新体制
琉は幼少期からの念願であった皇帝の座を手に入れた。
しかしそれで全てが終わったわけではない。むしろこれからが琉の治世の始まりなのである。
まず琉が行わなければならないのは、新体制の整備であった。新帝が立ったとき、政治的な空白を生じさせないように先帝の時代の重臣がそのままの地位を引き継ぐことは珍しいことではないが、琉の場合はそうはいかない。即位の直前まで朝廷の重職にいたのは袁氏に連なる者たちがほとんどであり、彼らは袁氏に連座して粛清されているのだ。
また、民に混乱の時代が終わったことを印象付けるためにも、重臣の刷新は不可欠だった。
「戒燕と衛舜にはこれまでと同様、軍政両面から支えてもらいたい。そのために、戒燕には大将軍、衛舜には相国の地位を任せたい」
最も信頼を寄せる人物に最上位の地位を任せる。琉にしてみれば、それは当然の選択であった。
「郭将軍については、先の戦でも大功があり、弦国最強の盤将軍を討ち取ったという名声は内外に知れ渡っておりますゆえ、異論はありません。しかし私を相国という点につきましては、恐れながらご辞退申し上げます」
衛舜の返答は予想外のものだった。
「な、何故だ! これまで私を支え続けてくれていたではないか。私はまだお主の力が必要なのだ」
「相国となれば一国を背負う重大な役目です。いくら長く陛下を支えてきたと言えども、若い私では不満に思う者も多いでしょう」
長く琉に使える臣下たちにとっては、共藍で見事な行政手腕を振るった衛舜の力を疑う余地はない。しかし共藍の外の民にとって、それは全て琉の功績として知られている。琉に声望が集まるよう衛舜がそう喧伝していたためでもある。
「それに陛下に近い私が高位に就くことで、堰氏や袁氏の再現を恐れる者もおりましょう。それよりも陛下が公平に人事を行うことを百官に示すことの方が得策でございます」
人臣の最高位である相国に琉の腹心である衛舜がいれば、互いに抑制する機能が失われてしまう恐れがある。
「しかし、お主はそのようなことをしないだろう」
「実際にどうか、という話ではなく、そういう疑念を抱く者はいるだろう、ということです」
相国の座には琉に近過ぎない人物が望ましい、というのが衛舜の考えだった。
「しかし私は長らく玄安を離れていたから、共藍からの臣下の他に有能な人物を知らぬ」
琉が共藍にいる間に聞こえてきた名前は、権力の中心に近い人物ばかりであった。それは即ち堰氏や袁氏に近い人物であり、彼らを用いることはできない。
「いえ、陛下も良くご存知の人物に適任者がおりましょう」
「何者だ、それは」
「名前まで申し上げてしまうと、その人物を私が推挙したという形になってしまい色々と勘繰る者も出てくるでしょう。私が申し上げることができるのは、民には平帝の治世を懐かしむ者が多い、というところまでです」
平帝とは琉の父のことである。平帝は目立った功績を挙げなかったが、長らく泰平の世を維持した名君と知られている。堰氏、袁氏と立て続けに外戚の専横による混乱を経験した民が、それ以前の平帝の治世を懐かしむのは当然のことであった。
「父上の治世、か……」
しばしの黙考の後、琉は衛舜の思い描く人物が誰であるかに思い至った。
「杜伸季か」
「素晴らしい人選かと存じます」
琉がその名を挙げると、衛舜はすぐに賛同の意を示した。
杜伸季は平帝の時代に丞相の位にあった人物である。平帝が崩御し威帝・煌丞の時代になると、杜伸季は職を辞し所領へ戻っていた。そのため堰氏や袁氏の専横の影響も、その粛清による余波にも晒されずにその身を保っているはずである。
杜伸季は政略に長けた人物という印象が強いが、平帝の安定した治世を長きに渡って支え続けた能吏でもある。平帝が信を置いていたという事実だけ取ってみても、統治の能力が平凡ということはありえない。
また彼の政略的特徴は、特定の敵を作らない、という点にあった。個人的な好悪の対象にされることはあっても、明確な政敵として見られることは少ない。それは裏を返せば、特定の人物に肩入れをしない、ということでもある。広く浅い勢力を築く杜伸季は、専横という謗りからは最も遠い人物であるとも言える。
琉はすぐに杜伸季の下へ使いを出した。
「お久しゅうございます、陛下」
琉の招聘に応じて参上した杜伸季は悠然と一礼した。年老いてはいるものの、弱々しい老人という印象は全くなく矍鑠としていた。招聘の理由も知っているはずであるが驚きの色も感謝の色も見せてはいない。
「お主に相国の位を任せたい」
「お断り申し上げます」
顔色も変えずに言い放つ。
「ははは、立て続けに断られるとはな。皇帝と言えども中々思い通りにならぬものだ。理由を聞かせてもらおうか」
「相国という位は、悪名高い堰無夷が創作したものでございます。そのような位に就いては人民に恨まれる恐れがございます。年老いたこの身には、民からの恨みの念は耐えられませぬ」
堰氏袁氏に対する民の恨みの念は強い。それは事実ではあるが、それが辞退の本当の理由ではないだろう。琉は黙したまま杜伸季の次の言葉を待った。
