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親征

 西壁と呼ばれる南北に走る山脈。

 それが弦の国威の届く西端に当たる。

 弦弧に語られる神話の中でこの西壁は、創世の神がこの天地を創造する際にその素となった神獣の尾であると語られている。この尾の向こう側には広大な砂漠が広がっており、その砂漠をさらに越えていくと大陸西方諸国の支配地域に至る。

 戎駱族はこの砂漠を拠点とする蛮族である。西方の蛮族を総称して西戎と呼ぶが、単に西戎と言った場合はこの戎駱族を指すことが多い。それほど西方蛮族の中でも有力な勢力なのである。

 玄安と大陸西方を結ぶ交易路は、この砂漠の僅かに北側。草原と砂漠の境目に沿うように走っている。戎駱族はしばしばこの交易路を通る商人を襲うため、古くから弦や西方諸国と対立していた。

「戎駱族の活動が再び活発になっており、沓扇(とうせん)からの救援要請が来ております」

 衛舜の報告を琉は表情を動かさずに聞いていた。

 沓扇はこの交易路沿いの都市国家であり、弦に朝貢する臣従国である。交易路を行く商人たちの中継地点として栄えているが、やはり古くから戎駱族の襲撃に悩まされていた。

「戎駱族か」

 戎駱族と聞いて琉が真っ先に思い出すのが、威帝の最期である。威帝は琉の兄であり、琉が帝位に就く前にその座にいた先帝・煌丞のことである。当初煌丞は煌登と袁氏に荒帝と諡されていたが、煌登を偽帝とする立場の琉は即位後改めて煌丞に対し威帝と諡していた。

 その威帝は戎駱族討伐を終え玄安へ還る途上で暗殺されたのだ。

 琉が帝位に就いて一年足らず。多くの蛮族は新帝の器を見極めるまでは大人しくしているが、戎駱族だけはお構いなしのようだ。

「まだ国内は安定とは程遠い状況でございますが、捨て置くことはできません。他の蛮族への牽制のためにも、しっかり叩いておく必要があります」

 衛舜の進言に琉も同意する。

 堰氏や袁氏の残党など琉自身に恨みを持つ者や、青幟のように煌姓の帝自体を認めないものなどが、まだどこに潜んでいてもおかしくはない。荒れた田畑はまだ完全に復活したわけでもない。内憂の種は数えればいくらでも湧いてくる。

 だからこそ、外患の芽は確実に取り除いておく必要があった。

「それでは、派兵の手配を進めます。主将の選定については将軍各位と協議し……」

「私が行こう」

 衛舜の言葉を遮り発せられた琉の言葉に、衛舜は驚きの色を見せた。

「陛下、まだ国内は安定していないと申し上げたばかりではありませんか。陛下がこの玄安を離れるなど、認めることはできません」

「国内のことであれば、お主や三公に任せておけば問題はないだろう。それよりも弦は蛮族への対処を疎かにはしないという姿勢を示すため、親征し戎駱族を叩いておいた方が良いのではないか」

 皇帝が自ら兵を率いるということの意味は大きい。

 かつて、威帝の時代は”堰氏の改革”によって国内が大いに乱れた。しかし晩年に戎駱族が攻め込んで来るまで、その他の蛮族が国境を侵すことはなかった。それは威帝が皇太子時代からその武名を周辺に轟かせていたからである。当時戎駱族が攻め込んできたのも、国内の混乱により皇帝は動けないだろうと思われていたためだろう。その証拠に親征軍が討伐に向かうと戎駱族はまともな戦闘もなく逃げ出していたという。

「皇帝が強いということを見せ付ければ、他の蛮族は黙るだろう。それに親征ということになれば、弦が西方貿易を重要視しているという宣伝にもなる」

「しかし危険です。もし陛下にもしものことがあれば、もはやこの国は立ち直ることはできません」

「そうなれば今度こそ長王に即位して頂けばよい」

 長王、とは兄である煌崔のことである。かつて長清公と呼ばれていた煌崔は、琉の即位と同時に王に封じられていた。

 琉は今でも煌崔が望めば帝位を譲るつもりでいる。

「心配するな。私は負けるために行くのではない。民を救うために動きたいのだ」

 珍しく衛舜の意見を容れず、結局琉はその意志を押し通した。


 親征軍は玄安を発した。

 兵数は三万と親征にしては多くはないが、沓扇を襲う戎駱族軍が一万程度という情報を考えれば、十分過ぎるほどの兵数と言える。

 付き従う主な将は、孟琅琅、乾清隆、宋子昂、徐仲偉などである。琅琅は今では大将軍に次ぐ三将軍の一つである衛将軍となっており、子昂や徐仲偉もそれぞれに一角(ひとかど)の将としての地位を得ている。

