四話
体育館での一件以降、私は仮面をより確実なものにすべく勤しみました。
特に仲のいい友人以外とは敬語で接するようになり、私と周囲との間に明確な心の壁を築きました。その壁の厚さこそが仮面の厚みになり、より仮面を強固にすると思ったからです。
壁の効果か、私の会話の頻度はあの日を境に下降の一途を辿っていくようになりました。
まだまだ幼かった私は、自身の受け答えの変化が想定していたよりもずっと大きい影響を周囲に与えたことに驚き、怖いとも思いました。ですが、私には気心知れぬ雑多な人達の評価よりも、今の自分に心の安寧を与えてくれるこの仮面を手放す方が恐ろしかったのです。
数日の時を経て、仮面もいよいよ盤石になってきた頃、私には一つの無視しがたい悩みが出来ました。
川田真琴のことです。
彼女とはあの日からもやはり会話をすることはありませんでした。
当初、彼女をまた助けたいと思っていた私は、翌日には廊下ですれ違おうとも会話どころか挨拶を交わすこともない関係に再び落ち着いたことを少し残念だと思いました。が、下手に距離が縮まることがなかったことで仮面を作る妨げが減ったとも思えば儲けものだと、前向きに考えることにしました。
なので彼女との心の距離においてはやはり問題は無いのですが、彼女の行動は以前と比べて確実に変化した部分があります。
休み時間の教室で私は仲の良い友人と雑談を楽しんでいました。その時は全く川田真琴のことを忘れていられました。
そこで、ふと友人が「トイレに行こう」と私を誘ってくるので彼に追従して教室を出ることにしました。
しかし、出る際にちらりと映った彼女の姿。机にぽつりと座っている姿がいやに頭から離れないのです。
さっき友人と談笑していた時も彼女を話題に出したことは一つもなく、彼女に視線をやったりと同じ教室にいるだけで干渉するようなことは一切無かったはずでした。
だというのに教室を出た時のたった一瞬。私が彼女を見ると何故かその顔は最初こちらを向いていて。
私の意識が過剰なだけなのかもしれません。ですが、以前とは違った不愉快さで私の心は支配されていきました。
トイレは教室といくつかの教室を隔てた先にあり、ほんの十数秒ほど歩けば着いてしまう程の近さで、行けばすぐに用は済んでしまうものです。
短い距離ではありますが、教室から廊下、廊下からトイレへと場所は変わります。場所が変わるということは当然視界に入るものが変わるということで、彼女の視線から私は物理的に逃れることになります。
私が彼に同行したのも、実はそれが目的の一つにあります。
彼女はここ数日、私をずっと見てくるのです。それは恐らく、私が彼女を意識していない時でも。例えば先ほどの友人と会話をしていた時でも、恐らく最初からずっと見つめてきているのです。
彼女とコミュニケーションを取ることの無い私に、彼女がこの不可解な行動を始めた理由を聞けるはずもありません。また向こうも一切教えようとはしてこないのです。
本当に私の自意識過剰なだけの問題であったのならそれで良いのですが、ここ数日間彼女の存在を意識させられない日はありません。
彼女の視線が私をちくちくと刺し、その色素の薄い面がこちらを向いているのが視界の端で分かってしまうのです。
流石に耐えきれるものではなく、今のように何かきっかけがあれば彼女の視界から消えるように動く、というのが日常の一つに加わっていました。
ただ、この日は少し違いました。
トイレを出た向かいの手洗い場で手を洗うでもなく、ただただ私を見ている彼女がいました。
普段であれば彼女はあまり教室などの元の位置から動くことはないため、一度離れてしまえばそのまま互いの視界から消えるのですが。
後をつけてきたのでしょうか、私以外の者からは絶妙に気づかれないような距離感を保ち、私の存在をその目に捉えています。
私は友人を差し置いて、足早に教室へと逃げ帰りました。
不気味。いや、これは恐怖だと私は理解しました。
同時に一刻も早く何とかしなければならないと強く思いました。
しかし、私のその心配も杞憂だと言わんばかりに、彼女の引っ越しの期日が迫っていることを知らされました。