第4話おかしな人達
気が付くと、テーブルの上からは、綺麗に食べ切った器が下げられていた。
窓からの光はすでに影を潜め、もうじき夜になる事を告げている。
しばらくするとスライドドアが開き、さっきとは別なショートカットが似合いそうな女性看護師が昼と同じようにワゴンに食事を乗せて部屋に入ってきた。
「お昼、綺麗に全部食べていただいたそうですね」
声のトーンからすれば、さっきの看護師と同じくらいの年だろうか、まだ若い感じのする声がそう思わせる。そして彼女もまた、あの黒マスクをしている。
テーブルに置かれたのは、昼食の時のプラスチックトレーはなく、白い大き目の皿に程よく焼き色が付いたステーキが乗せられていた。しかもワイングラスに、ラベルのはがされた赤ワインのボトルが1本。付け合わせのパンにサラダ。立派なディナーだ。
彼女はテーブルセッティングをして、手慣れた手つきでワインボトルのコルクを抜き、グラスにワインを注いだ。
「デザートは、こちらをお召上がった後にどーぞ。解けないように冷蔵庫に入れておきますので、申し訳ありませんがよろしくお願いします。石崎遼様」
ぺこりと頭を下げ、ドアを開けた。僕はその隙に彼女の向かおうとしているその奥を見ようとした。
ちらっと見えたその先には、もう一つ小さな空間の様な部屋があって、またそこにもドアがあった。
「カチャ」と、オートロックがかかった音がした。
つまり、この部屋の扉は少なくても二重になっている。たとえ目の前のドアが開いても奥のドアはロックがかかっているのだろう。
もう深く考えるのは止めた。まずは多分昼の料理から推測すると、このステーキも最高級の肉に違いない。しかもあるまじき事か病院なのに酒まで出している。
まさしくVIP待遇の監禁なんだろう。
ステーキ肉はとても柔らかく、ナイフがスッと入り噛むと言うよりは、解けると言った表現が適切だ。これはまさしくA5ランク以上の高級肉だ。しかもワインもかなり上等なものだろう。正直ワインの知識はほとんどない。でも飲みやすく後味がこの肉にとても合うような気がする。
そう言えば絵理菜がよく言っていた。ワインを選ぶときのポイントはその料理をいかに引きだすかに限ると。まさにこのワインはそれに適していた。
最後にデザートと思い冷蔵庫を開けると、可愛らしい陶器の器にティラミスが入っていた。ちょっと奥を見ると、ミネラルウォーターやオレンジジュースやアイスコーヒー。なんとビールまで入っていた。ただ、やっぱりラベルなどは全部剥がされていた。
暇な今の僕にはワインはありがたかった。
食べた後は、例によって何もすることが無いからだ。ボトルを飲み切って酔って寝れればそれでいい。今の僕にとって寝る事しかすることが無いのだから……… 。
こんな生活が、僕が気が付いてからまる二日続いた。
提供される食事は相変わらず良いが、なにせただボーとしているのがとても辛い。
しかも訳の分からないままここに連れ込まれ、監禁状態が続いている。
正直このままでは精神衛生上好ましくはない。
どの看護師に訊いても、いずれ担当の医師から説明があるとしか言わない。
まるで口裏を合わせたように。
多分、ここに来る誰に何を訊いても、それなりのキーになる人物でなければ、なぞは解明されないんだろう。
半ば諦めかけていた時、事態は急展開を見せた。
「コンコン」ドアがノックされ扉が開いた。
そこには、白衣を着た女医と彼女を挟み込むように黒服の体格のいい男が二人立っていた。その3人も同じようにあの黒マスクを着けている。
その女医はスッと前に出て
「石崎遼君ね」
彼女は僕の名を言った。
僕は軽く頷く。
「手荒な事はしたくないから、私たちの言う事素直に訊いてくれる」
その女医の声は今までの看護師とは違いとても冷静でいて、そして何か優しさを感じさせる声だった。
「解った」
僕はその女医に服従するように両手を上に上げた。すると彼女は
「フフフ、そこまでしなくてもいいわよ。ただこれからあなたにちょっとした装備をして、この部屋から移動してもらうだけよ」
そういうと、後ろかに置かれた車いすを僕の前に引いてきた。 「さあ、遼君。まずはこの車いすに座って」
