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看護の道  作者: 蒼龍 葵
一章 私が看護師になるまでの道のり
1/11

「はじめに」

 はじめに


 人はいつどうなるか分からない。だからこそ、私は自分の看護師としての考えを残そうと思いこれを綴ることとする。


 看護師として15年勤務。休んだ時期はない。しかし経歴としてはまだ折り返し地点だと思う。


 私がこの15年の中で尊敬している看護師はたったの5人しかいない。けれども、その5人がいたからこそ、今の私がある。


 これは看護学生、看護師として働いたばかりの方、新人を教えるトレーナー、勤務移動を考えている人の何かしらアドバイスになれたらと思い残す。



 ほんっとどうでもいい私の経歴(笑)

 ※この先はどうでもいい話なので次ページから真面目にやります。人生色々〜ってやつですわ。


 約四年半、呼吸器内科病棟にてターミナル、抗がん剤、在宅酸素療法の指導に従事。業務改善の為クリティカルパス導入チームで化学療法のパス作成、看護研究チームへ。

 同期と後輩指導を行なっていたが、長く同じ職場にいるとお局気質が悪さしたのか突然手術場に勤務移動となる(当時は姥捨山と呼ばれるほど環境劣悪と言われていた)

 私は瓶底眼鏡で視力が絶望的に悪く、左利きというハンデから医者とかなり折り合い悪い。カメラワークも下手だったのでほぼ記録ナース、術前看護と術後訪問に伺う。

 あまりの環境に味覚障害にて激やせ、おまけに師長と合わずメンタル病んで一年ちょいで勤務移動希望。

 約五年間耳鼻科、皮膚科、形成外科、整形手術後のリハビリと混合病棟に移動。ここでもクリティカルパスや看護研究のチームに入る。


 おかんが定年退職とほぼ同時にご縁あり遠距離恋愛の末結婚。東京に移動して勤務開始。

 脳神経外科リハビリ病棟に約三年。同居することとなった姑と合わず仕事を変える為別の病院へ就職するが、ヘビーワークにて頸椎ヘルニア再発、三カ月で退職する。

 以後東京というありがたい環境で派遣ナースとして転々とし、つてで知り合ったクリニックへ就職。しかしパート扱いの為ダブルワーク開始。勤務中に階段から転落、肘の骨折によりさらに金銭面が厳しくなり閉院と共に離職。おまけに離婚笑。

 突然仕事を失い、腕の問題で病院復帰ができなくなり、デイサービスを転々。ご縁があり現在の職場で昨年より就職中。


 今のところ経験のないものは産婦人科くらい。クリニックでは私が嫌いな小児科がメインだったので術 場の経験も相まって広く動けるようになった。

……と思う。


次から真面目に不真面目に書きます。

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