第三十五夜 「ねえ、お父様、わたし、花嫁衣装でここに来るわ」
こちら本日2話目です。
「教えることなんてなにもありませんよ、わたしが教わりたいくらいです」
一週間もしない内にフース・ファン・アスは新しい家令のリーナス・エンデについてそう言った。
「わたしも若けりゃ……って言いたいんですがね。
違いますよ、坊っちゃん。
あれは戦人です、絶対にただの家令じゃありません」
神妙な顔でそう耳打ちしてきた。
「やだな、先輩、一体なにを言っているんですか?」
とんでもなく笑顔のリーナスによりフースは回収されていった。
じりじりと時は進み、しかし物事は進展しない。
花婿としての衣装の仮縫いに体を貸しながら、ユリアンの思いは朝廷に飛んでいた。
一体そこでなにが起こっているのかと。
シャファトとイルクナーの家政については問題ない。
リーナスが優秀すぎるため、フースをイルクナーへと出向させることすら可能になっている。
もちろんユリアンも折りにつけて訪問するが、言い知れぬ不安感は拭うことはできなくとも、現在の状況から見たらイルクナーは十分楽観的な姿勢を保てている。
そしてそれはとても重要なことだった。
ユリアンとオティーリエの結婚が間近であることも明るい話題を添えた。
しかし予定の日に合わせて申請したイルクナー両氏の勾留執行停止の請願は、ことごとく却下され続けた。
二人の衣装が整ったら、結婚しようと約束したのに。
そしてイルクナー両氏が拘禁されてちょうど二カ月半が過ぎた頃、ユリアンはモーリッツ氏が拘置部屋にて倒れたとの連絡を受けた。
奇しくもかねてから準備していた弁護士との面会の日の朝だった。
煩雑な手続きに時間を取られたのと、探しだした腕のいい信頼できる人物の予定を確保したところ、ここまでずれ込んでしまった。
当初はもっと早くに釈放されるだろうとの希望的観測もあった。
それは甘い見通しだったのではなく、通常であればそうなるべき状況であったからだ。
しかし、事態はそうならなかった。
「伯爵、俺たちじゃどうにもならないこともあるんだ」
あるとき第三師団事務棟内ですれ違い様、シュヴェンケ氏に言われた。
モーリッツ氏は王宮外の王宮騎士団提携医療施設へと運ばれた。
面会は許されなかったが、状況は心身の疲労による神経衰弱と伝えられた。
無理もない話だった。
数日の療養後、拘禁へと戻った。
マインラートの表情にも陰りが見えてきた。
拘置部屋にて行える鍛錬は欠かしていないとのことだ。
笑顔はぎこちないが、それでも気丈に彼は振る舞う。
ユリアンも同席した弁護士との面会もそつなくこなし、むしろユリアンの立場を気遣う様子すら見せた。
もちろんのことだが、第三師団からユリアンが預かった資料については、弁護士には一切伝えていない。
どんなに信用できる人間であっても、だめだ。
ホルンガッハ―氏、ケッペン氏、シュベンケ氏の信頼に背くことになる。
こればかりは、ユリアンが真実の究明に用いるべきであり、事態を自分に都合よく動かすために用いてはならないものだ。
またそうするのはとても危険な情報でもあった。
「拘禁が解かれない理由がわかりませんね」
マインラートとの面会後、弁護士のヨーナス・オストホフ氏は首をひねった。
これまで釈放申請と保証金の支払いが四度退けられていることを伝えた。
「……これは、もしかすると、もしかするんですかね」
彼は呟いたが、それはユリアンに聞かせるためのものではなく、自分自身に問い訊ねるものであったように思う。
「――俄然、やる気が出るってもんですね。
シャファト伯爵、これはわたしの弁護士生命を賭けた闘いになるかもしれない。
梯子を外さないでくださいよ、こうなりゃあなたとわたしはもうどこまでも道連れだ。
もし食いっぱぐれたらたかりますんで、そこらへんよろしく」
オストホフ氏は、ユリアンが持つ情報に近いことを考えたのだろうか。それはきっと経験から来るある種の勘だろうけれども。ユリアンはなにかを肯定することもできずに、曖昧に微笑んでごまかした。
口調は軽かったが、オストホフ氏の眼差しはまるで追い詰められているかのようにどこまでも真剣だった。
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ユリアンとオティーリエ、二人の衣装ができた。
完成のお披露目はイルクナーの応接室を用いた。
少しでも家人たちを励ますため、結婚式当日にオティーリエはイルクナーで支度をして式場へと向かう。
暇を見ては入れ代わり立ち代わり従僕たちがやってきては、ディークマイアー夫人の手の技に感嘆したり、涙したり、意味なくうろうろしたりしていた。
そんなささやかな喜びも、イルクナー両氏の参加が認められない式の前に、沈んだ。
「ねえ、お父様、わたし、花嫁衣装でここに来るわ」
ある日、ユリアンと共に面会に訪れた時、オティーリエはモーリッツ氏に告げた。
痩せていくらか青白い顔をしたモーリッツ氏は、顔を上げて娘の目を見た。
「式の当日に。
そしてね、ここでもう一度誓いの言葉を述べるの。
それから、お父様と踊るのよ。
ねえ、ユリアン様、いいでしょう?」
ユリアンは頷いた。
「いい考えだ。
最初からここでやりたいくらいだ。
どうにかマインラートも共にそこにいれるように嘆願しよう。
マクシーネ義母さんももちろん一緒だ」
「ねえ、いい考えでしょう? お父様?」
モーリッツ氏は頷いた。
泣きながら何度も何度も。
事実、その場に居るもので泣いていない者はいなかった。
立ち会いの騎士でさえ悔し気に涙をこぼした。
誰もが無力で、みじめだった。
それでもオティーリエは笑った。
泣きながらでも、嬉しそうに、笑った。




