第三十四夜 「私はあなたの元に参りました」
夜は更けて、お開きの時間となった。
迎えの馬車が到着した順にお見送りをする。
ユリアンの隣にはオティーリエがいて、シャファトの女主人としての実地訓練に勤しんでいた。
ほとんどの客は帰宅し、シャファト家に残るのは悪酔いしたため泊まっていく六名(内一名、国王)とその従者、警備に来ていた騎士や楽団の成員のみとなり、侍従たちも現場の状態復帰作業に入った。
警備に入っていた騎士には第三師団の人員も交じっていたようだ。
いつぞやの朝に印象的な挨拶を交わしただけのベンヤミン・シュヴェンケ氏が、しれっと礼服で祝賀会に参加していたのに気付いたときは驚いた。
「俺んち、侯爵家だもーん」とのことだったが、どうやらこちらからの招待にかこつけて潜入している第三師団の騎士が他にも幾人かいるらしい。
参加者リストを確認した時に気付かなかったユリアンも悪いが、来るなら来るでひとこと言って欲しかった。
「マクシーネ夫人、今日くらいは泊まって行かれては?」
外套を羽織っているマクシーネ夫人に、ユリアンは慌てて声をかける。
「あの家を、一晩でも主人不在にしたくないの」
言われて、ユリアンは頷いて承服した。
見送った後に、「ユリアン」と父ヨーゼフに呼ばれて振り向いた。
「はい、なんですか、父さん」
「オティーリエと共にこちらに来い」
吹き抜けの階上から言われ、ユリアンはオティーリエの手を取って父が消えた応接室へと赴いた。
ノックの返事に扉を開けて二人で入室すると、父と母、家令のフース、そしてもうひとりこちらに背を向けて座っている灰髪の男性がいた。
「参上しました、どうしました、皆揃って」
「わたしからの襲爵祝をおまえにやろうと思ってな、ユリアン」
父ヨーゼフがそう述べると、男性が立ち上がってユリアンたちの方を向いた。
その姿を見てユリアンは目を丸くした。
「エンデじゃないか!」
「お久しぶりです。
そして御襲爵、御婚約、おめでとうございます。
御館様」
イルクナー家との顔合わせの観風会にて、取り仕切りを行ってくれた王宮侍従団の調整役の男性だった。
彼の鮮やかな仕事ぶりは記憶に新しい。
そしてその口から出た、「シャファト伯爵」ではなく「御館様」という言葉にさらにユリアンは目を見張った。
「おまえの家令だ、ユリアン。
王宮から引き抜いてきた、感謝しろ」
言葉の意味を理解するのに少し時間がかかり、飲み込んでからユリアンは「え?」と間の抜けた声を上げた。
「……家令? どういうことです? フースは?」
「坊っちゃん、わたしはもうおじさんですよ。
いつまでもお役に立てるわけじゃありません」
仰々しく腰を曲げて叩きながら、フースが異国訛りで言った。
「フースには領地の方の面倒を見てもらいたくてな。
譲爵したらすぐ引っ込むつもりだったが、それが敵わん。
すぐには無理だが、今のように行ったり来たりではなく、あちらの家政に専念させたいと考えていた」
「そんな……」
ショックを隠せなくてユリアンは食い下がった。
「そんな大切なこと、相談してくださっても良かったではないですか!」
「相談したらびっくりさせられないだろう。
観楓会でおまえたちの相性の良さもわかったし、あの時点でおまえへの襲爵祝は侍従団と決めていた。
古い従僕を幾人か領地に連れていきたいのでね。
あの時の侍従団全員だ、今日から働いている。
気付かなかったか?」
「……まったく気付きませんでした」
「まあそうだろう。
こっそりやったからな」
父は満足気だ。
「なんだ、嬉しそうじゃないな」
その言葉に即座にユリアンは首を振った。
「そうじゃない、そうじゃないんです」
ユリアンはエンデ氏を見た。
少しだけユリアンより背が高い彼は変わらずに理知的ながら優しい瞳をしていた。
確かに、あの時、彼がシャファトの人間であれば良いのに、と思っていた。
彼がとても高い能力を持った人間であることを知っている。
まさに彼は家政の熟練者だ。
家令とするのにこれほど相応しく、また心強い者をユリアンは他に知らない。
実際にその手腕をこの目で見たし、あの時の前例があったからこそ、この度の襲爵祝賀会もつつがなく運ぶことができたのだ。
しかし王宮でこそ、彼の真価は輝くように思えた。
名門と謳われているとはいえ、いたずらにその才能をシャファトに閉じ込めて良いものだろうか。
シャファトの傘下に入ってしまえば、彼個人の名が語られることは今後なくなるのだ。
ましてユリアンは襲爵後間もなく、朝廷での確固とした地位があるわけでもない。
ユリアンは薄青のその瞳をじっと見ながら、いくばくかの怖れの気持ちも混ぜて訊ねた。
「……エンデ、わたしなんかでいいのかい?」
ぽつり、とこぼれた言葉は静かに部屋全体に広がった。
そこにいた誰もがユリアンのためらいと引け目を感じ取る。
「――リーナスと」
エンデ氏が呟く。
「そうお呼びください、御館様。
私はあなたの元に参りました」
いつかと同じようにユリアンは手を出した。
いつかと同じようにエンデ氏はその手を取った。
もらった言葉になにも言えなくなって、ユリアンは奥歯を噛んだ。
彼ほどの人物ならば、遠くない将来に侍従長だけではなく、献酌人のように重要な地位にまで上り詰めることも可能であったかもしれないのに。
「ありがとう……ありがとう。
わたしを選んでくれて……」
「観楓会から心は定まっていました。
私がお仕えするのは、ユリアン様、あなただと」
シャファトだからではなく、ユリアンだから仕えると彼は言ってくれるのだ。
王宮侍従という華々しい職と経歴を捨てて。
言葉なく、互いに固く抱き合った。
エンデ氏の肩は、騎士のようではなかった。
けれど、信を置けると思える程に、温かく頼もしかった。
そうしていると、ほどなくユリアンの背後よりえぐえぐと奇妙な声が聞こえ始めた。
「……どうしたんだい、オティーリエ」
「だ、だって……」
なぜか号泣しながらオティーリエがハンカチで鼻を抑えている。
「……感動したんですもの!」
その言葉に皆笑った。
声を上げて笑った。




