第三十三夜 Herzlichen Glückwunsch!
大広間の扉が開かれて、人々がユリアンとオティーリエを見る。
オティーリエの体がこわばったのを感じて、ユリアンは小さな手をしっかりと握った。
共に一礼して中へと進む。
侍従の先導により人々が道をあけるのに従い、左手壁側中央の演壇へと向かい、ユリアンはオティーリエの手を離してひとりで上った。
向こう側の壁側においてはシャファトの契約楽団がいて、この日のためにと用意してくれていた曲を静かに奏でてくれていたが、指揮者の合図により徐々に演奏を終える。
中央に立ち広間を見渡す。
静まり返ってこちらを見る人々の目に、色とりどりの感情が見える。
エルザ嬢を含むハルデンベルク家の姿があった。
演壇のすぐ近くにカイとジルヴェスターもいて、目が合うと二人は同時ににやりとした。
思わずユリアンも笑顔になると、向き直って人々へ挨拶の口上を述べた。
「こんばんは、わたしの親友たち。
まず、ここにお集まりいただきましたすべての皆さまに心からの感謝をお伝えしたいと思います。
今日は、わたし、ユリアン・フォン・シャファトが、父ヨーゼフから受け継いだ『フォン・シャファト』の名と爵位について、皆さまにお報せする佳き日です。
シャファトの興りは初代コルネリウス国王の代にまで遡り、永代伯爵家としての栄誉もその時に賜りました。
そこから今に至るまでの、長話をする気はありません。
こうしてわたしの門出を祝いに来てくれたわたしの大切な人たち、どうか共に喜んでください。
わたしがこうしてこの日を迎えられたことを。
そして、大切な皆さんに、わたしの大切な宝を紹介できることを」
演壇袖に目を向けたユリアンの視線を追い、聴衆は一斉にオティーリエを見た。
それに対してオティーリエはゆっくりと淑女の礼を取り、微笑みつつユリアンと視線を交わす。
侍従の手を借りて階段をひとつひとつゆっくりと上りきったところで、その手をユリアンが引き受けて共に中央へと進んだ。
そこでユリアンの手を取ったまま、オティーリエはもう一度礼をする。
「入場時から、こちらの御令嬢は誰なのかと思っていらしたでしょう。
わたしの魂の伴侶であり宝、また心の支えである彼女を皆さんに御紹介できることを嬉しく思います。
わたしの婚約者の、オティーリエ・イルクナーです」
驚きの声は少なかった。
上位貴族の中では殆ど公然の秘密であったから。
けれど、とユリアンは心中で思う。
「なぜ、と思われている方も少なくはないでしょうね、わたしの親友たち。
多くの方々がご存じのように、彼女の父はモーリッツ・イルクナー子爵であり、シャファトとは所縁のない御家だ。
それに耳聡い方は聞いておいででしょう、イルクナー子爵は今、謂れのない罪を着せられ、拘禁されています。
わたしは彼が潔白であると信じている。
もちろん、御嫡男のマインラート氏も。
ですのでその事実はわたしたち二人の仲を割くものではありません。
むしろ、危難にあって絆は強まりました。
わたしたちは遠くない佳き日に結婚します。
そのことを、ここでお伝えできることはわたしの喜びです」
ぱらぱらとした拍手が起こり、それが大きくなった。
オティーリエを見ると彼女は微笑んでいて、ユリアンを見てにっこり笑う。
そして共にもう一度聴衆へと礼を取った。
「わたしはシャファト伯爵としての歩みをこうして始めましたが、それはまだ拙いものです。
ここに集まってくださった皆さんの支えを以って、それは正しくあれるものと信じています。
わたしの愛する親友たち、どうかこの後も、シャファトの善き友であってください。
わたしにはそれが必要なのです。
ご清聴ありがとう」
もう一度拍手が起こり、その中二人は深く頭を垂れた。
そして演壇を降りると、静かに楽団の演奏が再開される。
