第十九夜 その時はまだ、そんな明日が来ることを疑っていなかったから。
婚約は速やかに結ばれ、婚姻は半年後。
その間にユリアンは父から爵位を譲り受け、シャファト伯爵になった。
すぐにでも母とともに領地に引っ込もうと狙っていた父ヨーゼフは、手元にある爵位は男爵と下位のものになったにも関わらず、宮廷議会からは開放されなかった。
あてが外れたヨーゼフはぶちぶちと呟きながらいつも通り出仕のためにユリアンとともに馬車に乗り込む。
その様子をどこかほっとしたような笑顔でユリアンは見つめた。
当然襲爵祝賀会を行う運びになったが、なんと、ヨーゼフを実兄の様に慕う当代国王ジークヴァルトが出席すると言い出したらしい。
八百年余続く名家の当代が変わるのだから当然のことだとの言で、実際にこれまでもシャファトの代替わりにはそういったこともあったらしい。
初対面というわけではないが、ユリアンは宮廷議会議長のヨーゼフのように親しく王に近付けるような立場ではない。
朝廷ではまだまだ下っ端の使いっぱしりに過ぎない自分を祝いに国王が訪れるとあって、ユリアンは気が動転した。
「よう、伯爵」
肩を叩かれてそちらを見ると、最初に配属された課の先輩で、ユリアンは知らず笑顔になった。
「久しぶりです、ニック」
「おお、憶えていてくださったとは、高貴なる方! 身に余る光栄にございます」
「やめてください、わたしはただのあなたの後輩ですよ。
襲爵したところで何も変わりません」
「そんなわけないだろー、由緒正しい名家のシャファト伯爵様。
今後は気軽に声かけられねーなって法規課のみんな言ってるぞ?」
「そんな寂しいこと言わないでください、本当にわたしは何も変わっていないのですから。
いくらか家の責任が増えましたが、それだけですよ」
「ほんとかー? ほんとに俺の可愛い後輩だったら、俺の飲みに付き合うはずだぞ?」
「もちろん。
終業したら法規課に顔出しますよ、みんなにも会いたい」
「おー、なんといい心がけだ、それでこそユリアンだ。
どうせこれからおエライさんとばっかり飲むようになるんだ、今のうちに安酒に溺れさせてやるよ」
「溺れるほどは飲みませんよ」と笑いながら、「では帰りに」とユリアンは現在の部署の主計官室へとその足を向けた。
なので、気が付かなかった。
ユリアンの背を見送るその瞳が、とても真剣で、寂しそうな色をしていたのを。
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「ユリアーン!! 飲みいこー!!」
いろいろと遠慮がなくなってきたカイが終業時間を過ぎてすぐに現れて、戸口でそう声をあげた。
「すまん、今日は先約がある」
「誰だよ」
カイの後ろから顔を出したジルヴェスターが浮気を咎める妻のような表情で言った。
「ニックだよ。
法規課でお世話になってた、ニクラウス・オーバー」
「なんだと」
ジルヴェスターが戦慄いた。
「終業時間すぐに駆けつけるわたしたちよりも早く約束を取り付けるとは……」
「……これはあれだね、きっと彼は第三師団の諜報技術を持っているに違いないよ。
それでわたしたちよりも早く約束を取り付けられたに違いない」
「……約束とは事前に取り付けるものであって直前に意志を確認することではないぞ?」
「なんだって……?」
ジルヴェスターとカイが後ろを向いてこそこそと肩を寄せ合い談合を始めた。
「これはどういうことだ……?」
「やっぱりあれだよ、婚約が決まると男っていうのは大体こうなるっていうやつだよ」
「突然遊ばなくなるあの病気か……? 直近ではゲオルクが記憶に新しいな……惜しい奴を亡くしたよ……」
「いや家庭を持つとはそういうことだろ? それと独身既婚に関わらず約束は普通事前のものだ」
ユリアンは背後からつっこむ。
「ああっ、嘆かわしい……! 立派なプロの酒飲みになろうと酌み交わした盃を忘れてしまったとは……」
「カイ、おまえはわたしを見捨ててそんな堕落した道へと進んだりはしないな……?」
「もちろんだジル、ユリアンのことは残念だったが、わたしたちは共にこの道を全うしよう」
「だーから」
ユリアンは双方の肩に手を置いてため息交じりに言った。
「今日は、先約があるんだ。
明日だって飲めるだろう。
予約しておいてくれ、わたしの席も」
カイとジルヴェスターはにやりとして、ユリアンもそれに対して笑顔を返した。
その時はまだ、そんな明日が来ることを疑っていなかったから。
2019/12/02
「第三騎士団」を
「第三師団」に修正しました。