10.
――キィ。
軋んだ音をたてて、扉が開いた。
「うん?」
脱線していた彼らは揃って開いた扉の中にある空虚を見た。
外は雨が降っている。
室内は暗い。
あれだけ案じていたのに、完全に死亡フラグあるある大喜利大会になっていた。情報の共有など忘れ去られていた。それがホラー死亡あるあるだということも失念していた。
時間の流れが曖昧なのは、この不可思議な空間に囚われてしまったせいか。それとも盛り上がったせいか。
話が合うのは分かりきっていた。彼らは長年、インターネットの上で気心の知れた間柄として友人だった。
だから、
忘れていたのだ。
危機感というものを。
家の扉が一人でに開いた時、最初に反応したのはビアスだった。
この状況を変えるワクワクするようなイベントがようやく来たのではないかと目を輝かせていた。
次に反応したのはアンディだった。
彼はかつて警察官であった職業柄、危険に対応すべく椅子を蹴り倒して立ち上がった。そして扉が開いただけの何も無い空間に首を傾げた。
最後に反応したのはショウだった。
彼は最初にのんびりと首を伸ばし、虚空を見て蒼褪めた。
そして、手を伸ばした。
取り乱した、という言葉では生温い。
アンディとビアス。二人がかりで押さえつけようとしたが、ショウはそれを無理やりに振り払った。
火事場の馬鹿力というものがあったのなら、彼はそれを、振り払う事に使った。
「はァ!?」
「マジかよ!?」
驚いたのは取り押さえようとした側、アンディとビアスである。
現役を退いたとは言えアンディは元警察官であったし、ビアスは護身術に長けていると自負していた。
その二人が力で押し負けた。成人男性とは言え自他ともに認めるモヤシ、もとい一発殴られただけで死にそうな貧弱な男に。
彼にはそうまでしないといけない、何かが見えている。
例えば、血塗れの妻だとか、千切れかけた娘だとか。
そういったものが。
◼️◼️◼️
「なあ、トマス。君はたしか、凄い映画を何本も撮っていたね。カメラの使い方って、知っているかい?」
「やあ、ジャック。こっちに来るのは珍しいね。正確にはかなり違うけれど、カメラの扱い方なら知っているよ。いったいどうしたの?」
「実は、今度日系人収容所の記録映像を撮るように上司から頼まれたんだ。良かったら、カメラの使い方を教えてほしい。少しばかりだが謝礼も出る。外に出たらお金が必要だろう?」
「それはありがたい。君のお兄さんはともかく、君には色々と世話になったしね。僕でよかったら協力するよ」
「そうか、それは良かった」
「戦争も終わったし、もう敵兵だとかスパイだとか、変な言いがかりをつけられる事もないよね? もう、家に戻れるんだよね」
「そうさ。だから、君に会うのもこれで最後になるのかな。そう思うと、少し寂しいね」
「あはは。仕事上で会うのはこれきりで頼むよ」
友人はジャックの事を迂闊だとののしった。
怒られてもジャックには何の事だか理解できなかった。
義理の兄はトマスの事を迂闊だとののしった。
無理矢理にでも付いていくと断言した時、トマスは彼を止めるべきだった。
彼らは迂闊だった。
まったくもって、その通りだった。
彼らは悪意に鈍感だった。
【裏切られた】
――お前は馬鹿だなぁ、トマス。
ぜんぶ嘘に決まっているじゃないか。
みんな、お前が外に出たら困るんだとさ。
――でも助かったよ。二人とも来てくれて。手間がはぶけた。こいつ、映画に出てただろう。
こんな危ない悪人を町に戻せるはずがないよなぁ。
――俺たちは収容所の中をカメラで撮影するスパイを発見。それを『止めた』だけ。死んだのはお前らの責任さ。
――だって俺達は正義だからな。悪を処分するのが仕事だ。そもそもお前らが悪いんだぜ。俺たちの土地にずかずか入りやがって、この侵入者。
【土地を奪ったのはお前らの方だろう。赦されないのはどちらだ】
――そろそろお前も、ガキどもと同じところに送ってやるよ。感謝してくれてもいいんだぜ?
