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森の中を一台の車が駆けていく。
暗闇のハイウェイを蛇行する白いヘッドライトは、まるで戦時下に蠢く誘導灯のようだった。
赤く塗られた長い爪が軽快に右のレバーを叩く。ワイパーが雨粒をどかそうと躍起になるが、ダークブルーに染まったレースカーテンの視界を退けることはできなかった。
車の脇腹にはチョコレート色の泥がべったりとついている。道路からは獣臭い水の匂いがしていたが、車内にはアルコールと香水、そして女の匂いが充満していた。
(ほらね。誰も気づかなかったじゃない)
窮屈なシートベルトを外し、唇に赤色を重ねながらアビーは上機嫌だった。
遊び疲れた身体には心地の良い疲労感が広がっている。
(馬鹿な叔父さんの言う事ばっか聞いてたらあっという間に歳をとっちゃう)
彼女は町中の人気者だった。
豊かなブロンドヘア。若い馬のような瑞々しさと無防備さ。
ラメ付きのドレスを着れば誰だって魅了できたし、キャンディみたいな声で「お願い」をすれば何だって思い通りにできた。
吐きそうなほど甘いパフュームも真っ赤なハイヒールも誰かからのプレゼントで、高層建築のない田舎で彼女を一番星にするアイテムだった。
正体を無くすほど酒を飲み友人と騒いだのはいつぶりだろうか。
アビーはようやく、本当の自分に戻ったかのような開放感に酔いしれていた。
本当に長い最悪の十ヶ月だった。
(知り合いには「太った?」なんて言われるし、チーズマカロニは食べられないし、髪の毛はブラウンになるし)
すっきりとした腹を撫で、顔をしかめる。
(まあ、いいか。もう終わったし)
そう。彼女にとっては既に終わった事だ。もうアレを見ることはないだろう。永遠に。
つまらない回想をやめて、アビーはふわふわとする意識を雑音混じりのラジオへむけた。
アンタたちはゴースト。誰にも見えない。
ある日街から消えたって、誰も悲しんでくれないわ。
(まったくその通り)
存在しないものが消えたっていいじゃない。
誰もが、見て見ないふりしてたんだし。
この町にはアンタたちの居場所なんてないの。
アタシに必要無いんだから、それって生きてる価値ある?
アタシは人気者。
だって善い子だから。
まるで天使様みたいにね。
誰にとってもハッピーな結末ってアイスクリームみたいに最高でしょ?
もはやスパークリングワインの中を走っているようなものだった。雨は激しさを増し、ごうごうと滝のように車体を濡らす。
パッとヘッドライトが白い塊を照らし出した。
兎かしらとアビーは深くアクセルを踏みこんだ。山道で動物を轢き殺すのは珍しくないことだった。
彼女にもう少し慈愛の心があり、もう少し酔っていなければ。道の真ん中で蹲っているものが落石だと理解できただろう。
けれど彼女はハイだった。起こるべくして事故は起こった。
スピードの増した黒い前輪はバランスを崩し、冷たく濡れたアスファルトの上から体操選手のように身を乗り出した。
くるくるとオモチャのように転がった車は道沿いの大木を何本かへし折り、大破してから止まった。中身を盛大にシェイクし鉄屑と化したスクラップは、煙をあげ自身の終わりを告げていた。
飲酒運転。即死。
アビゲイル・アシュバーンの死亡記事はその二単語で纏められた。
彼女の死と葬儀については地方紙の片隅に小さく載せられただけだったにも関わらず、墓場には大勢の弔問客が訪れた。
誰もが、アビーの若すぎる死を悲しみ、彼女が永遠にこの世から失われた事を嘆いていた。
数多のフォトフレームに収められた愛らしい金髪の少女はどれもが幸せの理想形だった。
彼女の家族は突然の訃報を受け止めきれず、呆然とソファに座っていた。ゆえに、産まれたばかりの赤子を抱いた弔問客の一人に対応したのはアビーの叔父だった。彼は次第に顔色を無くし、気分が悪いと自室にこもった。
無残な事故は美しいアビーの身体と人生をめちゃくちゃにした。
ゆえに彼女が一週間前まで妊婦であったことを知っていたのは数人だけであった。




