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弦国最強

 琉が弦国皇帝の位に就き、弦国内に平穏な時代の気配が感じられるようになってきたころ。弦の帝都玄安では、ある噂話が流行していた。

 曰く、弦国の最強は本当に大将軍・郭戒燕なのか。

「あの盤将軍を一騎討ちで倒して手に入れた最強の名は偽りではないだろう」

「だが、衛将軍も大将軍に引けを取らない強さだぞ。衛将軍は訓練場で兵士たちと汗を流すこともあるが、実際に目にするとあの強さはただごとではない」

「他にも執金吾も類稀な強さをお持ちと聞く。噂ではかつて衛将軍と刃を交えて、決着にこそ至らなかったものの、互角以上の立ち回りを見せたとか」

 現在弦国最強と目される戒燕の対抗馬として数々の猛者の名が挙げられたが、結局衛将軍・孟琅琅と執金吾・乾清隆の二人以外の名は残らなかった。やがて民たちの間に広がる噂話の関心事は、この三人の誰が最も強いのか、という点に集約されていくことになる。


「最近玄安の民たちの間で噂になっている話をご存じですか」

 彩丹にそう問われた琅琅は、その噂について何も思い当たらなかった。

「なんだそれは」

「本当の弦国最強は誰か、という噂ですよ」

「そりゃあ、郭大将軍だろう。あの強さを疑うやつがいるのか」

「大将軍の強さを疑うというより、貴方や執金吾もそれに匹敵するか、あるいはそれ以上ではないかと噂されているのですよ」

「ほう。大将軍に対抗できる者に俺の名が挙がるのはわかるが、執金吾の名まで挙がるとは……。民も案外よく見ているものだ」

「実際どうなのです。今そのお二人と刃を交えてみたらどうなるか」

 琅琅自身、武に生きる者として誰がどれだけ強いか、自分の力がどの位置にいるのかを確かめてみたいという好奇心はある。そしてその頂点に自分がいたいという欲求もある。

「だが、俺は昔大将軍と戦って負けているからな。その俺が大将軍を差し置いて最強を名乗るわけにはいかない。それにあの男は背負うものが大きいほど力を発揮する類の人間だ。あの時は主君ただ一人のために負けるわけにはいかないという覚悟で戦っていたが、今戦うとすれば弦という国を背負ってのものになるだろう。その強さはあの時とは比較にならないだろうな」

 琅琅の目には素直な賞賛の光があることを彩丹は気付いていた。そしてその目に宿るものがそれだけでないことにも。

「でも、自分もあの時より強くなっているから、今戦えばどうなるかわからない。そうですよね」

 彩丹の指摘に琅琅は大きな笑い声だけで答えた。

「ところで、執金吾はどうですか」

「ああ、あいつか。あいつには勝てる気がしないな」

 あっさりと認める琅琅に彩丹は意外な思いがした。

「そうなのですか。では、執金吾が最強なのですか」

「いや、それはどうかな。執金吾と大将軍なら大将軍が勝つと思う」

「どういうことですか」

「武とは単純な強弱だけの話ではないということさ」

 そう言って笑った琅琅は、それ以上は語らなかった。


「義姉上」

 弦軍の将士が集う訓練場で汗を流す彩丹は、背後からそう声を掛けられると石像にでもなったかのように硬直してしまった。

「義姉上も鍛錬ですか」

 辛うじて首だけ動かして振り返ると、そこにいたのは大将軍・郭戒燕。彩丹を義姉上と呼ぶ男は他にはいない。

「大将軍、私をそう呼ぶのはお止めください」

「しかし私の妻の兄上の奥方であれば、他に呼びようはありませんよ」

「せ、せめて弦軍の施設内では軍の序列に従ってください」

 戒燕としては、今日の執務は終わって帰る前に訓練場に少し立ち寄っただけで、今は私的な時間と認識していた。そのため公的な序列ではなく、家族内の序列として彩丹を義姉上と呼んだのである。