【いま、なにか、ひどく、おぞましい、ことを】
潰れた音。引き裂く音。濁った音。
【きいた、ような】
「スパイが二人、日系人収容所に潜り込んでいたらしい」
「カメラをもって館内をうろついていたんだって」
「まあ、収容所はここから近いじゃない。怖いわ」
「敗戦国のくせに、諦めの悪い事だ。ちゃんと死んだんだろうな」
「抵抗したから、止むを得ず殴り殺したと書いてある」
「それは良かった。さすが軍のお人ね」
「死んで当然だ」
「ねえ、ママ。戦争は終わったんじゃないの? その人、悪い人だったの?」
「そうよ、戦争は終わったの。でもね、世の中には特に理由もなく、悪いことをする罰当たりな人がいるのよ」
「なら、死んで良かったね」
顔が見えないから、好き勝手に像を創り上げる。
偽の情報を信じて、真っ赤な嘘を鵜呑みにして。
盲目的な無知ほどタチの悪いものはない。
【悪はどっちだろう】
「許してくれ。二人とも、許してくれ。そんなつもりじゃあ、無かったんだ。喜んでくれると思ったんだ。本当に、みんな、どうして。彼らは友人だったじゃないか。どうして」
「諦めが悪いなあ、ジャック。元はと言えば、お前のせいだぞ。いや、お前の兄貴の為に俺達はやったんだ」
「俺達は仲間思いで、正義側なんだ。町の異物は、脅威は排除しないといけない」
「異物、異物だって? 彼らが脅威だって? あの一家は砂漠の片隅で、ひっそりと生きていただけじゃないか。何が悪いんだ!?」
「生きていること、が」
「どうしよう。どうしよう。お願いだから、君だけでも生きてくれ。ここは地獄だ。悪魔は彼らの方だった。捕虜を日本へ送還する船がある。そこに入れてしまおう。墓なんて、きっと誰も調べない。彼の墓には木を植えおく。そういう約束だから。神様、どうかお導き下さい。哀れな魂たちに安らぎを。大丈夫、君が生きていることは誰にもバレやしない。それこそ、ダニエルにだってね。だって私はこれから……」
ああ、可哀想なジャック。真面目な看守のジャック。
罪の重さに耐えかねて、首を吊って自殺した。
怒った友人はジャックの兄貴を殴りとばした。
どうして止めてやらなかった、あれはお前の弟だろう?
そうさ。俺の弟だ。
だけどあいつは男が好きだった。
そういう風に生まれちまったんだ。
一家の恥晒しさ。
だから楽になりたいと言った時、親父も俺も、あいつの事を止めようとはしなかった。
それにな、ダニエル。あいつが死んだ責任の半分は、お前のせいでもあるんだぜ?
ああ、可哀想なダニエル。仕事も首になって、相棒も自分のせいで失って。
本当に悪いのは誰なんだ?
酒浸りの生活で、自慢の脳味噌もすっかり錆びついてしまった。
「こいつは誰だ?」
「知らない。名簿にない。さっき、若い軍人が持ってきた」
「生きてるのか?」
「死んではいない」
「日本まで保つと思うか?」
「知らん。面倒を見る気はない。死んだら海に捨てればいいさ」
「それもそうだな。では、何と呼ぶ?」
「確か西山も死にそうだったな」
「じゃあ、生きてた方を西山にしよう」
日本の港。
知らない言葉。
知らない風景。
アメリカからの強制送還。
頭の中から大切な何かが抜け落ちている。
そんな気はするのに、それが何だか分からない。
こいつ、喋らないぞ。
役立たず。穀潰し。
外国人みたいな、茶色い髪をしやがって。
何もできやしない癖に。
喋ると殴られるから、口を閉ざす。
文字を書いたら敵国の言葉を使うやつだと罵られ。
けれども、すぐに仕事は見つかった。
腹が減るから飯を食う。
西山と、名前を呼ばれても、しっくり来ない。
わたしは、そういう名前だったのか?
