第十二夜 懐かしそうに目を細めて微笑む父の表情は、
イメージは相撲部屋です。
母親にはじきに伝わった。
「ユリアン、どちらのご令嬢なのです!」
仕事から帰ってくるなり後をついて回られて、ほくほく顔で同じ質問を繰り出してくる。
いったい誰からなにを聞いたのか。
母の茶会仲間の顔ぶれを思い出し、ユリアンは頭を振りつつため息を吐いた。
「母にも言えないというのですか」
自室にまでついてきた母は、ユリアンが部屋付き侍女にフロックコートを手渡すのさえ遮って訊いてきた。
ひとり息子に待望の浮いた話が出ると、すべての母親はこうなるものなのだろうか?
色は違えど自分とそっくりな顔に向き合い、ユリアンははっきりとした口調で告げた。
「なにをお聞きになってのご質問か測りかねます。
着替えますので、部屋を出ていただけますか、母さん」
言いつつユリアンはさっさと着替えを始めた。
これで出て行かないことはないだろう。
しぶしぶといった体で母は侍女と共に扉を出た。
家令のフースは本当に信の置ける人間だと思う。
今日も文机の上に載せられた見慣れた筆致の封筒を見る。
これだけ頻繁なやり取りがありながら、同じ屋敷内の母にそれが知れていないのである。
有能にも程があるだろう。
「できればずっと勤めて欲しいな、彼には」
ぽつりと独り言ちて、ユリアンは封筒を開封した。
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そして遂に父に問い詰められる。
「で、おまえの意中のご令嬢とは誰なのだ」
付き合えと言われ、夕食後久しぶりに談話室の遊戯盤に共に着いた。
次の手を考えている時に不意に訊ねられ、一瞬頭の中が白くなったユリアンは、気を取り直してもう一度戦況を一から分析にかかった。
「……母さんは何と言っていましたか」
「ハルデンベルク候エルザ嬢と」
「……父さんはどう思われますか」
「まあ、違うだろうな」
あっさりと言って、あっさりと父は駒を動かした。
……待ってくれ、その動きは読みと違う。
「手紙のやり取りをしているご令嬢がいるのは知っている。
その方か」
家長なので家の中にある出来事をすべて把握するのも父の務めのひとつだ。
断定的に訊ねたのもそうしたことからだろう。
ユリアンはしぶしぶ認めた。
「……イルクナー子爵家オティーリエ嬢です」
ユリアンが苦肉の策で駒を逃がすと、喉を鳴らして笑いながら父はそれを追い込んだ。
「面白い話だ、おまえがまさかマクシーネ嬢の娘に懸想するとは」
「……なにがおかしいんです」
「ご母堂のマクシーネ・イルクナー夫人の話は聞いたことがあるだろう。
とても個性的な方でな、同世代の男どもはみんな振り回されたよ」
逃げきれずにユリアンは追い込まれた駒を諦めた。
他の手を打つと、父はまた事も無げにそちらも背水の陣へと向かわせる。
「わたしの目から見ても堅物のおまえが、まさかあのマクシーネ嬢の娘を、な」
くつくつと、父はまた喉を鳴らした。
「……イルクナー夫人のことは、フロイントリッヒヴェルトへ留学されていたことしか知りません」
「ああ、わたしもあの頃はあちらにいたからな、少しの期間ご一緒させていただいた。
シーラッハ伯爵からの親書も届いたりしたよ。
うちの娘をどうかよろしく、と」
「……お付き合いを?」
「まさか。
行儀見習いのために外国へやったはいいが、届く報せは淑女とは程遠いものだったからだろう。
目付けを頼まれた。
困ってしまったよ、わたしなどに御せるご令嬢ではなかったのでね」
懐かしそうに目を細めて微笑む父の表情は、青年時代に戻ったかのように若々しく見えた。
「まさかイルクナー家に嫁がれるとは思わなかったが。
その後何も音沙汰がないところを見ると幸せなのだろう。
社交界に華がなくなったのは惜しいが、彼女がそれを選んだのならそれがいい」
「イルクナー子爵家に嫁ぐことになにか支障が?」
「特殊な御家だからね。
武門のリーメンシュナイダー家の右腕だった御家だ。
おまえもいくらかは聞いているだろう、現在は騎士の育成をされている」
「ええ、オティーリエの手紙にもありました。
養子を取って国に仕える騎士を育てているのだと」
「イルクナー家の女主人は家政を任されるだけではなく、それらの養子の世話を任される立場でもあるからね。
マクシーネ夫人が輿入れするときにはひと悶着あったよ。
彼女は国政に係わるであろうと思っていた人間が大半だったから」
「それにしても」と、父ヨーゼフの目が面白そうにユリアンへと向けられた。
「おまえはもう呼び捨てにしているのか、オティーリエ嬢を」
しまった、と思ったがもう遅い。
くつくつと喉を鳴らす父の声は愉し気だった。
「さて、久しぶりにマクシーネ夫人の顔が見たくなった。
御夫君ともご挨拶がしたい。
あちらの御家とは接点はなかったが、きっと話が弾むだろうよ。
孫の名はどうしようかと」