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盤彩丹・後

「そろそろ大将軍に挑戦してみるか」

 ある日の訓練終わりの帰り道、琅琅がそう提案してきた。

「実力は付いてきている。実績も挙げた。そろそろ頃合いだろう」

「しかし、私はまだ貴方にも五分以上勝つことはできません」

「ははは、言っただろう。俺は大将軍にも負けはしないと。その俺に一本を取れるだけの実力があれば十分さ」

 彩丹が逡巡したのはわずかの間だった。

「わかりました。挑戦します」

 まだ実力は足りないかもしれない。しかしいつまでも実力が足りないと逃げていては、いつまで経っても求めるものに手は届かないだろう。

――恐れてなるものか!

「いい返事だ。挑戦の場は俺が手配しよう」

 大将軍と琅琅は古くからの盟友。仕合の場を設けるものわけはないのだろう。そもそも末端の将に過ぎない彩丹では大将軍と対面することすら難しい。そこは任せるより他にない。

 そしてついに挑戦の日が訪れた。

 彩丹がいつもの訓練場へ向かうと、琅琅は訓練場の外で待っていた。傍らには馬車が待たせてある。

「来たな」

「これはどうしたことですか。この訓練場で仕合を行うのではないのですか」

「大将軍は忙しい身だからな。あの男は真面目が過ぎて俺と違って仕事を適度に手抜くことを知らん。仕方ないから、呼びつけずにこちらから出向いてやろうというわけだ」

 そう言うと彩丹を馬車に押し込め、馬車は走り始めた。

「どうだ、緊張しているか」

「いいえ、と言えば嘘になりますが、力を出せないほどではありません」

「そうかそうか、いい傾向だ。適度な緊張は集中を助けるからな」

 明るい笑い声を上げる琅琅に彩丹はどこか安心感のようなものが湧いてくるのに気が付いた。

 その源泉が何であるか。疑う余地はない。

「将軍、今までありがとうございました」

「なんだ突然。礼を言うなら大将軍に勝ってからにしろ」

「いえ、今言いたいのです。将軍は初めて私を刃を交えたとき、私の無謀な挑戦を馬鹿にすることもなく真剣に受け止めてくださいました。無名な将の挑戦と軽んじることもなく、女だからを侮ることもなく、真剣に」

「女でも強いやつはいるということは、身に染みて知っているからな」

「それ以降も弦国最強の大将軍に挑むという無謀な願いを叶えてくれるために付き合ってくれています。感謝の念は絶えません」

「感謝など不要だ。俺も楽しんでやっている」

 彩丹はこれから言おうとしていることに、胸の高鳴りを押し留めることができなかった。これから弦国最強の男に挑むこと以上の緊張が彩丹を襲っていた。

「もし、私が勝った暁には、これまでの礼として、私をもらっては頂けないでしょうか」

 彩丹には、他に礼として差し出せるものが思い浮かばなかった。琅琅は妻帯していてもおかしくない年齢であるが、未だに正室も妾もいないと聞く。

 そして彩丹には琅琅への礼として以上の想いがあった。今まで彩丹の周りにいる男は、武に打ち込む彩丹を女だからと侮るか、そうでないものは彩丹よりも弱い情けない男どもばかりであった。

 しかし琅琅はそのどちらでもなかった。彩丹を女だからと侮ることもなく、真剣に彩丹に向き合い彩丹を超える武を見せつけてくれた。

――私が求めていた男は、衛将軍のような人だったのだ。

 その想いがついに溢れ出し、口をついて漏れ出してしまった。

 真っ赤になって琅琅と向き合う彩丹。

 対する琅琅の顔は、馬車の窓から差し込む光が逆行になって判然としない。

「馬鹿野郎。大事な仕合の前になんてことを言うんだ」

 拒絶。

 彩丹はそう受け取ってしまった。が、琅琅にその意思はなかった。

「仕合が終わったら、考えてやるさ」

 馬車が角を曲がり、逆行でなくなった。琅琅は車窓の外に目をやり既に彩丹の方を見ていなかったが、その耳にわずかな赤みが差していることに彩丹は気が付いた。

 豪快な琅琅の意外な反応。

 彩丹は心の奥底から力が湧いてくるのを感じた。

――今なら誰にだって負けはしない。弦国最強の大将軍であろうとも!


