壁に、ぴっとり浮かんでしがみつく。



 ブブブブ……と小さな羽音。

 開けっ放しにしていたトイレの小窓から、つぎつぎと飛び込んでくるのは、カマキリによく似た姿。指先にも乗っかりそうな彼らが、何十匹と連なって、おじさんの股と便座の間からどんどん中へ飛び込んでいく。

 あやまたず、あの真珠たちの上に立つ彼らは、その身体にどんどん粒をひっつけていく。その様を眺めるおじさんは、なお重くなるまぶた、手足を引力に任せ、だらんとさせるよりなかったみたい。


 やがてカマキリたちは甲冑をまとうように、身体中に真珠をいっぱいひっつける。

 おじさんが身動きできないのを尻目に、またも便座のすき間から飛び出て、入ってきた窓から帰っていったんだ。

 おじさんが動けるようになったのは、彼らがすべて帰ってから少しして。長いトイレを心配したおばあちゃんが、ドアを叩いてきたときだとか。

 そのときはもう、あの虹色の真珠は、もうひとつぶも便器の中に残っていなかったんだ。


 おじさんは後になって、コピ・ルアクのコーヒー豆を知る。

 ジャコウネコの中を通り、作られるこの高価なコーヒー豆は、ネコの消化酵素や腸内細菌の影響を受け、独特の価値が与えられているのだとか。

 ひょっとしたらおじさんが口にした粒も、あの虹色の真珠を生み出すのに、必要なことだったかもしれない。

 

 


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気に入っていただけたら、他の短編もたくさんございますので、こちらからどうぞ! 近野物語 第三巻
― 新着の感想 ―
[一言] コピ・ルアクを検索してみたら、サルやゾウによるものもあるらしいですね。 彼は虹色の真珠のためになかなかの苦しみをともないましたが、コーヒー豆のニャンコ達はそうでないことを祈るばかりです……。…
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