 三万程度の軍を率いるには豪華すぎるが、それだけ衛舜が万一のことがあってはいけないと慎重に手配した結果である。むしろ琉が止めるまで、衛舜は大将軍である戒燕まで付けようとしていたほどである。

――戒燕も衛舜もいない軍を率いるのは初めてだな。

 付き従う諸将も共藍から従ってくれている信頼のおける将たちだが、戒燕と衛舜は琉にとって特別な存在であった。武と知の両面を支える馬車の両輪のようなものである。

 今回はその二人はいない。二人に頼ることはできない。琉が自身の力で走らねばならない。

――私自身の力を試すのだ。

 それが、琉がこの親征を強行した真意だった。


「戎駱族は砂漠の民。深追いして砂漠に引き込まれると危険だ」

 弦軍は沓扇の街を背にするように布陣し、砂漠に踏み込むことを避けた。

 戎駱族軍の特徴は、騎兵が馬ではなく駱駝に騎乗しているところにある。駱駝は砂漠に適応した生き物であり、砂の上であってもその機動力が制限されることはない。

 琉はもちろん、琅琅や清隆、徐仲偉も駱駝を相手にするのは初めてである。しかし弦の騎兵も大陸にその名が轟く精強さを誇る。そう簡単に後れを取るとは思われない。

「来たぞ!」

 戎楽軍が草原に布陣する弦軍の方へ近付いて来る。

「臭いですね」

 琉の傍らに控える清隆がその美貌を歪める。

「美しいものを好むお主は美しくない臭いも忌避するか」

 清隆の軽口に思わず吹き出してしまう。独特の文化を持つ蛮族ならば、弦人が慣れない臭いを放っていることも不自然なことではない。琉の緊張を察した清隆の心遣いだろうか。

 程よく緊張が解れた琉が、前線へ指示を出す。

「弓兵部隊を前へ」

 両軍の距離が狭まっていき、挨拶代わりの矢の応酬が始まる。

 主力である騎兵隊同士の衝突の時が近付いている。

「弦の騎兵の強さを見せ付けてやれ!」

 琉の号令と共に、太鼓が激しく打ち鳴らされた。

 琅琅率いる騎馬隊が戎駱族の駱駝騎兵隊と衝突する。

 激戦が繰り広げられる。

 そう思っていた琉の目の前で繰り広げられたのは、予想外の光景だった。

 弦兵の乗る騎馬が突然混乱に陥り、暴れだしたのである。

 それはもはや戦闘と呼べる状態ではなかった。背の高い駱駝の上から振り下ろされる刃に、一方的に打ち倒される弦兵。

「子昂! 騎兵隊を救え!」

 琉の指示に、子昂が弓兵部隊を動かす。

 衝突する両軍の間に横から割って入るように弓の雨を降らせ、琅琅の騎馬隊を救い出した。

「一旦退きましょう、陛下」

「あ、ああ、琅琅と子昂を退かせてくれ」

 清隆の進言をそのまま容れ、琉は兵を退かせた。

 緒戦の小競り合いではあるが、これが琉の初めての敗北だった。


 戎駱族は緒戦の勝利に満足し、その日はそれ以上の戦闘はなかった。

「なぜ馬は暴れだしたのだ」

 琉のその疑問に答えられる者はいなかった。

 敗戦ではあったが、退却の決断が早かったため、存外兵の損耗は少なかった。しかしこの疑問の答えが不明なままであれば、再び戎駱族と対峙しても同じことが繰り返されるだけであろう。

