第十五夜 どんなに胸が暗く疼いても。
「ねえ、どこかおかしいところはない?」
深い蒼のドレスを身に纏った女性は、不安げな様子で何度も何度も姿見の前でくるくると回った。
「お綺麗です、オティーリエねえさん」
少年は問われる度にそう答えた。
本当に綺麗だったから。
どんなに胸が暗く疼いても。
「お綺麗です……とても」
零れた言葉に、女性は笑った。
とても綺麗に、笑った。
「行ってくるわね、エド」
馬車に乗り込むために手を貸した少年は、できればその手を離したくなくて握った。
「いってらっしゃい」
けれど口から出たのはそれに反する言葉で、ぎこちなく作った笑顔もきっと不自然に見えはしない。
そっと握り返された手は、微笑みと共に離れた。
少年の手の届かないところへと、離れた。
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ぱらぱらと招待客が到着し始め、ユリアンは母とそっくりな仕方でそわそわと玄関ホールで右往左往した。
「……ユリアン、ロスヴィータ……落ち着きなさい」
父ヨーゼフは呆れたような声色で嗜め、次いで受付を済ませた招待客へと笑顔と手を差し伸べた。
その姿を見てユリアンははっと自分の立場を思い出し、父と共に人々を迎える。
母もそれに倣い伴われた夫人へと極上の微笑みを向けて親しげな挨拶を繰り出した。
「……どーんなご令嬢なんだろうなぁ……」
その様子を吹き抜けの階上から眺めながら、カイは訊ねるともなく隣にいるジルヴェスターへと呟いた。
「さぁてねぇ。
単純に美人とか、頭がいいとか、そういうんじゃないと思うけど。
ユリアンだし」
「うん、ユリアンだし」
即座に首肯すると、カイは手すりにだらしなくもたれかかってユリアンのつむじの辺りを眺めた。
「お、ハルデンベルク家」
ジルヴェスターが声を上げる。
玄関をハルデンベルク侯爵が夫人をエスコートしつつ入って来るところだった。
後ろに嫡男のアードリアンが妹エルザの手を取り続いている。
「さすがお早い到着で」
「そりゃ社交時季じゃないのにこんな面白い余興があるんだもんさ。
さっさと来て良い見物席取らなきゃな!」
「わたしたちには負けるがな!」
先ほどしっかりとユリアンに「おまえたちは暇なのか?」と問われたふたりは、臆面もなく「うん」と答えたばかりだった。
「……で、カイ。
おまえの方の首尾はどうなんだ」
ジルヴェスターが並んでもたれかかり訊ねると、カイは全力で動揺して「んなななんあ、なんのことかなっ?」と声を上擦らせた。
「ベルゲマン男爵ご息女、リーザ嬢のことだ。
おまえ、まさかあれほど方々でいちゃいちゃしながら誰にもバレてないとでも思っていたのか?」
「いっ……いちゃいちゃなんてそんな! わたしたちは清く正しく美しい関係で……!」
「なるほど、へたれゆえに手が出せていないと」
「手を出すだなんて滅相もない! リーザは本当に清らかな淑女で可愛らしい妖精で天使なんだよ!」
「ほう、呼び捨てで惚気か。
おめでとう、ユリアンの次はお前の祝言だな」
「……そうじゃなくって!」
完全に手のひらの上で転がされて、あるいは自ら転んで、カイは身を起こすとジルヴェスターに向き直った。
「……ユリアンのようには行かない。
あちらは跡継ぎ娘なんだ」
「なんの問題が? おまえは次男だろう」
「……父さんが、上位貴族家のご息女と婚姻を結ぶようにと言っている」
ジルヴェスターも身を起こした。
「……誰だ?」
「……カレンベルク候アライダ様」
「……またでかい話が来たな」
カイは思いつめた瞳でジルヴェスターを見た。
「……わたしに、選択権なんてないんだよ」
ジルヴェスターは泣きそうな友人を見下ろして、何拍か後にその肩に腕を回した。
頭をかき回して髪を乱すと、カイは喉の奥で唸って何かを飲み込んだ。
「……ユリアンには言わないで」
ジルヴェスターは何も言わずにただカイの頭を乱暴に撫でた。
「嬉しいんだ、わたしは。
ユリアンが好きな人と結ばれるのが。
今日はお祝いの日だから。
言わないで」
ジルヴェスターは何も言わずにただカイの頭を乱暴に撫でた。