 馬車が辿り着いたのは、大きな屋敷の前だった。

「ここは……」

「大将軍の屋敷だ」

 その言葉に、彩丹の身に緊張が走る。同じ弦軍に所属する将同士であるが、相手は父親の仇である。いわばこの屋敷は彩丹にとって敵地なのだ。

「孟琅琅が来たぞ! 開門してくれ!」

 琅琅が門番に名を告げると、門扉は速やかに開かれた。馬車ごと門を通り邸内に入っていく。

 馬車を降りる二人を出迎えたのは、異国情緒を感じさせる軽装の女性だった。腰には柳葉刀を下げている。こちらに歩いてくる動きは、明らかに武人の雰囲気を纏っていた。

――護衛か?

 明らかに貴族の女性の出で立ちではない。郭家の人間ではないと彩丹が判断したのも無理からぬことだった。

「兄貴、早いね」

「おう、祢祢。こいつが話していた盤彩丹だ」

「兄貴……!?」

「彩丹、こいつは俺の妹の祢祢だ」

「よ、よろしくお願いします」

 腕の立つ妹がいるという話は聞いていた。仕合の立ち合いとして呼んだのだろうか。

「大将はどうした」

「裏の訓練場待ってるよ」

 まだよく状況のつかめない彩丹は、案内されるまま訓練場へ向かう。国軍の訓練場ほどではないにせよ、個人の邸宅に備わっているには十分すぎる広さの空間がそこにはあった。

 その中央で槍を振るい汗を流す大男が一人。

 大将軍・郭戒燕その人であった。

「お待ちしておりました」

 三人に気付くと、汗を拭いながら歩み寄ってきた。

――大きい。

 近くで見ると圧倒されるほどの体躯を誇る戒燕。琅琅も十分大男の部類に入るが、背丈だけで言えばその琅琅よりも大きい。

「私が郭戒燕だ。貴女が盤将軍の娘、盤彩丹殿だな」

 父の仇という念から長年培われた印象とは正反対の穏やかな口調で話しかけてくる。

「ば、盤彩丹です。こ、この度は……」

 親の仇に挑戦するに当たり考えてきた口上も、実際に弦国最強を目の当たりにした迫力で吹き飛んでしまっている。

「どうした彩丹! やっつけてやるんだろう!」

 琅琅が笑いながら背中を叩く。彩丹の緊張を察して発破をかけてくれたのであろう。しかしその余りの力に、彩丹はよろけてしまった。

義兄上(あにうえ)、少しは手加減をしてください」

「すまん、すまん」

 笑ってごまかそうとする琅琅。しかし彩丹はその前に耳に入ってきた言葉に、今叩かれた背中の痛みも感じなくなっていた。

――今、なんと……?

「どうした? そんなに痛かったのか」

「将軍、今なんと」

「ん? 痛かったか?って」

「そうではなく、今大将軍からなんと呼ばれましたか」

 琅琅に代わり呼びかけた方の大将軍が不思議そうに答える。

「私か。それは義兄上、と」

 聞き違いではなかった。

「公の場では衛将軍と呼ぶことが多いが、今は私的な場だからな。妻の兄を義兄上と呼ぶのは当然のことだろう」

 妻の兄。ということはその妻は祢祢ということになる。言われてみると、確かに大将軍の奥方は衆南出身の女将軍だったと聞いたことがあった。

――なぜ今の今まで思い至らなかったのか。

 想いを寄せ始めた琅琅が親の仇の義兄だった。

――もし仮に、私が琅琅の妻になったとしたら、私は親の仇の義姉になるということなるのか。

 そのことに思い至った瞬間、彩丹の頭の中は真っ白になってしまった。

「兄貴、なんにも言ってなかったのか」

「いや……、そういえば言ってないな。てっきり知っているものと思っていた」

 またも笑ってごまかす琅琅の声が訓練場に響いた。

 その後の仕合では、彩丹は全く集中することができず惨敗してしまったのは言うまでもない。



「将軍。責任を取ってください」

「仕方ねえなあ」

 琅琅の笑い声がこの先いつまでも彩丹の心に明るい光をもたらした。


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