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盤彩丹・前

 かつて永きに渡り弦国最強の名を保持し続けた伝説の武人・盤呉丹。

 得物の大刀を振るえば一度に十の敵兵が斃れ、戦場に立てばそれだけで味方の士気は高揚し、敵兵の戦意は喪失した。

 偉大な武人である盤呉丹には、二人の子がいた。兄の盤志丹は袁氏の乱の際に、戦場から逃げ出した偽帝煌登が玄安に入るのを阻んだ功で、新帝の下で高位に就いている。この盤志丹は勤勉で実直な能吏として知られてはいるが、偉大な父の武才は受け継いではいなかった。その代わりに武才を受け継いだのが妹の彩丹だった。

 彩丹は偉大な父に憧れ、いつか自分も父と共に戦場を駆け回り武功を立てることを目標に鍛錬を積み重ねてきた。

 しかしその夢が現実のものとなる前に、偉大な父は死んだ。

 父の遺骸と共に送られてきた大刀を握り締めた彩丹が新たに抱いた目標は、父を討った男を打ち倒し弦国最強の名を取り戻すこと。

――郭戒燕。必ず打ち倒してやるぞ。

 それは弦国軍最高峰である大将軍であり、盤呉丹に替わり弦国最強と呼ばれる男の名だった。


 彩丹は玄安の訓練場で、父の形見である大刀を振るい汗を流していた。

 大人の男でも一人では担いで運ぶにも難儀するほどの重量を誇る大刀を振り回せるだけでも驚くべき膂力であるが、それでも偉大な父と同じように扱うことはできていない。

――この大刀が重いと感じるようでは、父の仇など取れるはずがない。

 彩丹は自分が父の武才を受け継いでいると自負しそのことを誇りに思いつつも、武という領域においては男に見劣りする女であることを歯痒く思っていた。

――私が男ならば、この大刀をもっと自在に操れたはずなのに。

 尋常な訓練を繰り返していただけでは、いつまで経っても弦国最強には届かない。そういう焦りが彩丹の心中を焼いていた。


 その日の訓練場は普段とは異なる雰囲気に包まれていた。

 訓練場の一角に人が集まり、いつにない熱気に包まれていた。

「何かあったのか」

「衛将軍がお見えになられたのだ」

 熱気の方へ駆けて行く兵が答えたのは、大将軍に次ぐ高位に位置する三将軍のひとつである。現在その地位にいるのは、孟琅琅という男だった。今上皇帝が共藍公と呼ばれていた時代から直接の臣下として仕えていた猛将である。その武は弦国最強の大将軍郭戒燕にも比肩するとも言われる。

「下々の兵の挑戦を全て受けて悉く跳ね返しているらしい。俺なんかではとても敵わないだろうが、記念に挑戦しに行くのだ」

 彩丹が熱気の中心を覗き込むと、筋骨隆々の大男が木剣二振りを操り、次から次に挑戦してくる兵士を薙ぎ倒していた。

「次! どうした、もう誰もいないのか」

「よ、よし! 次は私が! お願いします!」

 一人打ち倒される度に、次の兵が挑戦し、瞬く間に打ち倒される。その繰り返しを見ていた彩丹の顔は不快の色に染まっていた。

――なんだこの体たらくは……!