分からない。分からない。覚えていない。
覚えているのは蒸し暑い船内の空気と、大量にいたノミの痒さ。それから熱くて痛い肉の味。
映画を観ると、胸が苦しくなる。
西部劇の中の景色を、以前に見たことがあるような気がする。
それがどうしてか、わからない。
本を読むのは好きだった。
現実を見なくてすむから。
だんだん、自分でも書きたくなって書いてみた。
運良く賞がもらえて。
先生、なんて呼ばれたりして。
家を建てたりして。
でも何でだろうか。
やっぱり何かが足りない。
そのせいかな。悲しい話ばかり、書いてしまう。
そんな時だった。
あの本に出会ったのは。
街の本屋に大々的に積まれていた。
映画を撮って、いるんだって。
思い出したんだ、君たちのこと。
あの頃とは違って飛行機だって飛んでいた。
国を跨ぐのもあっという間だった。
「センセイ!? センセイだろう? 一体どこにいたんだ!! 俺がどれだけ貴方を探したか」
「やあ、アンデル。君に一つ頼みがあるんだ」
殆ど無いような、つてを使って。
僕と君たちの本を何度も読んだ。
遠目からでも分かったよ。
シスターだった君はマザーになっていた。
あの頃と変わらず綺麗だった。
あの子たちを見つけようと、君は本を出していた。
彼らすべてに復讐しようと、君は本を出していた。
何があったのか。君から、ぜんぶ、聞いた。
夢物語のようで、まるで現実感がなかった。
「私を、恨んでいますか」
「いいえ。けれどね、ユキ。私、疲れちゃった」
怒り続けるには歳をとり過ぎたと、きみは笑った。
僕は久しぶりに、すっかり化石になった自分の名前を呼んでもらった。
「私、ガンなの。今日まで保っていたのが奇跡だと言われていたのだけれど」
マリアは微笑んだ。
「今日のためだったのね。たまには神様のことを信じてみたくなるわ」
カサカサに乾いた手は温かくて。
「ねえ、ユキ。クリスを探してちょうだい。あの子、どこにも見つからないの。かくれんぼが上手になってしまったのは、きっとレックスのせいね」
死者は土の下から甦り、家族を求めて家へと帰った。
出迎えたのは無人の空き家と小さなお墓。
アンナは、車に轢かれて死んでいた。
あれだけ恐れていた病気じゃなかった。
犯人は誰だか分からなかったんだって。
もしあの時、ちゃんと死んでいれば、君たちすぐに会えたのかな。
悲劇はいつだって最悪の方向に転がってゆく。
分かっているよ。その方がおもしろいからね。
でも、
どうして僕たちを殺したの。
どうして僕たちを放っておいてくれなかったの。
実在の人物は物語の人物に。
ゴーストライターはゴーストへ。
僕たち家族が一体何をしたの?
僕たち家族はどうして恨まれないといけないの?
僕たちはどうして死ななければならなかったの?
どうして、みんな寄ってたかって。
わたしの、家族を、壊すんだ。
何か、悪い事でもしましたかね。
そんな覚えは無いンですけれど。
なら、遠慮なくそうなってもいいですかね。
悪い事を愛したりとかね。
堂々と、他人の死にざまが好きだと言えちゃいます。なぜなら、神様。僕はあなたの作った世界を恨んでいるからです。僕の家族を傷つけた者を全てを憎んでいるからです。
死んで当然。人間なんて大嫌い!
