エピローグ 果てのない空
とある一団が、人食い鬼の群れと戦っている。
オーガと対峙しているメンバーは4人。
剣士クリス。
軽業師レトロ。
魔術師コンクリン。
僧侶シェーファ。
最近売り出し中のA級冒険者パーティ『銀の翼』の面々である。
彼らは冒険者ギルドの依頼を受けて、魔物退治をしている最中だった。
依頼内容は『峠に巣食うオーガの群れの討伐』。
比較的緊急性の高いBランククエストだ。
「てやぁ! ぶった斬ってやる!」
「クリス! ひとりで前に出過ぎるなよ!」
「ははっ! 余裕だってこのくらい!」
それなりに名うてのA級冒険者パーティである彼らは、危なげなくオーガを倒していく。
血気盛んな若い剣士であるクリスが前に出て、残りのメンバーがそれを補う。
そんな戦い方だ。
ほどなくして、峠のオーガはすべて退治された。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
クエストを終えた『銀の翼』の面々は、冒険者ギルドに戻る道すがら、野営をしていた。
焚き木を囲みながら雑談をかわす。
「へへっ、今回のクエストも楽勝だったぜ!」
「こおら、クリス。調子に乗らないの」
軽口を叩く剣士クリスを、僧侶のシーファが嗜める。
するとクリスは頬を膨らませて不満顔をみせた。
「なんだよ、姉貴風をふかせて」
「実際、私のほうが歳上でしょうが。クリス、あなたは16歳。そして私は18歳」
「ちぇ。ふたつしか変わらないじゃないか」
クリスがごろんと体を投げ出した。
「あーあ、もっと強い相手と戦わないと、剣が錆ついちまうぜ! 歯応えのある魔物がいっぱいいればいいのに!」
不貞腐れるクリスの言葉に、壮年の魔術師コンクリンが眉をしかめた。
「……クリス。そのようなことは、人前では決して口にしてはならんぞ。特に年嵩の者の前ではな」
「はいはい。わかってるって! 終末の獣の話だろ? いくらものを知らない俺だって、そのくらいのことは知ってるさ!」
終末の獣。
それはいまより30年前、突如として現れ、人類大陸を絶望の底に叩き落とした獣だ。
その獣がもたらした大破壊の影響は、いまも色濃く大陸各所に残っている。
「終末の獣といえば、知ってるか? 冒険者ギルドが設立された経緯」
軽業師レトロが投げナイフを弄びながら、雑談にまざった。
この男もコンクリンと同じく、壮年の男性だ。
「設立の経緯? それは私も知らないわ」
「そうか。まぁ冒険者ギルドが創立されて、もう結構経つ。お前らみたいな若い冒険者は、知らなくても当然なのかも知れないな」
レトロは語って聞かせる。
冒険者ギルドが設立されたのは、いまから25年前。
あるひとりの伝説的な人物が中心となって、創立されたらしい。
ギルドの掲げた理念は、人助け。
特に終末の獣に荒らされた大陸を、元の平和な状態に戻すことを、主な活動と定めているらしい。
とはいえ設立から相応のときが経った今となっては、その理念も半ば形骸化していた。
「ぃよっと」
寝転んでいたクリスが体を起こした。
「へえ、俺そんな話、全然知らなかったよ」
「まぁいまの若いもんならそうだろうなぁ」
クリスが体を乗り出す。
その目がキラキラしている。
「ところでコンクリン! その伝説的な人物って『魔神』のことだろ! 話を聞かせてくれよ!」
「ん? ああ構わんぞ。その人物はだなぁ……」
「食事が出来たわよー! 話の続きはあとにしてちょうだい」
暖かなシチューがパーティメンバーに手渡された。
彼らは料理に舌鼓をうちながら、会話に花を咲かせる。
冒険者たちの夜は、こうしてふけていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
冒険者ギルド、東方支部。
シグナム帝国、帝都オリオネに本部を構える冒険者ギルドの東方拠点。
そこで『銀の翼』が、受付嬢と言い争っていた。
