第二十四夜 少しだけ冷たいその指先を、
急がせた馬車がイルクナー家正門に着くとそこは封鎖されていて、ユリアンは転がり落ちるように降りて門脇に控えている腕章をした騎士たちに近づいた。
「ユリアン・フォン・シャファト伯爵です。
妻と母が中にいる、入れていただきたい」
「シャファト伯爵……」と騎士たちは顔を見合わせ、ひとりが「少々お待ちを」と潜り戸を開いて中へと消えた。
中で何が起きているのか。
一分一秒でも惜しくて、待つ時間は何時間にも感じられた。
馬の声と踏み込む蹄の音が中から聞こえて、誰かがやってきたのがわかった。
先程中に入った騎士が顔を出して、「お待たせいたしました、どうぞ」と潜り戸を開ける。
入ると、そこにいたのは先日ユリアンを拘束した騎士、ホルンガッハー氏だった。
「みえると思っていました、シャファト伯爵。
ひとまず皆さんがいらっしゃるところへお連れしましょう」
「一体これはどういうことなのです。
モーリッツ氏とマインラートが拘束されたと聞きました。
その上家宅捜索とは、間違いで済まされることではありませんよ」
「もちろんです。
ある程度の確証がなければこんな大掛かりなことはできません。
それに証拠を隠匿される前に押収するには事前に報せるなどという馬鹿な親切などしませんよ。
乗ってください」
馬にまたがり、ホルンガッハー氏は後ろに乗るよう指示した。
正門からイルクナーの本館へは歩くと30分はかかるだろう。
頷いてユリアンは従った。
両開きの玄関は開け放たれていて、第三師団の騎士たちがひっきりなしに出入りしている。
その手に木箱を持つ者もいて、運び出され目張りされた特別仕様の馬車に載せられるそれらに、なにが入っているのかと思いユリアンの胸はざわついた。
玄関ホールでは各種使用人が集められていて、皆肩を寄せあって青褪めた表情で俯いている。
誰しも無言だ。
ユリアンに気付いた者が「シャファト伯爵!」と感極まったように声を上げた。
一斉に視線が集まり、侍女の中には泣き出す者もいた。
「皆、遅くなってしまって申し訳なかった。
具合の悪い者はいないか? 状況を確認してから、すぐに君たちの保護をしよう。
マクシーネ夫人とオティーリエは? 母はどこにいるだろうか?」
「二階の応接室です。
共に行きましょう」
答えたのはホルンガッハー氏で、まるで自分の家のように階段を上る背中が憎たらしくてユリアンは殴りつけてやろうかと思いながら続いた。
応接室前にも騎士が控えていた。
互いに礼をしてホルンガッハー氏が扉をノックする。
ややあってから「どうぞ」と聞こえた。
母ロスヴィータの声だ。
「ユリアン……!」
ホルンガッハー氏に続いて入ると、待ち侘びていたのか扉のすぐ側に立っていた母はユリアンの腕を取って深い息を吐いた。
「連絡をありがとうございます、母さん。
……マクシーネ夫人、オティーリエ」
ふたりは互いに手を取り座っていた。
泣いてはいなかった。
同じ灰色の瞳は片や覚悟を持って澄んでいて、もう片方は多少の動揺を含んでいたが、やはり真っ直ぐにユリアンを見つめていた。
もうひとり茶髪の細身の女性がひとりがけソファに座っていた。
茶が出されているので侍女ではないようだ。
ユリアンと目が合うとすっと立ち上がり淑女の礼を取った。
「アンナ・ディークマイアーでございます。
この度オティーリエ様のお衣装の意匠を仰せつかりました。
お会いできて幸甚でございます、シャファト伯爵」
ユリアンは息を飲んだ。
「……ありがとう。
まだ、こちらにいらっしゃるということは、今後も引き受けてくださるということだろうか」
「もちろん。
最高のものをお約束致します。
わたくしの矜持にかけて」
ロスヴィータが深いため息を吐いた。
「ディークマイアー夫人は今とても人気の仕立物師で、夫人が仕立てたドレスを着た花嫁は必ず幸せになると言われているのよ。
……ありがとう、ディークマイアー夫人」
「もったいないお言葉でございます。
必ず良いものにいたしましょう、必ず」
マクシーネ夫人とオティーリエの表情が和らいだ。
「ありがとう、わたしも楽しみにしている」
ユリアンが呟くと、オティーリエははにかんで少し笑った。
「この馬鹿げた状況もすぐに終わるでしょう。
それまで少しの辛抱です」
「ええ、だいじょうぶ。
犬に噛まれたようなものよ」
マクシーネ夫人は笑った。
強い女性だ、とユリアンは思った。
「家令のヴァルターは?」
「今、捜査のために敷地内を案内させられているわ」
「では、状況はあなたにお伺いすべきですか、ホルンガッハー殿」
「もちろん。
場所を変えましょうか?」
「その必要が?」
「ご婦人に聞かせて良いものでしょうか」
「……わかりました、出ましょう」
その前にユリアンはオティーリエの前へ進み、膝を着いた。
手を出すと、オティーリエは母の手を離してユリアンに両の手を渡した。
少しだけ冷たいその指先を、ユリアンも両手で包んだ。
「なにも心配いらない。
君の父と兄は立派な人間だと誰もが知っている。
どうか恐れずに。
わたしは必ず共にいるから」
オティーリエは微笑んだ。
「はい、ユリアン様」
名残惜しく一度ぎゅっと手に力を込めると、ユリアンは立ち上がった。
ホルンガッハー氏はその様子を見て一礼してから部屋を出た。
ユリアンもそれに続く。
「……あなたたちが真剣に仕事をしていることは認める。
だが、これはあまりに迂闊ではないか」
廊下を進みながらユリアンは批難の声を上げた。
「確証なく動くことはないと言ったでしょう。
こちらへ」
騎士が頻繁に出入りしている部屋へとホルンガッハー氏はユリアンを導いた。
「あなたは外朝勤めであるし、私よりもきっとご存じで分かることでしょう。
ご覧に入れたい」
そう言ってテーブルの上にひとつだけ置かれていた木箱にホルンガッハー氏は近づいた。
蓋を開け、ユリアンに覗くように促す。
「これがなにか、お分かりになりますか」
ユリアンは息を飲んだ。
何度も見たことのある背表紙が、そこに並んでいた。
呟いた自分の声に絶望を覚える。
「……第三師団通信網録」




