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君への手紙

老齢となった君に

作者: まさかす

 この手紙を読んでいるという事は、私はこの世にいないという事でしょう。だから最後に手紙に書き留めておこう。


 年金生活となって数十年が経った。裕福とも言えず贅沢も出来ないが、穏やかな日常を送る事が出来ている。何をするでもない日常は、健康さえ保てさえいればそうそう困る事は無い。


 今の若い世代が年金を貰う様な年齢になったとしても、それを受給すること自体が非常に困難なのかもしれないと言われる中で、金額が少ないとはいえ、貰えること自体が有難いとも言えるのだろう。


 既に90歳を超え平均寿命はとうに越えている。足腰も弱り歩く事すら困難になってきた。細く長い人生と言える平凡な人生だったが、悪くない人生だった。もうすぐお迎えが来るのだろうが安らかに逝ける気がする。


 それでも後の世がどうなるのか見る為に、もっともっと生きていたいと思う。それは贅沢という物だろうか。

 




 そんな短い内容の手紙を見つけた。誰が書いたのかも分らないが、凡そ200年程前に書かれた手紙のようだ。


 当時の平均寿命は80歳後半と言う事で随分と短いのだなと思う。現代における平均寿命は180歳。200歳を超えると長寿と言われる。細胞レベルでの先進治療もあたりまえという現代の医療技術の進化の甲斐あっての長寿である。


 長生き出来るようになったのと比例して、現代の年金受給開始年齢も大幅に後ろ倒しとなった。手紙の主の時代においては、75歳程で年金受給開始という事で良い時代に生きたのだなと思うと同時に羨ましく思えた。


 聞いた所によれば、手紙の主の時代から年金の受給開始年齢を少しづつ引き上げてはいったものの、平均寿命が延び始めたのと呼応するかのようにして、年金制度の破綻が秒読み段階に入ったと言う事だ。その暫く後、破綻を目前にして平均寿命に合わせた「年金寿命スライド」という制度が始まった。


 平均寿命から10年を差し引いた年齢から需給が開始されるその制度に於いては「とても生きてはゆけない」「老後の計画が立てられない」という、当然とも言える反発が相当あったという。


 更にはブルーカラー層を対象に「年金寿命スライドに合わせた定年制度にしろ」という政府からの強いお達しが、企業の規模を問わずに出された。企業側は「そんな長寿の定年制度など維持できない」と強く反発したが、それでも強行せざるをえない状況であったという事らしい。


 年金機構単独で賄う事も出来ず、他の社会保障への負担を減らすという意味も含めて、個人や企業に負担を負わせざるをえなかったという事らしい。


 私も来年で199歳。後2年生きれば200歳に届く。私が年金を貰い始めたのは165歳だった。


 私の子供は160歳。まだまだ働かなければ生活は出来ないが、平均寿命が延びるのと体力が保持出来るというのは別物であり、私を含めてその年齢の者は皆、骨と皮だけ言える様相を呈していた。その状態で供給出来る労働力などたかが知れている事に加え、皆が長生きするとなれば、仕事を分け合うジョブシェアリングも必須となり、例え働けたとしても貰える賃金はスズメの涙程度であり、時には福祉に頼らざるを得ない状況である。


 私も165歳まで働いた。今になって皆が長生きするという事はこういう事なのだなと思い知る。細すぎ長すぎる平凡な人生を良い人生と言っていいのだろうかという疑問が頭を過る。


「長生きだけが全てはではなく善では無い」


 昔は憚ったらしいが、今では皆がそんな事を口にする。かといって早死にを善しとする事は憚り、科学は健康長寿を追い続ける。だが追い続ける健康長寿に比例して労働期間も長くなる。この比例関係を鑑みると優先すべきは何なのかと、口には出さずとも皆が模索している状態と言えた。

 

「国が面倒見ろ」「もっと早く年金支給しろ」「福祉を充実させろ」


 そういった言葉が絶える事は無いが、当然ながら原資あっての年金や医療を含む社会保障である。それらを受給する分子が増えれば、当然供給する分母も増やさなくてはならないが、寿命は延びても出生率は低水準に留まり続け、年齢を重ねるごとに、提供出来る質の高い労働力は低下した。


 その多くはブルーカラーと言われる職種ではあったが、ホワイトカラーに於いても脳内の神経伝達速度の顕著な低下が見られた。高度な知識等の記憶を保ち続けていたとしても、それを思い出すのにも時間がかかり、論理的に言葉を繋ぐ、思考するといった事に大変な時間を要するようになっていった。


 労働力の確保の為に「出生率を上げろ」と口にしてしまうと、それを聴く側からすれば「女性は子供を産む為の道具である」という女性蔑視と受け取られかねない。


 寿命は延びても生殖可能年齢が延びる事は無く、政府は凍結精子と卵子でもっての人工授精を、神経質な程に言葉を選びながら推奨してはいるが、それでも出生率は低い水準で留まっている。


 もともと戦後の高度成長とともに作られた制度であり、当時は出生率が右肩上がりするだろうという前提で作られたものであり、当時の人達からすれば出生率の低下と反比例するかの如く、これ程までに寿命が延びるとは想定していなかったのだろう。


 少なくなる労働人口がより一層機械化へと拍車をかけ、人の仕事を減らし続ける。


 そんな中、年金は当てに出来ないと考る労働者の一部に於いては、将来の為に多彩なスキルを身につけようと自腹で講義や講習を受けたりしていた。だが、それらの人を含めての多くの人達は「将来の為にお金を貯めておこう」と考え、そのマインドが広がると共に国内需要が冷え込み始め、更に機械化を促進し、人の仕事を減らす方向へと向かっていく。


 少なくなるその仕事にありつけたとしても、仕事とは往々にして物を売るという事に直結する物である。その仕事に就いた人達自身が物を買わないようにしているのに、人に物を買わせる事に従事するという矛盾の中で働いていた。


 100年後の平均寿命は更に50年延びる事が予想されている。


 早めに見切りを付け、年金を含む社会保障制度を廃止した方が良かったのかもしれない。国家は個人の面倒を一切見ないと早々に宣言してしまえばよかったのかも知れない。


 だがそれを口にする政治家はいない。口にすれば当選出来ない。有権者は曖昧な根拠で以って手厚い社会保障を口にする議員に一票を投じる。万が一にも廃止されれば「人でなし、人殺し、鬼、悪魔」と、高齢者達からは「俺たちに早く死ねと言うのか」と、政府や行政、廃止に賛成した議員は罵られるのだろう。そして高齢者である私は早晩この世から去る事になるだろう。私同様に、多くの人間がこの世を去る事になるのだろう。


 数百年後のこの国はどうなっているのだろう。その頃には私もこの世に居るはずもないが、それでも後の世がどうなるのか見る為に、もっともっと生きていたいと思う。それは贅沢という物だろうか。

2020年04月19日 3版 誤字訂正他

2019年11月26日 2版 句読点多すぎた

2019年09月16日 初版

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