僕は言われた通りにその車いすに腰を落とす。
一人の黒服の男が僕の両腕を後ろの回し、手錠をはめた。
そしてもうひとりの男が両耳に耳栓を耳穴に押し込む。
あの黒いマスクに黒い布を取り出し、黒布で目隠しをしてマスクを顔に付けられた。
以外にもそのマスクの付け心地は良く、顔におのずとフィットするような感じだった。
足にも手錠なようなものがはめられ、車いすに僕の体は完全に固定された。そして最後、ヘッドホンを付けられ耳栓をされているのにも関わらずノイズの様な音が聴こえて来た。
もう何も見えない、何も聞こえない。体は車いすに固定され身動きが出来ない状態で、静かに車いすは動き出した。
しばらく行くと下に落ちるような感覚がした。多分エレベーターで降下しているのだろう。そして、少し肌寒い感じがした。 移動していた時間はおよそ15分くらいだろうか。同じ建物の中に移動しているのは確かだと思う。
車いすは静かに停止した。
ヘッドホンを外され、まずは耳栓が抜かれた。
「遼君、聞こえる」
さっきの女医の声が聞こえた。
「ええ、聞こえます」
「そう、ごめんね窮屈な思いをさせて、今から開放するから」
少し申し訳なさそうに聞こえる声、今落ち着いたような感じで話すその彼女の声はどこかで訊いたことがある様な感じがする。
「遼君、今開放してあげるけど、これだけは守って頂戴。体が自由になっても決して暴れるようなことはしないで。お願い」
「はい、解りました。もう今更、何かをしようとは思ってはいません。それに僕の身は保証されているみたいですからね」
「うん、理解してくれてありがとう」
彼女はそう答えた。
まずは、足が解放され、次に手錠が取り外された。
かなり窮屈な体制だったから、この二つが取り外されただけでとても楽になる。
そして、あのマスクが外され目隠しされていた布がほどかれた。
ゆっくりと目を開けると正面からまぶしいライトの様な光が一瞬視界を白くさせた。
次第にハッキリと見えるようになる。
僕の前には、さっき病室で見た女医がいて、その後ろに多分おぼろげにしか記憶がないが、あの時初めて気が付いた時にいた医師だと思う人がいた。
ゆっくりとあたりを見回す。
最初に目に入ったのは古めかしい大型の計器が沢山表示されている鉄の箱のようなもの。次に大きなテーブルに無造作に置かれた書類の山に書物。
反対側に目をやると今まで見たこともないような大きなディスプレイに何百とも細分化された映像が無造作に表示されている。
その奥には成人の人間が入れるくらいのカプセルが二つあった。
きょろきょろとあたりを見回す僕にあの男性医師は、ドカッと椅子の背を抱え込むように座り
「ようこそ、石崎遼君。僕らのラボへ」
とあの時の口調と同じように言った。
「僕らのラボ?つまり研究所という事ですか」
僕は彼に問いかけた。すると彼は平然なあの口調で
「そうだよ。僕らが今研究している成果をここで立証するための施設なんだ。まぁ、最も今いきなりこの研究の事を説明してもたとえ医学生の君でも理解するには難しいだろうけどね」
彼の口調はやはりどこかふざけた感じがする。
「遼君。いきなりこんな事をして本当にごめんなさい。でも、あなたを守るにはどうしてもこうするしか方法がなかったの。だから許して……お願い」
女医の方からは本当に申し訳なさそうな感じがあのマスク越しに感じられた。
「ちょっと待ってください。医学生の僕に説明しても訳の分からない研究に、僕を守るためにこうすることしか方法がなかったっていったいどういう事なんですか。あの病室にいて、来た看護師に訊いても何も答えてくれないし、何か情報を得るものは全てなかったし、それでいきなりこれですよ。一体あなたがたは僕に何をしようとしているんですか」
二人はマスク越しに顔を見合わせ、軽く頷いたようにお互いを確認し合った。
「まぁ、そうだろうね。君が僕でも同じことを言うよ。絶対に。でも、今から見る僕らを見て君は何を感じるのかな」
彼はそう言った後、あの黒マスクを外した。それと同じくして女医の方もマスクを外し、後ろでまとめていた髪を降ろした。