「まあ、義姉上がそう仰るなら」

「ところで、珍しいですね。訓練場に顔をお出しになるなんて」

「ああ、衛将軍がたまにここへ来て汗を流していると聞いてな。私も負けていられないという気になったのだ」

 真面目な戒燕は、もう大将軍としての振る舞いに戻っている。

「それは、民たちの噂を聞いてのことですか」

「噂……。なんだそれは」

「真の弦国最強は誰か、ということですよ。ご存じなかったですか」

「ああ。いや、少し耳にしたことはある。確かにこの国には私以外にも類稀な猛者が数多くいるからな」

 戒燕の口調はどこか嬉しそうであった。内乱は終わり、弦国内の猛者は皆味方であると考えれば、頼もしいという思いの方が強いのだろう。

「大将軍は衛将軍や執金吾と刃を交えられたら勝てるとお思いですか」

 彩丹は直接的な質問を投げかける。

「ははは、どうかな。あの二人が相手ならば、必ず勝てるとは断言しにくいな」

 穏やかな笑声を発する戒燕。

「だが……」

 笑声を収めた戒燕の表情と口調が引き締まる。

「陛下のため、引いてはこの弦国のために刃を振るうのであれば、私は誰が相手であっても負けはしない」

 その言葉と表情を見た彩丹は琅琅が「あの男は背負うものが大きいほど力を発揮する類の人間だ」と言った意味がわかった気がした。

「まあもっとも、彼らが陛下のために力を尽くしてくれている以上、我々が刃を交えることはないだろうな」

 それは戒燕の心からの願いでもあった。


「執金吾!」

 一人回廊を歩く清隆の姿を見たとき、彩丹は思わず声をかけていた。

「おや、誰かと思ったら衛将軍夫人ではありませんか」

「お、お止めください。私自身はしがない末将に過ぎません」

 執金吾は三公九卿に次ぐ高位の官である。弦軍の序列二位である衛将軍ならいざ知らず、末端の将に過ぎない彩丹から見れば本来であれば声をかけるのも憚られる相手である。

 それでも彩丹が声をかけずにいられなかったのは、例の噂について清隆からも話を聞いてみたいという好奇心に抗えなかったからである。

「執金吾は巷での噂をご存じですか。真の弦国最強は誰であるか、という」

「ああ、耳にしたことはありますよ。私自身、誰が最強かということに興味はないのですが」

「現在弦国最強と言われる大将軍に匹敵しうるのは、衛将軍か執金吾かと言われておりますが」

「確かに衛将軍は強いですね。私も、互いに本気ではなかったとはいえ、一度刃を交えたことがあります」

「そのようですね。確か決着には至らなかったとか。仮にその時、本気で戦って決着にまで至っていたとしたら、どうなっていたとお思いですか」

「はは、仮定の話はあまり好きではないのですが、私が勝っていたでしょう」

 その答えに彩丹も思わず前のめりになる。その予想は琅琅が語ったこととも一致する。

「それは、執金吾の方が衛将軍より強かったということですか」

「そうではありません。あの状況は私に有利だったのですよ。あの時は城の中庭で対峙していましたが、いざとなればいつでも狭い屋内に移動できました。屋内での戦闘ならば私は衛将軍にも大将軍にも負けないでしょう。しかし、広大な屋外の戦場であれば、あるいは馬上での戦闘であれば、私は二人には勝てません」

 清隆は狭い屋内での戦闘や突発的に発生する遭遇戦に強い力を発揮する。それゆえに長らく琉の近くに侍り護衛としての任務を与えられているのである。

 対して、琅琅は広大な戦場で多数の敵兵を相手にするときに最も力を発揮する。水軍を率いた船上での戦闘でも敵になる者はそう多くないであろう。

 戒燕も同じく戦場で多数の敵兵を相手にするのを得意とするが、特に馬上での戦闘で最も力を発揮する。

 それぞれが異なる得意分野を持つのである。

「異なる得意分野を持つ者同士を比較してどちらが強いかを論じるのは無益と言えましょう」

 そう言うと清隆は華やかな笑みを残して去っていった。


 その日、彩丹は琅琅と共に郭家に招待されていた。郭家は琅琅と彩丹にとって妹夫婦の家であり、招待を受けて食事を共にすることは珍しくはない。

 しかしそのときばかりは彩丹は緊張を隠せずにいた。

「どうした彩丹。箸が進んでいないな」

「あ、当たり前です。陛下の御前で普段通りに食事などできるはずが……」

 その日の郭家には、弦国皇帝である煌琉も招かれていたのだ。

「そう固くなる必要はない。今の私は皇帝としての煌琉ではなく、戒燕の幼馴染である琉という一人の男としてここにいるのだ」

 その言葉通り、琉の服装はとても皇帝とは思えない平民のようなありふれた服装だった。そしてそれは隣に座る堰皇后、つまり玲寧も同様だった。

 他にも尚書令の景衛舜、衛尉の董志道をはじめ、共藍から琉に従ってきた直臣たちが勢揃いしている。

 彼らの間には長らく苦楽を共にした仲間という雰囲気があるが、つい最近琅琅の妻となった彩丹にとっては朝廷の重鎮たちの集まりに放り込まれたようなものである。緊張しない方がおかしいというものである。

