第16話この気持ちは、そして今から
優美は本当に事由奔放だ。
あの話を訊いても、彼女に本当にそんな事があったのかと疑いたくなるくらいだ。
優美は日に日にかわいさを増していく。それに引き換え、私は逆行するようにまた地味な感じに戻っていった。
美容院に行ってイメージを変えたのも。ここに来た時だけだった。
カールが取れ、長くなった髪を後ろで束ね。ほとんど、いやすっぴん状態でいるのが普通になっていた。
そんな姿を。お姉さんも、俊昭さんも、倫子ちゃんらしくていいよ。と言ってくれている。本当は少し手を加えたいところもあるのだが、なにせ先立つものが少ない私にはそんな余裕なんてないから。
優美と付き合うようになって少し私も変わってきたところもある。変わってきたと言うよりもこの街になじんできたと言った方がいいのかもしれない。
優美は土地勘のない私をあちこち連れまわしてくれた。
おかげで、だいぶ位置的なものが解るようになってきた。
でも私の行動範囲はとても限られている。
私の住むアパートに、公園の真後ろの石崎家。そして学校。
買い物なんかは駅前のスーパーが私にとって一番の買い物場所だった。
大都会にいるのに、その行動範囲は狭いものだった。
優美は自分の事なんでも私に話してくれた。彼女が養女であったことも、ほかの人には言っていないんだと言う。
でも、優美から聞かれる俊昭さんの事については、私はいつもはぐらかしている。
別に優美に秘密にしている訳ではないんだけど。実際もう付き合っていることは知っているのだから。
でも、なんとなく話しづらい。
この手の話が苦手というのもあるが、彼との関係は何だろう世間一般の恋人の様な関係とはちょっと違うと感じているからかもしれない。
石崎家には、俊昭さんがはじめ「料理教えてあげるよ」その言葉を口実に通い始めた。
お姉さんは私がいると口癖のように
「倫子ちゃんがいてくれると、とても気持ちが安らぐよ」
どうしてなのかはわからないけどそう言ってくれる。
「どうだい、料理の上達のほどは……」と、自分も仲間に入れてもらいたいのだろうか。体を今にでもキッチンの方に向けてきそうにするけど、とどまるようにして私たち二人をいとおしそうに眺める。
そのお姉さんの視線はとても暖かい。
夕食を共にし、後片付けを俊昭さんと一緒にやる。一段落して居間で二人で、時にはお姉さんを交えてよく話をする。
お姉さんは、料理はしない。いや、俊昭さんがさせないのだ。 多分お姉さんもその事は暗黙の了解として解っている。
なぜなら、医者は知識もさることながら、その手に自ら傷を負っては患者さんへばい菌を移したり、もしくは自分が傷口から感染する場合もあるからだ。
確かに診察する時はグローブという手袋をしているけど、それでもやはり彼は気にしている。
それでも昔、学生時代にお姉さんも料理やお菓子造りは普通にやっていたそうだ。でも、両親が亡くなって病院を継いでからとても忙しい毎日を過ごしていた。
だから家事は全部僕がやるから姉さんは、病院の事だけ考えてくれればいいと、俊昭さんが自ら言ってくれたらしい。
それはこの病院を一人ですべてを継いでくれた、お姉さんへの罪滅ぼしでもあるんだと。彼はそう言った。
私が俊昭さんを自分ではわからなかったが意識し始めたのは、石崎家と共に生活をするようになって2か月とちょっとすぎた頃からかもしれない。
相変わらずオープンな姉弟ではあったが、その関係を私は何も気にすることはあの家の中ではなかった。
でも学校では違っていた様だった。
俊昭さんは学校では一番若い男性教師。もちろん、私が言うとおべっかの様に思われるけど、顔立ちもいいし意外とハンサムだ。
当然、女子の間では彼に目を付けている生徒が多くて当たり前だと思う。
廊下ですれ違う時、数人の女子生徒に囲まれ親しげに会話している姿を私は毎日目にしている。
学校では彼とは生徒と教師の関係以外何もない。
ましてあの子たちの様に自分から「石崎先生」と声をかけることもない。
学校生活に慣れるに従い同じように彼、俊昭さんにまとわりつく女子生徒の数は増える一方だった。
そんな学校での彼を見るのが私は、いつしか辛くなっていた。どうして辛いのかは分からない。辛い?いや、これは嫉妬だ。学校にいる彼を嫉妬し始めた。
それは石崎家にいるときもなぜか収まらなくなっていた。
自分ではどうして?彼、俊昭さんって私と付き合っている恋人なの?まだそんな事お互いから何も言っていないのに。
私たちは、いいえ、私は俊昭さんに料理を教えてもらっているだけなのに………
ある日、いつものように二人で料理をしている時、私は誤って包丁で指を軽く切ってしまった。
「痛い」と感じた時には指から血があふれ出ていた。
「ンどうした」と彼は私の指を見て
「あ、切っちゃった」と言ってそのままその指を口にくわえてしまった。
「あ」と漏らした言葉が彼に聞こえたかどうかはわからないが、ただその日、いつもの様に料理に集中することが出来ないでいた。
「どうしたんだよ。いつも言ってるだろ。料理は集中力だって。今日の倫子ちゃんなんか変だぞ。上の空っていうかさぁ」
彼はその指にカットバンを貼りながら言う。
「な、なんでもない」
ちょっとムッとして返した。
「それに最近学校で倫子ちゃん影薄いよ。もっとみんなと一緒に……」
私は居た堪れなくなって、石崎家を飛び出しアパートへ帰ってしまった。
暗い部屋で、一人。電気もつけず。ただ涙だけが溢れて来た。
なんでだろうどうしてだろう。とても悔しい。そしてとても悲しい……涙が止まらない。
寂しい。学校にいるときの俊昭さんを思い出すと、とても寂しい。さっきまで一緒にいたのに。今一人になるとものすごく恋しい。まだ彼の温もりが、包丁で切った指に感じられる。