――やはり、私は戒燕や衛舜がいなければ何もできないのか……。

 失望が琉の心中を染め上げていく。

 その琉の意識を引き戻したのは、子昂の報告だった。

「陛下、北東の方角に見慣れぬ騎馬部隊が現れました。数は二千程度ですが、敵対の気配はありません」

「騎馬部隊だと。何者だ」

「それが……、その騎馬部隊から使者が送られてきたのですが、その内の一人が自分は王だと名乗っているのです。姜王だと」

「姜王だと!」

 琉は驚きながらも、同時に懐かしい感情も湧き上がってくることに気が付いていた。

「通せ。会おう」


「お久しぶりですな、陛下」

「そうですね、何年ぶりになるでしょうか。壮健そうでなによりです」

 琉の前に現れたのは、姜涼族の侑軒だった。

 琉の初陣の際に戒燕との一騎打ちに敗れ、不可侵条約の交換条件として解放された将である。数ヶ月前に初代姜王を名乗った父が死んだことで、今は侑軒がその位を継ぎ二代姜王を名乗っているという。

「どうしてこのようなところへ」

 姜涼族の支配地域はもっと北東の方角であるはずだった。

「近頃、戎駱族は姜涼族の領域までちょっかいを出してきているのです。今回は偵察と牽制のため兵を動かしていたところですが、懐かしい名を耳にしたので加勢を申し出にきたのです」

 弦と姜涼族の不可侵条約はとうの昔に期限切れとなっている。そもそも友好条約ですらない。それでも加勢を申し出るということは、姜涼族としてもここで弦が戎駱族を痛めつけてくれれば、北の草原への侵攻が弱まり助かるということなのだろう。

 琉はこの申し出を受け入れ、弦と姜涼族との共闘が成立した。


「馬が暴れた原因は、おそらく駱駝の放つ悪臭のせいでしょう」

 侑軒は弦軍の緒戦の敗走の種をあっさりと解き明かした。

「馬は臭いに敏感な生き物です。駱駝に慣れていない弦の馬は、突然あの悪臭に晒されて驚いてしまったのでしょう」

 馬は集団性の高い動物でもある。一部の馬の混乱が周囲の馬へ伝染し、ついに部隊全体へ波及してしまったのだろう、と侑軒は分析した。

「我々姜涼族の馬は予め駱駝の臭いに慣らしてあります。弦の騎馬隊の中に我々の馬を混ぜておけば、混乱に陥りかけた馬を落ち着かせられるでしょう」

 姜涼族の援けを受けた琉は、再び戎駱族と対峙した。

 本陣の先頭を行くのは徐仲偉。

 再び衝突した両者。姜涼族の騎馬を混ぜた徐仲偉の騎馬隊は、二度目ということもあり前回のようにいきなり総崩れになることはなかった。

 しかし前回大陸最強とも名高い弦国の騎馬兵を打ち倒した戎駱族の兵の士気は高く、弦の兵はいつ再び馬が暴れだすかという恐怖が拭いきれず、士気が高揚しきっていない。兵数に勝るとはいえ、士気に劣る弦軍は徐々に押されつつあった。

 しかしそれも想定内のことであった。

「左右の騎馬部隊を動かせ」

 琉の指示に応じて太鼓が打ち鳴らされ、部隊の後方に待機していた騎馬部隊が左右に展開し、戎駱族軍に襲い掛かった。弦軍、姜涼族軍の中でも特に機動力の高い騎馬を選りすぐった精鋭部隊である。

 この二隊を率いるのは、琅琅と侑軒の二人であった。

 優勢と思っていた戎駱族は突如現れた精鋭騎馬部隊に驚き、前回の弦軍のように混乱に陥った。乱戦になっても、弦の馬に大きな混乱は見られなかった。弦の騎兵が本来の力を発揮できれば、蛮族に後れを取ることはない。