挨拶の列ができる中、ユリアンは演壇の前を振り向いた。
先程降りる時に目についた、思いつめた表情の黒髪の友人が気になって。
もうそこにはいなくて、その日は会話することは叶わなかった。
****
ジークヴァルト陛下の元に行けたのは、結局一時間近くも経ってからだった。
最初に挨拶すべき方だというのに、広間の構造上どうしても挨拶の列を回避できなかったこと、またジークヴァルト陛下御自身が、なぜか会場の最奥の隅にいらして、人波を掻き分けてゆくにも一苦労だったからだった。
もちろん陛下にも人だかりができていた。
しかしユリアンたちの姿を見ると、皆道を譲ってくれる。
翠がかった薄青の瞳がユリアンを見た。
「ヨーゼフの倅! やっと来たか! わたしを待たせるとはいい身分だな!」
すっかり出来上がっていた。
「陛下、御足労いただきましたこと、心より御礼申し上げます。
わたしの門出を陛下に祝っていただけることほど、心強いことはございません」
「ふざけるな! 誰が祝うか! つついたらすぐにふにゃふにゃ泣いていた赤ん坊がなにを偉そうに! しかも結婚するだと? わたしでさえまだしていないというのに!」
「……ジーク、酔いすぎだ」
後から付いてきた父ヨーゼフがため息交じりに隣に立ってグラスを取り上げる。
ユリアンは侍従に目配せして水と炭酸水を持ってこさせた。
侍従から水を受け取ったジークヴァルト陛下は一気に干してから、ヨーゼフの取り上げたグラスに手を伸ばした。
「かえせ」
「断る。
そちらを飲め」
新たに差し出された炭酸水を受け取ると、ジークヴァルトは口をつけて「なんだこれは、変わった酒だな」と言った。
「ジーク、やっかみは程々にして素直にウチの息子を祝福してくれ。
第一結婚してないのは初恋を引き摺るおまえの勝手だ。
八つ当たりするな」
「知らん、ルーデなど知らん! 大体にしておまえが悪いヨーゼフ! こんなへなちょこに位を譲りおって!」
「息子が一人前になったら退くと言ってあっただろう」
「どこが一人前だ! ちょっとでかくなって二足歩行しているだけじゃないか!」
「……おまえの中のユリアンはどこで止まっているんだ。
オティーリエ嬢が困っているだろう、挨拶くらい普通に受けろ」
ヨーゼフが傾ぎ始めたジークヴァルトの肩を直すと、彼は意外にもしゃんとした瞳でオティーリエに向き直った。
その視線を受けてオティーリエは丁寧に淑女の礼を取る。
「お目もじ叶いまして光栄にございます、陛下。
オティーリエ・イルクナーと申します」
「ああ、話は聞いている。
一体こんな小僧のどこがいいのだ?」
「すべてです、陛下。
ユリアン様は世界で一番素敵な方ですの」
「わたしよりもか?」
「まあ、なんて難しい問題でしょう。
きっと天がふたつに割れてしまいますわ。
陛下と同じくらい素敵な方ですけれども、わたしを見つけてくださったのはユリアン様なのです」
「はははっ」
上機嫌で笑うと、ジークヴァルトは炭酸水のグラスをヨーゼフに押し付けた。
そしてオティーリエの手を掴んだと見るや、もう片方にユリアンの手を取って両方を掲げ、酔いにまかせて広間の中心に向けて叫んだ。
「諸君! トラウムヴェルトの忠臣たちよ! ここにひとつの夫婦ができたことを共に祝おうじゃないか。
シャファトの小倅が嫁を取るほどでかくなった。
喜ばしいことだ。
ジークヴァルト・フォン・トラウムヴェルトの名に於いてこの二人を祝福しよう。
Herzlichen Glückwunsch!」
『Herzlichen Glückwunsch!』
わっと会場が沸き立った。
ジークヴァルトはユリアンとオティーリエの手を結ばせると、両者の背を押して無理やり抱き合わせた。
「はよくっつけ!」
「……やりすぎだジーク」
ジークヴァルトはヨーゼフに回収され、侍従用の戸口から別室へと搬送された。




