第四十三夜 「いただいたお花の、香りを知ることもできないのだもの」
なんと本当に次の日の午後にはマインラートの拘禁が解けた。
どれだけ有能なのだろうか、ヨーナスという弁護士は。
ヨーナス自身の予定がつかずに最近まで依頼できなかったことを、ユリアンは心の底から口惜しく思った。
だが過ぎたことをどう言ったところで時間は戻らない。
「おもいっきり喧嘩売ってきました。
正論言ってきただけですけどね。
これで僕は要注意人物だ。
仕事にあぶれたらよろしくお願いしますよ、伯爵」
ユリアンはその場でヨーナスに一筆をしたためた。
シャファトの名を用いた信任状で、これがあればいくらかは身の守りになるかもしれない。
「今は当主印がないので、正式なものは改めて届けましょう。
気持ちとしてはこちらを差し上げるよりも、専属契約書に署名をいただきたいところですが」
「そりゃあ嬉しいお申し出で、伯爵。
もう少し泳いでいたい気もするんで、時が来たらお願いしますよ」
「いつでも。
書面を用意して待っていますよ」
マインラートを迎えに行った。
身元引受人がユリアンであるのでひとりで。
マクシーネ夫人もオティーリエも、迎えるための準備のためにそわそわとしながら残った。
憔悴した様子のマインラートは、それでも瞳に喜色を浮かべていた。
互いに言葉もなく抱き合って、共にイルクナーへと帰る。
棺に入れられたモーリッツ氏と対面し、マインラートは一筋だけ涙をこぼした。
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弔問客は少なくはなかった。
むしろ最近のイルクナーの状況を考えたら多いと言っていい。
イルクナーの姓を持つ騎士はこれほどまで多いのか、とユリアンは驚く。
マインラートの祖父の時代からの世代のイルクナーが勢揃いした。
上は八十代、下は現役小姓の十三歳で、総勢で三十人を超えた。
それと共に多くの貴族位はもちろん、市民層からさえも悼む気持ちを携えてきた者たちがいた。
これだけ愛された人が逝ってしまっただなんて。
どうしようもない気持ちで唇を噛む。
ユリアンはまだ、オティーリエの涙を見ていない。
「どうしてこんなことに……」
誰が発した嘆きだったとしても、それは多くの者の代弁だ。
市街地のすぐ側にある国営墓地。
先代イルクナー子爵のすぐ隣の場所に、モーリッツ氏は横たえられた。
「こんなに早く親に並びおって、この不孝者が」
土を掛けられていく姿に小さく叱りつけたのは、八十六歳と言っていたイルクナーの者だ。
しゃんと伸びたたその背には、言葉にし難い悲しみが溢れていた。
年若いユリアンには、きっと理解できない深いそれをじっと見た。
ユリアンはオティーリエの隣に立ち、その手を握っている。
手袋の上からでもわかる冷え切った指先を、どうにか温めたくて。
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マインラートはイルクナー子爵になった。
当然ながら襲爵祝賀会は計画されなかった。
その代わりに多くの弔問の意があらゆる形でイルクナーに届いた。
「……やっぱり、死んでしまうより、生きている方がいいわね」
ある時、オティーリエがぽつりと呟いた。
「いただいたお花の、香りを知ることもできないのだもの」
何も言えなくて、ただユリアンはその躯を抱きしめた。
冬季休暇に入った。
緊急事項や朝廷警備を除いて、公の業務が停止する。
少なくともこれで二カ月の間は、マインラートが再び拘禁されることはない。
冬の間の社交の期間は、シャファトにとってもイルクナーにとってもこの度は故人を悼む時間だ。
今年は雪が深くなりそうだ。
窓から眺めた白を、ユリアンはなにか欠けた気持ちで見つめた。




