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一話

 私をお人好しだと言う人は多いでしょう。

 電車では老人に席を譲ったり。道に迷った人がいれば道案内をしたり。倒れている人がいれば介抱を。

 そういった行いは、やはり優しさであると錯覚するのでしょう。周囲はいつも私が"良い人"であると持て囃すのです。


 違います。私は"良い人"でなんてありません。

 徳操を守ることが美しいと、人助けをすることが生き甲斐と、そんな聖人君子のような精神を持った人間とは、例え行いの過程や結果が似通ったものであったとしても、その魂の清潔さには雲泥の差が存在します。

 そう、まさしく泥なのです。私の魂は誰よりもどす黒く汚れています。人々が私の優しさだと錯覚しているその行いは、総て私の愉悦の先立ちによって成り立っているのです。


 人が窮地に陥った状況から他人に助けられた時、どういった顔をするか。それはとても面白い表情をしてくれます。

 心の底から安堵し、口元は綻び、私無しでは生きていけない捨て犬のような眼をこちらに向けるのです。

 どんなに偉い人間でも、私よりもよっぽど齢を重ねた人でもこの時、この瞬間だけは一途に私を求める。その表情こそが私の心を愉悦でぐちゃぐちゃに溶かす一種の麻薬なのです。

 私がそこに快楽性を見出したのはつい最近などのことではなく、まだ幼く、自分の歪んだ精神を見つめ直すという発想もない、無邪気で残酷な頃のことです。



 当時の私は小学二年生でした。

 その頃の私は善良な両親のもと清純に育てられ、人を助ける動機が自身の内にある正義感から来るものだと疑うことなく過ごしていました。

 クラスメイトとも仲は良好で、また自分以外の人間も同じように仲良しなのだと、みんなが手を取り合って歩いていく世界に裏表も無いのだと、人の悪意というものに関してはどこまでも無知でした。


 ある日、川田真琴まことという女の子を知りました。

 知ったと言っても元来クラスメイトであり、ただ袖が擦り合うこともなかったというだけのことですが、その日私は初めて彼女の存在を自分の世界に認識したのです。

 日常でこれといって目立つことの無かった子で、話題性も無く、クラスの中の一人である以上の関心を向けるきっかけも見当たらなかったのですが。その日は違いました。


 昼休みが終わり、私は教室で既に自席に着席していました。しばらくして、担任の先生が入ってきて人数を数えると一人足りません。

 空席を指差し、誰が足りないかと先生が苛立ちを混ぜた声で尋ねると、空席の近くで「川田さんがいません」という返事が返ってきました。

「一体どこに行ったんだ」

 その言葉に心配の欠片はありませんでした。枠組みから外れたものを単に鬱陶しがるだけの思い遣りの無い声です。


 先生の貧乏揺すりと声を潜めた談笑が数分続き、おもむろにぺたりぺたりと粘着質な足音が授業中で静まり返っているはずの廊下から響き始め、私は少し体を強張らせました。

 正体に察しはついていました。しかし、幼い頃に怖くて震えた怪談話によく似たシチュエーションだと意識してからは、一つずつ近づいてくる足音に恐怖を隠せませんでした。

 足音は私の教室の前で止まり、控えめに扉が引かれます。

 現れたのは、びしょ濡れの服や髪から水滴をぽたぽたと落としながら裸足で立ち尽くす川田真琴でした。

 その姿を見たクラスメイト達は談笑を一切やめ、怪訝な注目を一心に彼女に浴びせます。注がれる好奇の視線に彼女は罰が悪そうに顔を俯かせました。ここでようやく、それまで放心状態だった先生が慌てて椅子にかけていた上着を彼女に被せ、そそくさと教室から彼女を連れ出しました。


 急な出来事に呆気に取られていたクラスメイト達も次第にいつもの調子に戻り、先生が不在の空間で談笑はいつもよりも大きな声で続けられました。ですが、その内容はおかしくも一連の出来事ではなくそれまでされていた話の続きばかりで、すぐさま彼らの世界の認識外の存在となりました。

 まるで最初から存在していなかったかのような扱いに、私は名状し難い不快感を抱えたまま一人沈黙を貫いていました。

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