 一見熱気に溢れたこの空間だが、しかし実際には弛緩し切った雰囲気に支配されていた。

 挑戦する兵士は誰一人この猛者を倒してやろうという気概を持つ者はなく、挑戦を受ける衛将軍からも緊張感のようなものは感じられない。

――この程度の男どもに負けてたまるか。

 彩丹は父の誇りである大刀を握り締め、熱気の中心へ進み出た。

「衛将軍! 次は私のお相手を願います!」

「お、いいだろう! 来い!」

 挑戦を受けた琅琅は木剣を構えるが、挑戦した彩丹は構えなかった。

「私が望むものはそれではありませぬ。真剣にて勝負願いたい!」

 彩丹のその宣言に、周囲を取り囲む兵士たちから哄笑が沸き立った。

「聞いたかあの女!」

「衛将軍相手に真剣だとさ」

「女相手なら手加減してもらえると思って調子に乗っているのか」

 女であるが故に向けられる嘲笑。彩丹はこの類の嘲りには慣れているが、腹が立つのが抑えられるわけでもない。

 しかし、彩丹の視線を受ける琅琅の顔に、相手を侮るような表情は見られなかった。

「おい、俺の刀を持ってきてくれ」

 従者にそう指示した琅琅は、自身の得物である柳葉刀二振りを受け取ると、その刀身を陽光に煌かせ構え直した。

「待たせたな。いつでも来い」

 その真剣な眼差しに、周囲の兵たちも息を飲む。

「お、おい。あの女が調子に乗ったから衛将軍を怒らせてしまったんじゃないか」

 先ほどまでとはまるで雰囲気の違う、圧倒的な迫力。

――これが大将軍にも比肩すると言われる武人の迫力か。

 彩丹は身の内から湧き上がりそうになる震えを、気合いの大喝で振るい払う。

「いざ! 参る!」

 一足飛びに距離を詰めつつ、大上段に振り上げた大刀を力の限り振り下ろす。

 大刀の重量を破壊力に直接変換するその強力な一撃。

 訓練場に響く、重く激しい金属音。

 振り下ろされた大刀は、交差した琅琅の二刀によって受け止められていた。

――これを受け止めるのか!

 彩丹は驚きつつも、すぐに大刀を引き次の一撃を繰り出す。

 薙ぎ、突き、払い、打つ。

 彩丹の大刀から繰り出されるあらゆる攻めを、琅琅の柳葉刀が受け止める。

 戦いが始まる前は嘲笑が漏れていた周囲の兵たちも、彩丹の実力が並ではないことを察して見入っていた。しかし彩丹自身は焦りにかられていた。

――やはり膂力では敵わないか。

 初撃の打ち下ろしこそは二刀の交差で受け止めていたが、それ以降の横薙ぎや突きなどは一刀で止められている。彩丹の膂力では琅琅の片腕の防御さえも打ち崩せないのだ。かといって、手数では二刀の相手に敵うはずもない。

――ならば、やはり一撃で崩す以外にない。

 彩丹は飛び上がり、身体ごと大刀を振り下ろした。大刀の重量だけでなく、彩丹自身の体重をも含めた重い重い一撃。

 その一撃はしかし、琅琅の刀によって横に弾かれ、大地に突き刺さった。

 渾身の一撃を弾かれ隙のできた彩丹の腹に琅琅の刀の柄が沈み込む。

 彩丹はそのまま意識を手放した。


 目を覚ますと訓練場の端に寝かされていた。

「起きたか」

 傍らに琅琅が座っていた。彩丹は慌てて身を起こすが、腹部の鈍痛に思わず顔を顰めてしまう。

「済まない。強く打ちすぎたな。つい夢中になって力が入りすぎた」

 申し訳なさそうに笑う琅琅。

「もう兵たちとの戯れはお止めになられたのですか」

 彩丹の口から無意識にこぼれ出た本音に、琅琅は笑い声を上げる。

「戯れか。確かにお前との打ち合いの高揚と比べたら戯れだな」

「お世辞は不要です」

「世辞ではない。お前は確かに強かったぞ」

「それは女としては、ですか」

 戦いに敗れた後で強かったなどと言われても、敗れた事実が覆ることはない。彩丹は心中を染める悔しさで、思わず失礼にも当たりかねない口調で反発してしまった。

 しかし琅琅はそれを咎めることはなかった。

「女としてなら最強の部類だな。俺の妹にも引けを取らない」

「それでも、貴方には敵わなかった」

「ははは、そりゃあ俺は強いからな」

 豪快に笑う琅琅の笑い声には、自信が漲っていた。誰にも負けない自信。そしてそれを裏打ちする実力を確かに琅琅は持っていた。

「それは、あの大将軍よりも、ですか」

 彩丹が思わずそう訪ねてしまったのは何故だったか。それは彩丹自身にもわからなかった。

「大将軍……? そうか、お前の父は大将軍に討たれたのだったな」

「父のことを……、いえ、私が盤呉丹の娘であることを知っていたのですか」

「ああ、お前が寝ている間にそこらの兵に聞いた。どこかで見たことのある大刀だと思ったからな。娘がいることは知っていたが、まさかここまで強いとは思わなかった。何しろ兄があの程度だからな」