「なんでだよ! すぐに助けにいかないと、間に合わなくなるかもしれないだろ!」
叫んだのは剣士クリスだ。
彼は手に持った一枚の羊皮紙を、クエストカウンターに叩きつけた。
『魔物の巣窟と化した、宗教都市ルルホトの調査』
紙にはそう記されている。
「そ、そうは申されましても、これはSランクのクエストですし……」
「じゃあ、ここにS級冒険者はいるのかよ!」
受付嬢はクリスの剣幕に押されている。
数日前、無鉄砲なB級冒険者パーティが、いくつか徒党を組んで宗教都市ルルホトに向かった。
そして帰ってこない。
終末の獣に廃都とされたルルホトは、いまや凶悪な魔物の闊歩する魔都と化している。
はやく救出に向かう必要がある。
「いまこの支部にいる冒険者パーティで最高ランクは、俺たち『銀の翼』なんだ! 俺たちが助けに向かわないで、誰が行くって言うんだ!」
「そ、そうは言われましてもぉ……」
受付嬢はたじたじだ。
「そ、そうだ。私の上司に! セーラさんとラミーさんに相談してみますのでぇ!」
「……話にならない!」
事は一刻を争う。
もたもたしていれば、それだけ救出できる可能性が減るのだ。
クリスは銀の翼の面々を振り返った。
パーティメンバーたちが、神妙な顔つきで彼に頷き返す。
「これより俺たちA級冒険者パーティ『銀の翼』は、廃都ルルホトに向かう」
「そ、そんなぁ……。A級がSランククエストを受けるなんて、規約違反ですよぉ……」
「これは調査じゃない! 行方不明者の捜索だ!」
引き止める受付嬢を振り払い、銀の翼たちはルルホトへと向かった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
クリスたちが冒険者ギルド東方支部を出立して、少し経ってからのこと――
「なんですって。『銀の翼』がルルホトに向かっちゃった!?」
「そうなんですよぉ! どうしましょう、ラミーさぁん!」
「あちゃぁ、……どうしてもっと強く引き止めなかったの!」
「引き止めましたよぉ!」
ギルドの受付カウンターで、ふたりの女性が口論していた。
そこに、もうひとり女性が割って入る。
「ラミー。もう言っても仕方がないわ」
「セーラ姉さん……」
妙齢を過ぎた姉妹だ。
彼女たちは受付嬢の上司らしい。
「もう少し待っていれば、あのかたが来てくれたのに……」
姉がため息をはく。
そのとき、ギルドの扉が開かれた。
かつかつと踵をならして、人影が歩いてくる。
それを見た姉妹の顔が、明るくなった。
「……お待ちしていました。さっそくですが、冒険者救出の依頼を――」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
廃都ルルホト。
魔物の巣窟と化したその都を、銀の翼のメンバーたちが、突き進む。
だが魔都に巣食う魔物は手強い。
A級冒険者パーティたるさしもの彼らとて、既にかなり疲弊していた。
「いた! あそこにいるぞ!」
剣士クリスが行方知れずとなった冒険者たちを探し当てた。
彼らは何かに怯え、身を隠しながら縮こまっている。
「どうしたのかしら? 怪我でもしているのかも」
「だったらはやく手当をしないと!」
クリスが慌てて飛び出そうとする。
それを軽業師レトロが、制した。
「待て! なにかいるぞ!」
都市を覆う分厚い雲から、雷鳴が轟く。
「瓦礫のうえ! なにかいるぞ!」
魔術師コンクリンの叫びにつられて、銀の翼の面々が顔をあげた。
「ググ、ウルルルルゥ……」
そこに雷を纏う魔獣がいた。
クリスが剣を構え、シェーファが杖を掲げる。
「……まずい。……まずいぞ」
「どうしたのレトロ? いったい……」
「……あの魔獣は雷獣鵺。Sランクモンスターだ」
鵺がいやらしく嗤う。
新しく現れた獲物を睥睨する。
「ウルルゥオオオオオオオオオオオオオ!!」
咆哮とともに、あたりに幾筋もの落雷が落ちた。
