第九夜 「あなたに会いに来ましたの」
ぶっちゃけどこまでルビふればいいか悩むんですよね…
エスコートの手を取ったお披露目のご令嬢のカップルが、一組ずつ入場してくる。
入る際に皆一度丁寧な礼を取り、あるカップルはにこやかに、あるカップルは緊張した面持ちで会場内へと散って行く。
見守る者たちである観衆は一様に壁の花としてそのひとつひとつを言葉なく見送り、すべての入場が終わったころには時計の長針が半周していた。
ユリアンは幾人かの友人たちがエスコートをしているのを見ていたが、その内の何人かから「なんでおまえそこにいるんだ」という驚いた目を向けられた。
社交に出てから、こうしてお披露目を外から見るのは初めてだった。
まだ幼い、けれど精一杯に白く着飾った少女たちは、誰もが皆幸福そうに見えた。
静まり返った大広間の中、トラウムヴェルト王国ジークヴァルト国王陛下の祝福の言葉が響き渡る。
去年とはいくらか文言の違うそれをユリアンは遠い世界の物事のように聞いて、それが終わって始まりの曲が紡がれるころにはその場を離れて奥へと下がった。
祝福の気持ちを持たないわけではなくて、少女たちにとってそれが特別な機会だと今更ながら気付いたからだった。
エスコート役を義務と感じていた。
そうじゃなくて、その一瞬を引き立てる特権だったのだ。
なんとなく、居所がなくて、下がった。
ファーストダンスが終わると、途端に社交の色が出る。
運ばれてきた軽食をよそ目にカクテルグラスを受け取り、ユリアンはそれを一気に干した。
会場のどこかにいる母に見咎められたらきっと紳士的ではないと小言を言われるに違いない。
構わずにユリアンはすぐに新しいグラスを受け取った。
ユリアンと友誼を結びたい人間はいくらでもいる。
その誰もかれもが、白を纏ってはいないユリアンについて訊ねることはなく、終始表面的な挨拶に留まった。
それを心地よいとも、汚らしいとも、思った。
名を呼ぶジルヴェスターの声を聞いてそちらを向いた。
やはり背後に幾人ものご令嬢を従えていた。
色男は大変だ。
お披露目は終わり、すでに大広間は色とりどりのカップルで溢れている。
ユリアンはその気になれずに幾人かのご令嬢のそれとない申し出を煙に巻いて、今日は紳士的ではない時間を過ごそうと人々の視線の外に逃れた。
「ひとり身の気分はどうだ、ユリアン」
「最高だよ、食事ができる」
「それは羨ましい、代わってくれるか?」
「おまえの代わりがわたしに務まるわけがない」
「むしろおまえ以外に務まらないよ」
ジルは苦笑いしながらグラスを取った。
「今日ご令嬢方の口に上る一番の話題は何か知っているか。
『ユリアン様はどうされましたの?』、だ」
「それはそれは、ありがたいことだね」
「余裕だな、ユリアン。
わたしも来年は辞退してみるかな?」
「それはやめとけ、わたしどころじゃない問題になるぞ」
ユリアンよりも頭ひとつ高い長身に深い金髪、時折新緑の森にも思える碧い瞳。
甘く稀な美貌のジルヴェスターを想うご令嬢たちは、彼がその年エスコート役であるかどうかで恋人の有無を占っているのだ。
来年彼が白い服を着ていなければ、何人のご令嬢が倒れるだろう。
「おまえは……今日は灰色なのか」
とくとユリアンを見てジルヴェスターは言った。
「それがどうした」
「いや、誰の色なのかと」
「勘ぐるな、深い意味はない」
「そうか、浅い意味を訊きたいものだね」
言われてユリアンは一瞬考えに落ちたが、ジルヴェスターの背後のご令嬢たちが耳を澄ませているのを見て我に返った。
「おまえに話すような理由はないよ」
「そうか、それは世のご令嬢方に朗報だ」
そう言いながらジルヴェスターの瞳は好奇心に輝いていた。
「それを訊きに来ただけなら、戻れ」
「なんだ、友人甲斐のない」
「おまえを待つご令嬢をないがしろにするなと言っているんだ」
「そうだな、この世の宝石たちにご挨拶するか」
干したグラスをユリアンに渡して、ジルヴェスターは後ろを向いた。
「御機嫌よう、愛らしい人!」
群衆に呑み込まれていくその背中を見送り、ユリアンは手にしたグラスを下げようと壁側に向き直った。
するとそこに俯いた小さなご令嬢がいらした。
青いドレスを纏い、今にも倒れてしまいそうに儚げなその様子に、ユリアンは慌てて声を掛けた。
「……もし、お嬢さん? 具合が悪いのですか? どうされました?」
一拍かおいて、美しい黒髪を結い上げたそのご令嬢は顔を上げた。
ユリアンをまともに見て、ご令嬢はゆっくりと微笑みを浮かべ、そして言った。
「あなたに会いに来ましたの。
わたしの王子様」
ユリアンは驚きに目を見開いた。
そして記憶の中にいるあの日のご令嬢を思い出した。
そうだ、この瞳だ。
いつかラストダンスをお願いした、灰色の瞳のご令嬢だった。