 豪快に笑う琅琅につられて彩丹も笑ってしまった。”あの程度”の兄は、そこらの兵にも劣る程度の実力しか持ち合わせてはいないのだ。

「大将軍とどっちが強いか、だったな」

 ひとしきり笑い合うと、琅琅は話を戻した。

「あの男とは一度だけ戦場で敵として刃を交えたことがある。その時は俺の完敗だった」

 彩丹は息を飲む。今自分が完敗だった猛者に完敗だったと言わしめる男が自分の目指す男なのだ。

「だが、もう何年も前の話しだからな。今やったらどうかわからんぞ」

 その琅琅の言葉は、強がりや虚勢からくるものではないことは明らかだった。

 完敗した相手であろうとも、その一戦のみで格付けが終わりというわけではないのだ。琅琅はそう語っているようだった。

「私も……」

 彩丹も思わず口に出していた。

「私もあの男に勝って、父が奪われた最強の名を取り返したい……!」

 何年かかっても、成し遂げてみせる。その決意は彩丹の中で再び強く燃え上がる。

「面白い。ならば俺たちは同志だな」

 最強を目指す二人は、再び笑い合った。


 それから彩丹は琅琅と二人で鍛錬に励むことが多くなった。

 互いに打ち合い、時に助言を与え合った。これまで女と侮られ十分な訓練相手に恵まれなかった彩丹は、琅琅との鍛錬によって実力を飛躍的に上げていった。

 特に転機となったのが、琅琅のある助言だった。

「武器を変えた方が良いのではないか」

 それは模擬刀同士での打ち合いの後でのことだった。

「あの大刀は重過ぎるだろう。あれを扱い切れる人間は盤将軍をおいて他にはいない」

「しかし、あれを扱い切れなければ、父上には追い付けたとは言えません。父上に追いつけなければ、父上を破った大将軍には敵わないことになります」

「人にはそれぞれ得意不得意というものがある。俺がその大刀と振るったところでお前以上には扱えないだろう。だが、柳葉刀を握れば俺は誰にも負けない自信がある」

 幾度となく顔を合わせる間に、彩丹は琅琅という人物がだんだんわかるようになってきていた。琅琅は自身の振るう武だけでなく、他者の武才を見抜く目も確かだった。

「今日は真剣ではなく軽い模擬刀での打ち合いだったが、正直、真剣での打ち合いのときよりも攻撃が鋭かった。もう少し軽い武器にした方がお前に合っているような気がする」

 その琅琅が武器を変えた方が良い、と言った。

――私はこの大刀を振るう以外の選択肢など考えもしなかった。

 大刀を使いこなすことが、偉大な父に追いつくことであり、その先に戒燕を打ち倒し最強の名を取り戻すという目標があるものと彩丹は思っていた。

「その大刀はあくまでも盤呉丹という偉大な男の武器だ。だが、お前にはお前に合った武器があるのではないか」

「私の、武器、ですか」

 それを境に彩丹は父の大刀を置いた。

 新たにその手に握った武器は、眉尖刀と呼ばれるものだった。

 長い柄の先端に反りのある刀身がついた構造は大刀と同じだが、刀身はその名の通り眉のように細く薄く、そして軽い。元々規格外の重量を誇る大刀を不完全ながらも振るっていた膂力を持つ彩丹ならば、軽い眉尖刀でも十分な威力の一撃を放てる。そして大刀よりも軽量な分、素早く鋭い攻めを繰り出すことができる。

 彩丹は化けた。

 並の将兵では相手になる者はほとんどいなくなった。琅琅を相手にしたときでさえ、五分とまではいかずともしばしば一本を取るようになった。

 その成果は訓練場の中に留まらず、実戦でも発揮された。

 西方の蛮族が弦の臣従国を攻めているとの急報を受け今上皇帝が親征軍を発し、彩丹も部将としてその軍に加わった。

 初戦は彩丹が敵兵と当たる前に敗走してしまったが、建て直した後は弦軍の快勝となった。その中で彩丹も敵の部将を討つなど大いに戦功を挙げたのである。

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