行方知れずだった冒険者たちが、悲鳴を漏らす。
銀の翼と雷獣の死闘が幕を開けた。
ボロボロになったクリスが、それでも前に立ち、剣を構える。
その背中に守るのは、銀の翼のメンバーたち。
すでにパーティは半壊していた。
魔術師コンクリンは雷に打たれ、軽業師レトロは獣の爪に体を抉られて、どちらも気絶している。
「……ごめん、なさい。……クリ……ス……」
いま、僧侶シェーファも地に膝をつき、倒れ伏した。
「くそ! 糞! 糞ぉおおおお!!」
彼の仲間たちはみんなまだ生きている。
とはいえはやく治療をしないと助からない。
だが鵺は、そんな隙を与えない。
「……グゥルルルゥ……」
雷獣がニタニタと嗤った。
クリスも満身創痍だ。
もう攻撃する力も残り少ない。
だから彼は、最後の賭けに出ることにした。
防御をかなぐり捨てて、決死の一撃を与える。
「……いくぞ、鵺!」
クリスが倒れればパーティは全滅だ。
そうなれば誰も助からない。
彼は決死の思いで、魔獣に飛び掛かった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
だが叩きつけられた剣を、鵺の爪がやすやすと弾いた。
「ぐわぁあああああ!!」
吹き飛んだクリスの体が、瓦礫のうえをゴロゴロと転がる。
彼は震える脚に鞭を打って、なんとか立ち上がった。
そこに鵺の雷撃が襲い掛かった。
「グルルゥオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
極太の雷が、稲光を走らせながらクリスを襲う。
「…………ぁあ」
彼は死を悟った。
棒立ちになって、襲いくる稲妻を見つめる。
「……誰か、助けて」
クリスは救いを求めた。
助かりたいのは、自分ではない。
自分の無茶に巻き込んでしまった仲間たちを。
どうか助けて、と。
彼の頬を一筋の涙が伝う。
「――手間をかけさせるな」
クリスの耳元で、無愛想な声がした。
何者かが彼の背後から襟首を掴み、引っ張る。
クリスが尻もちをついた。
彼と入れ替わるようにして、その人影が進みでる。
人影が、腕を一振りした。
それだけで鵺から放たれた極太の雷撃は、跡形も残さず掻き消された。
「ゥルルル!?」
警戒した鵺が飛び退いた。
牙を剥いて威嚇しだす。
仮にも雷獣鵺は、Sランクモンスターに分類される凶悪な魔獣だ。
だが人影は余裕の態度をまったく崩さない。
「弱っちいくせに無理するな。下がってろ」
人影が振り向いて、クリスに声をかけた。
尻もちをついたままの彼は、呆然としながら彼女を見上げる。
艶めく黒い髪と赤い瞳。
スレンダーで凛とした立ち居振る舞いの美女だ。
年の頃は二十歳くらいだろうか。
だがクリスは知っている。
この美しい女性が、見た目通りの年齢ではないことを。
女性が白い片マントをなびかせた。
胸元には碧い宝玉。
真っ白な胸当てをつけている。
パーティが救われたことに気づいたクリスが、声を震わせた。
「……あぁ。……もしかして、あの伝説の……」
冒険者ギルド創設者。
本部ギルドマスターにして、自らも現役の冒険者。
それもただの冒険者ではない。
世界に唯一。
S級冒険者をすら超えた伝説の存在。
――特S級冒険者、『魔神』マーリィ・ベル。
魔神が背負った二本の剣を引き抜いた。
漆黒の魔剣アベル。
純白の神剣アウロラ。
闇と光に包まれ、神魔の力を纏った彼女は、雷獣鵺に向けて足を踏み出した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ふー。今回は、結構ギリギリだった」
雷獣鵺を叩き斬り、弱っちい冒険者たちを助けたわたしは、意気揚々と街道を歩く。
次はどこに向かおうか。
特に予定は決めていない。
『しかしなんじゃな。弱いながらも、なかなか見所のある若者じゃったな。なんというパーティだった?』
