第一夜 何気ない朝の光景
『いねむりひめとおにいさま』のスピンオフです。
しかも連載です、すみません。
「わかりました、十人と踊ってきますよ」
朝から口うるさく母から言われた小言に、思わず口を突いて出た言葉はそれだった。
「まあ、ユリアン。
わたくしが言っているのはそういうことではありません。
あなたの将来のことを言っているのです」
「ですから、次の夜会で適当なご令嬢と踊ってきます。
さっさと相手を探せとおっしゃるのだから」
これ見よがしに吐かれたため息に、ユリアンも対抗してため息を吐いた。
せっかく仕事が面白くなってきたところなのに。
一人息子の将来を案じる母の気持ちを理解できないわけではない。
友人の中には同い年でもう結婚している者もいるのは確かだ。
けれどユリアンはそうしたことに時間を割こうと思うほど、色恋に関心があるわけではない。
それにこういうことは、相手を探してどうこうするものでもないと思ってもいた。
惹かれる人ができたとき、それでいいじゃないか、と。
それに、ぶっちゃけめんどい。
本当にめんどい。
母が知らないだけで、これまで全く女性に縁がなかったわけではない。
だからユリアンは知っている。
女はめんどい。
仕事と両立が難しいと思うくらいにはめんどい。
よって、現在仕事が楽しすぎるユリアンにとっては枷でしかなかった。
わざわざそんなものに嵌まりたくない。
昨年一度デートしただけのご令嬢から未だに手紙をもらうことがある。
両親の目に触れないようにするよう家令にお願いはしているが、ばれたら母も手紙の内容と同じく「責任を取れ」などと言ってくるのかもしれない。
まっぴらごめんだ。
なぜ頼まれた観劇のエスコートをそつなくこなしただけで責任問題になるのだ。
べたついてきたのはあちらだろうに。
その他にも夜会に行くたびに待ち構えているご令嬢が何人かいる。
大変申し訳ないが、化粧の濃い女性は嫌いだ。
最近の流行りは目のふちをぐるりと青くすることらしい。
まるで殴られたみたいだ。
それらの群がってくる女性たちが自分をなんと呼んでいるかも知っている。
『元本保証』だ。
ユリアンの顔が金や位やその他もろもろに見えているわけだ。
女に嫌気が差す理由もわかって欲しい。
なんとなく察している父はユリアンになにも言わない。
そりゃそうだろう、こんな女性たちにユリアンが集られる原因のひとつは父の現在の立場にあるのだから。
ただ時々、酒に紛れて「おまえが一人前になったら、退くよ」とは言っている。
父なりに思うところがあるのだろう。
「もういいですか、わたしはもう出仕しなくては」
父は朝食後すぐに発った。
いつもは一緒に行くのだが、玄関先で呼び止められて置いてけぼりにあってしまった。
新人なのだから誰よりも早く出勤したいのに。
こういう機微がわからないところ、母だからだろうか? 女性だからだろうか?
父を送って戻ってきた馬車に乗り込む。
ああ、これでいつもより四十分も遅い出仕だ。
誰かになにか嫌味でも言われるわけではないが、それでもユリアンは気鬱に思った。
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「遅かったなぁ、どうした?」
先輩のニクラウス・オーバーがユリアンの顔を見た途端言った。
「母に捕まってました」
朝議には間に合ったが、いつもはユリアンがしている他部課から前日に回されてきた帳簿書類の整理が、もう誰かの手によって済まされていてユリアンは憮然とし答えた。
省全体の仕事の流れが見えるので、好きでしていた仕事なのに。
「この朝の忙しい時に、色よい話はないのか、ときましたよ。
夕食の時でもいいでしょうに、思いついたらすぐに口にしないと気が済まない人なんです」
失望感からぶちぶちとユリアンは愚痴ってしまった。
ニクラウスは少し笑うと、「お母さんもお前のことが心配なんだろう」と言った。
「シャファト議長のご子息だからな。
変な虫がつく前に身を固めさせたいってのは親心だよ」
「わたしは仕事が恋人ですよ」
「違いないな、ああ、間違いない」
そう言うとニクラウスはまた笑った。
「お前は真面目だからなぁ。
すぐにわたしを置いて出世しちまうんだろうな」
「なんですかそれ、何も出ませんよ」
「わたしより稼ぐようになったらたかってやる」
「じゃあ今のうちにわたしがあなたにたかりますよ、ニック。
昼おごってください」
「なんでだよ、断る」
「わたしより稼いでるんだからいいじゃないですか、たまには可愛い後輩を慰撫してください」
「もう少し尊敬してくれてたらなー、可愛い後輩だったんだがなー」
「昼は出してやらんが、夜なら考えんこともない。
しかしわたしの愚痴に付き合うことが条件だ」
「わかりましたよ」と笑いながらユリアンは答えた。
トラウムヴェルト王国財務省主計局法規課の、何気ない朝の光景だった。