だから僕の世界では沢山沢山殺すんです。今までだってそうしてきましたから簡単です。
マリアが亡くなった今、僕がミステリアス・トリニティを書き続けましょう。だって、あれは元々僕とクリスが書いたものだもの。
物語の中と現実の人間は違うんです。同じだけれど違うんです。銀幕の中では、罪無き人も罪人も、分け隔てなくドラマチックに殺されます。
ほら、拍手喝采お涙頂戴。本当は死んでいないから、みんな安心して喜べる。
僕の兄は殺されました。みんなが喜びました。
異常な光景でした。あれよりホラーな光景には、ついぞお目にかかったことがありません。
みんな、あいつは悪役だから当然の報いを受けたと言うんです。
彼は現実の人間なのに。何も悪い事をしていないのに。
僕の妻が死にました。会えたと思ったら死にました。噂話の言う事には、あれは不義の子だから当然だって。
だから一生独身で、養子なんか貰う羽目になるんだなんて言われていました。
僕の子供が死にました。
犯人は見つかっていませんし、捜査もされていない様子でした。
出生届が無いんだ。
おじさん。あんた、夢でも見てるんじゃないのかね。
僕の子供たちは存在すらしていませんでした。
一人は死体すら見つかりません。
本当は生きているんじゃないかって、希望を抱くのが辛いです。
――お前も、ガキどもと同じところに送ってやるよ。それって幸せだろう?
お前。
お前か?
何か知っているとしたら、あいつだ。
あいつは誰だ。
あいつは、誰だった!?
……ほら、ほら。ほらほらほら!!!!
現実なんてくだらない!!!!
神様。あなたの世界は完璧じゃない!!!!
人の死を喜ぶ輩が存在する。実在する人が消えても、他人事だ。
僕の同類がこんなに存在している世界が、完璧なわけないでしょう!?
あいつがやった。あいつがしっている。
あいつが、あいつが全部全部全部!!!!!
戦争だったから仕方がない? 関係ないね!
年月が経ったからもう忘れろ? 関係ないね!!
復讐は身の破滅? 関係ないさ!!
だって僕には失う物が無いんだからさぁ!!
正義が私にとっての悪ならば、私だって喜んで正義になってやる。
皆は楽しみながら人の死を装置にできる。
現実と幻想は表裏一体。
だから映画館では拍手喝采。
ミステリアス・トリニティ。
薄ら寒い現実と、楽しい残虐性を切り貼りした、僕達の、白い夢物語。
ねぇ、みんな。こいつらが全員死んだら嬉しいかな。私は嬉しいよ。
マリア。
アンナ。
クリス。
人が死ぬことを娯楽にしている奇特な人がこんなにもいただなんて、信じられる?
私たちだけじゃなかったんだね。
嬉しいね。でも、悲しいね。
平和な時代になったのに。
もう殺人が娯楽として消費される時代なのに。
僕の横に君たちはいないんだ。
だから観客さん。
君達は目撃者で、私たち夫婦にとっての凶器となっておくれ。
大多数の恐怖。数の暴力。世間の刺し傷。
風評の痛みをあいつらに思い知らせておくれ。
お前たちは口さがない悪評を知っているかい?
知らないなら、知っておきなよ。とってもとっても痛いからさ。
死ぬも死なないも君たちの自由さ。
ただ知っておいてほしいんだ。
私達は 生きているって。
私達は 戻ってきたって。
銀幕のなかで 紙のなかで
君たちの内面を食い破るその日まで
真綿で首を絞めるようにゆっくりゆっくり
未来永劫 生き続けるんだ。
「そいっ」
ビアスの放った見事な正拳突きが、ショウの腹部に深々とめりこんだ。
「うげふっ!?」
「ビアス!?」
「また、つまらぬものを挿してしまった」
ふっと拳に息を吐きかけビアスは遠くをみやる。
「また誤解の多い言い回しを……それよりも、ショウは大丈夫か?」
倒れ伏し、ピクリとも動かなくなったショウの後頭部をつつきながら恐る恐るアンディが問いかける。
「アンディ」
酷く真剣な顔でビアスは云った。
「あのね。友達がwakuwaku動画のボカロ曲歌詞みたいな事を言いだしたら黒歴史になる前に止めてやる。それが友情ってもんよ」
「おっ、おぉう。随分と歪んだ友情だな」
ドアは開いたままだ。外は雨が降っている。
「あら?」
「おや」
湿った靴音がした。レモンイエローの瞳が主を見やる。
今度の来客は二人の目にも見えていて、だからこそビアスは顔面に喜色をのせた。
「ミアーーッッ!!!!」
「ビアス!? どうしてここに」
グレイを肩に担いだミア・ハーカ―の登場に、ビアスは我を忘れて飛びついた。