「ただし、相国以外の位であれば喜んで陛下のために力を尽くさせて頂きましょう」
「ふむ。どのような位が望みだ」
「丞相、の席が空いておりましたら幸甚の至りでございます」
その言葉を聞いた琉は思わず声を上げて笑っていた。要するに、相国という位を廃止し丞相を復活させよう、ということである。
元々丞相が相国と改称されたのは、実態はともかく名目上は威帝の名である”丞”の字を避けるためである。それをなかったことにして丞相の位を復活させることに議論の余地はあるかもしれないが、それよりも堰氏の色を排除することが、民の感情を慰撫するのに有効であると考えたのだ。
また、それを相国の位を受けた後にそれを進言するのではなく、琉が相国を廃止した後に杜伸季を丞相に任命させるという手順を踏ませたところが、杜伸季の細やかな配慮であった。
「わかった。相国の位を廃し、丞相を復活させる。そしてお主を丞相に任命する」
杜伸季は恭しく一礼し、その叙任を受け入れた。
続く丞相以外の三公についても、琉に近すぎない人物を選んだ。
太尉に任命された盤志丹は、あの弦国最強の武人と名高かった盤将軍の息子である。
玄安の決戦で戦死した盤将軍だが、その武名の影響は未だに無視できず、軍を統括する太尉に”盤”の名があることの利は大きい。盤志丹個人としては父に似ず武才に恵まれなかったが、真面目で義を重んじる人柄は評判が高い。玄安の決戦で敗走する煌登が玄安に入るのを防ぎ、長共連合軍が玄安に入るのを援けた功績もある。
そして御史大夫には煌崔の臣下である陸子安が任命された。
煌崔はかつて長清公と呼ばれていたが、琉が帝位に就くと同時に王に昇格され、今は長王と呼ばれている。その腹心である陸子安を御史大夫に据えるということは、琉が長王を尊重しているということを示すということでもある。本来であれば帝位継承順が上位である煌崔が帝位に就くべきところを煌崔は琉に譲ったことについて、細かい経緯を知らぬ者は琉が煌崔を押し退けて帝位を奪い取ったと考えるかもしれない。それに対する配慮である。
相国の座を辞退した衛舜は尚書令となった。尚書令は三公九卿に次ぐ高官であり、皇帝の文書を司る官、いわば秘書官のようなものである。それゆえ皇帝の最も近くに侍る存在であり、時には絶大な影響力を持つこともあった。衛舜がこの地位に就いたのはもちろん琉が求めたためであるが、衛舜としてはこの重要な地位を余人に任せて琉が惑わされることがないように、という意図が大きかった。
古くから琉に仕える臣下たちもそれぞれに重職を与えられた。志道は衛尉となり、琅琅は衛将軍となった。衛尉は、九卿の一つで宮門を守護する兵を管轄する官職である。衛将軍は票騎・車騎と並ぶ三将軍の一つだが、票騎・車騎両将軍位が空位となっているため現時点では大将軍に次ぐ高位の将軍位である。他にも衛業、子昴、伯舟らもそれぞれ働きに応じた地位を与えられている。
しかし唯一、清隆だけは官職に就くことを拒んでいた。
「私は官に縛られるのは性に合いません。私は人を使うことにも人に使われることにも向きません」
共藍にいたころから官職に就くことを拒み、琉の食客として傍にい続けた男である。
「職務の大半は属官に任せてしまえばよい。私はこれからもお主に傍にいてもらいたいのだ」
これまで琉の傍でその身を護り続けていた功績を考えると、清隆が就く地位はそれなりの高位となる。
皇帝の身辺警護となると、これまでと違い無官の食客を使うというわけにはいかない。これからも清隆を傍に置くためには、清隆にもそれなりの地位に就いてもらわなければならないのだ。琉は清隆に執金吾の職を用意していた。執金吾は皇帝の身辺警護を担う官職でその地位は三公九卿に次ぐ高位である。
「そのような高位に就いては自由に動けなくなってしまいます」
清隆にとっては地位の高低は重要ではなく、むしろ高位であるほどに枷になると考えていた。
――仕方ないか……。
琉は苦笑しながら小さく溜息を吐き、最後の攻め手を見せることにした。
「執金吾は皇帝の傍に控えるという職務上、その衣装は華美でそれは美しいものだそうだ」
その言葉に清隆の眉がぴくりと動く。
「美しい清隆が着れば、それはそれは美しく映えるだろうな。華美な衣装は着る者を選ぶところがある。清隆以外にあれを着こなせる者がいるかどうか」
美しさに特別のこだわりを持つ清隆である。琉はそこを攻める作戦に切り替えたのだ。
「皇帝の傍に控える者が華美な衣装に負けてしまう程度の容姿では、皇帝の威光にも陰りがでてしまうかもしれない。格別の強さと美しさを備えた者が、清隆の他にいるだろうか」
ついに琉と清隆は顔を合わせて吹き出してしまった。
「相変わらず臣下の心の隙を突くのが上手い」
「やってくれるな、清隆」
「仕方ありませんね。お受け致しましょう」
こうして弦史上最も美しいと称される執金吾が誕生した。
これ以降、弦国内で執金吾の職に憧れる民が増えたという。