「たしか、金のなんとか?」
だったと思う。
『仲間のために己が身を投げ出す。そうそう出来ることではない! ……あとは、分を弁えた行動を覚えるといいのじゃが』
「ふふん。あれはきっと若さゆえの過ち」
そういえば、わたしももう42だ。
見た目は20の頃から全然変わってない。
まぁ中身はもっと変わってないけどね。
なんか見た目が変わらないのは神剣の影響らしい。
アウロラさまから説明は受けたけど、よくわかんないから適当に聞き流した。
『……金じゃなくて銀。『銀の翼』だよ。でも本当に間に合って良かった。また誰かの命を、助けることができたから』
『アベルは真面目じゃのう』
『そりゃあね。これが僕に出来る、唯一の贖罪なんだし……』
『ふむぅ、贖罪なぁ。別にそんなことの為に、お主を剣に転生させたわけではないのじゃが』
ふたりのこのやり取りも、もう慣れたものだ。
アベルさまは魔王の呪いに侵されて暴れ回ったことを、ずっと悔やんでいる。
だからわたしはアベルさまの気が少しでも晴れるようにと、冒険者ギルドを設立した。
ギルドの目的は、終末の獣が荒らした大陸を元に戻すことだ。
でもアベルさまはそれだけじゃ納得しなかった。
だからこうしてみんなで大陸を旅して、人助けをして回ってもいる。
と言っても真面目に困っているひとを探そうとしているのはアベルさまくらいなもので、わたしとアウロラさまは半分くらい物見遊山だったりする。
3人で世界を旅して回るのは、楽しい。
『アベル、マーリィ。次はどこに行こうかのぅ?』
考えごとをしていたら、アウロラさまに話しかけられた。
『困っているひとがいるなら、何処にでも』
「うーむ。わたしとしては……」
口を開くと、お腹がぐぅとなった。
「……ご飯の美味しいところ」
アウロラさまから羨ましげな感じが伝わってくる。
そういえばアウロラさまは、いつだったか言っていた。
人化の術を開発して、またたらふくご飯を食べたいとかなんとか。
残念ながらその目論見は、まだ実現していない。
『……羨ましいのう。なぁアベルもそう思うじゃろ?』
『ぼ、僕? 僕は別に……』
『嘘をつくでない! お主もこの間、久しぶりにお酒が飲みたいなぁ、なんてこぼしていたではないか!』
「そうなの?」
『……うっ』
アベルさまとお酒。
想像したら楽しそう。
実はわたしも、最近ちょっとお酒を嗜むようになったのだ。
「アウロラさま。はやく人化の術を開発して。そうでなくても、最近わたしは、ギルドのみんなに、独り言の多い変なやつと思われてる」
『うむ。もうちょっとなんじゃがのぅ……』
なら期待しながら待っていよう。
時間ならたっぷりあるのだ。
話しながら、当て所なく歩く。
「きゃあああ! 誰か! 誰か、助けてぇ!」
何処かから助けを求める声が聞こえてきた。
街道は物騒だ。
とくにこの辺りは終末の獣が暴れた場所だから、まだ魔物が多い。
アベルさまが騒ぎ出した。
『マーリィ! 誰かが助けを求めてる!』
『んむ! ゆくぞマーリィ!』
二本の剣を背中から抜いて、声のするほうに足を向けた。
「さっさと助けて、ご飯にする。そして……」
そしてまた、旅を続けよう。
アベルさまと、アウロラさまと一緒に。
いつまでも、いつまでも。
青い空を仰ぎ見た。
遠いむかし。
まだわたしが少女だった頃に、路地裏から見上げた空を思い出す。
この空がどこまでも続くのなら、わたしはそこに行きたい。
あのとき願ったその想いは、いま叶っていた。
『どうしたのじゃ、マーリィ?』
「……なんでもない」
『はやく、助けに向かおう!』
「ん、わかった」
足を踏み出すまえに、もう一度だけ空をみた。
青く澄み渡っている。
やっぱりこの空は、見渡す限り、果てしなく広がっていた。
おしまい。
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