「敵将を探せ!」

「姜王に先を越されるな!」

 侑軒と琅琅は戦功を競い、敵将を求めて戦場を駆け巡った。二人が駆けた後ろには、数多の戎駱族兵が道を成して斃れていた。

 快勝となった。

 結局、戎駱族の将は乱戦の中で駱駝の高い背から落下し死んでいるところを子昂が発見し、琅琅と侑軒は自分が敵将を討てなかったことを悔しがっていた。


 その夜、弦軍と姜涼族軍は戦勝の宴を催した。

 弦と姜涼族は敵対している時期が長かったが、今回は共に戦った仲間同士。宴は大いに盛り上がった。

 そんな中、首座に座る琉の表情は晴れなかった。

「浮かない顔をしておられますな」

「侑軒殿」

 宴の中、一人沈んだような顔をしている琉に侑軒が話しかけてきた。

「快勝だったというのにどうしたことですか」

「私の率いる軍の勝利は私の力によって得られたものではありません。貴方や皆の助力があったからです」

 琉の言葉は今回の戦に限ったものではない。

「私はこれまで多くの者に助けられてきました。戒燕や衛舜などの臣下だけでなく、兄である長王や異国である衆南の馬那王子。そして今回は貴方に助けられました。私の力で得られた勝利はこれまで一度たりともないのです」

 姜涼族は古くから弦と敵対する謂わば敵国である。その王である侑軒に自身の弱みを見せてしまった。それでも琉は内面の感情から溢れ出る言葉を止められなかった。

 侑軒は琉のその言葉を聞くと、吹き出し大声を上げて笑い出した。

「なんだそんなことか」

「そんなこととはひどい」

 抗議の言葉を口にしつつ、琉の顔にもつられて笑顔が浮かぶ。

「自分一人の力で勝てると思っているのならば、貴方はかつての私と同じだ。貴方の臣下に敗れ生け捕りにされたあの頃の私と」

 笑いを収めた侑軒は静かに語りだした。

「あのころの私は自分が誰よりも優れていると信じて疑っていなかった。同族の孟統はもとより、弦国最強と謳われる盤将軍にも引けは取らないと過信していた。私より優れた人物は父である姜王をおいて他にはいないと。それを証明するため、別働隊として山に入り貴方と戦い、そして敗れた。あの頃の私に貴方が勝てたのは何故であるか、お分かりか」

「志道が伏兵を発見し戦況の優位を築いたことと、戒燕が一騎打ちで貴方に勝ったためだ」

 侑軒の問いに琉は迷いなく断言する。自分の力ではなく、志道と戒燕という優れた臣下のお陰で勝てたのだと。

「そう、貴方は臣下の力で私に勝った。そして私は、私一人の知勇のみを恃みに戦い、負けた」

 かつての敗戦を語る侑軒の顔には、屈辱や後悔の色はなかった。

「では、今回私が貴方に力を貸したのは何故だろうか」

「かつての戦いで貴方を生かして還したからだろうか。しかしそれは私自身の利を優先したからであって、貴方に恩を売るためではない」

「それでも私は貴方に救われた。もしあのとき私を捕らえたのが煌丞であったとしたらどうなっていただろうか」

 煌丞は蛮族を毛嫌いしていた。首だけになって送り返されていたとしてもおかしくはない。

「今回、私が貴方を助けたのは、弦軍の将が『煌琉』その人であったからだ。もし弦軍の将が別の者であったならば、私は傍観していただろう。誰かの力を借りることができるのも、将たる者の立派な力だ。いや、むしろそれこそが将たる者にとって最も必要な力だろう」

「力を借りることも将たる者の力、か」

「貴方は突然現れたかつての敵を受け入れ、その策を採り、勝利を収めた。誰にでもできることではない。貴方の持つその力は誰にも比肩せぬほどに強いと言えるだろう。そしてこの力は将だけでなく、王としても最も重要な力だ」

 侑軒のその言葉に、琉は頭の中を包み込んでいた靄が晴れていくように感じた。

「貴方は変わったな。なんというか、大きくなった」

「貴方に負けたことが私を変えてくれたのだ」

 侑軒の顔にも晴れやかな色が見て取れた。

「今回の助力でかつての恩は返せた。これからは姜と弦と、それぞれの王として対等に扱わせてもらう」

 突然の侑軒の宣言に、琉は思わず吹き出した。

 北方の草原の一民族である姜涼族と、大陸東方の二大強国と称される弦とでは、第三者から見れば対等であろうはずはない。それでも堂々と対等と宣言するところを琉は気に入った。

「ああ、これからは我らは対等だ」

 異国で生まれた友情を喜び合う二人の笑い声が、異国の空に響いていった。


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