「ふう」

 さすがに緊張が限界を迎え、厠と称して場を抜け出す。夜風に当たながら月を眺めていると、不意に背後から声がかかる。

「まだ慣れぬか」

 振り向くとそこには琉の姿。その傍らには衛舜もいた。

「へ、陛下。尚書令も」

「今はただの琉という男だと言っただろう。そう緊張することはない」

 柔らかく笑いかけながら、彩丹の隣へ並び月を見上げる琉。

「良い月夜だな」

 夜空に浮かぶのは半分ほど欠けた月。あの欠けた部分が満ちるにはまだいくらか日数が必要だろう。どの辺りが良い月夜なのか彩丹にはよくわからなかったが、そうですねと相槌を打っておいた。

「例の噂について、聞いて回ってるんだそうだな」

 そう話を向けられて、彩丹の心臓が跳ねた。

――ま、まさか、変に嗅ぎまわって陛下のお気に障ってしまったのか……。

 背中に冷たいものが流れるのを感じる。

「それで、結論は出たのか。彩丹は誰が最強だと思う」

「あ、いえ、それは……」

「心配せずとも、本人たちには結論は秘密にしておく。遠慮なく申してみよ」

 彩丹の戸惑いに気付いていないのか、気付いた上であえて無視しているのか。琉は楽しそうに会話を続ける。

「で、では……。最強は、やはり大将軍だと思います」

 それが彩丹の結論だった。

「ほう、なぜそう思う」

「執金吾が仰っていました。最強候補である大将軍、衛将軍、執金吾の三人は、三人とも得意分野が違うと。そして異なる得意分野を持つ者同士を比較してどちらが強いかを論じるのは無益だと。私もその通りだと思いました」

「なるほど。それは確かにその通りだな。では、その上でなぜ戒燕が最強だと」

「大事なのは”弦国最強”という名が持つ力です。それは対外的な意味を持つ名です」

「ほう、なるほど」

 それまで静かに聞いていた衛舜が興味深そうに相槌を打つ。

「その名が最も力を発揮するのは、”弦国最強”が戦場に立つ、という瞬間です。その事実が敵軍を恐れさせ、自軍の士気を高揚させます。父もそう言っていたことがあります」

 長らく弦国最強と謳われた盤呉丹の娘だからこそ、その名の持つ意味を彩丹はよく理解していた。

「そう考えたとき、戦場において最も力を発揮する人物が”弦国最強”に相応しい。私はそう考えました」

「なるほどな。そうなれば、清隆は除外されるな。清隆の力は戦場よりも室内や雑踏の中で真価を発揮するからな」

「そして大将軍と衛将軍でも、やはり得意とする状況は異なります。大将軍は騎兵、衛将軍は歩兵あるいは水軍を率いることを得意とされています」

「ええ、その通りです」

 衛舜もそれに同意する。

「そして弦国が最も力を持つのは騎兵隊です。弦国の騎兵隊と言えば、大陸中にその名を轟かせています。弦国の騎兵隊を弦国最強の将が率いる。それこそが弦国最強の名が最も力を発揮するときです」

「つまり、騎兵を得意とする戒燕が弦国最強に相応しい、そういうことか」

「はい。私はそう結論付けました」

 琉は嬉しそうにうなずき、衛舜は感心したような表情で彩丹を見ていた。

 途中から夢中で語っていた彩丹はそこで我に返った。

「申し訳ありません! 未熟な身ながら、つい僭越なことを申し上げました」

「いや、構わない。とても参考になった。だろう、衛舜」

「ええ、素晴らしい考察です」

 彩丹の考察は、武人としての考察というよりむしろ戦略的な視点での考察と言っていいだろう。戦略的な思考のできる将はそれほど多いものではない。しかも身内贔屓に流されることなく評価を下せたという点においても彩丹の資質を感じさせる。

「陛下、ここにおられましたか。長らく姿を見ないもので探しましたよ」

「おお、戒燕。ちょうどお前の話をしていたのだ」

「私の話ですか」

 彩丹の姿を認めた戒燕はその話題の内容に合点がいった。

「ああ、例の噂の話ですか。では、私は退席した方がよろしいですかな」

「構わん。もう話は終わった」

「ははは、そうですか。結論は聞かないでおきましょう」

「そうだな。結論は秘密にするという約束で聞き出したのだからな。ただ一つ言えることは……」

 琉は彩丹の方にちらりと目をやり、微笑んだ。

「弦軍の未来は安泰だろうということだ」


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