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アメリカ、ネバダ州北西部、リノ。
バチカンが世界最小にして最大の国家ならば、この街は「世界一大きな小都市」と呼ばれている。
ネバダ大学があることから学生の姿も見受けられるが、主にギャンブルと離婚と、時代外れなアメリカン・ネオンサインが街の大部分を占めていた。
遠くには白い雪をかぶった山脈が見えていた。ラスベガスには「雪に覆われた」の文字は見られないが、リノは文字通りの「ネバダ」と言える。冬が近づけばスキー客が、夏には登山客が多くなる。
乾燥しきった砂まみれの空気と、強い日差しを浴びながら、一台のレンタルカーがリノの街を出て行った。そのまま軽快なスピードで580号線を南下していく。
景色に緑が混じり始めた頃、赤のシボレーはゆっくりと道路脇に停止した。カーソン・シティの半分を覆うワショーレイク州立公園の近く。古風なジョージアン様式の家が立ち並んでいる。
ミアは車のドアを閉めた。すでに車の音は中の住民にも届いているだろう。サマセットハウスの豪華さと比べると見劣りがするが、そこは立派な一軒家だった。
左右均整の取れた焼いた煉瓦、大きな上げ窓に、この辺りで伐採した木材が木枠代わりに使われたハーフティンバースタイルの家だ。
綺麗に刈り込まれた芝を抜けたミアは呼び鈴を押そうと手を伸ばしたが、中から聞こえた物音に静かに腰に手を伸ばした。
「ミーアー!」
呼び鈴を鳴らす前に、勢いよく茶色の扉が開いた。中から飛び出た小麦色をミアは手慣れたように受け止める。
「……久しぶり、ビアス」
何度か戸惑うように持ち上げられた手は相手を抱締めることなく、そのまま下ろされた。
誰かに歓迎されることにミアは慣れていない。それを差し引いてもドアを開けて飛びだしてきた全裸の女性に抱きつかれる歓迎など、一生慣れる事はないのだろう。
「入って入って、あ、コーヒー飲む?」
足の踏み場もないとはこの事だ、と玄関のドアを潜りながらミアは思った。
古風で穏やかな外観とはうって代わり、廊下には近代的な配線がそこらじゅうに転がっている。壁に並ぶのは本棚や風景画ではなく無機質な演算用コンピューター。冷えきった応接間の空調はエコや地球温暖化に真っ向から喧嘩をうっている。
優雅で重厚なイタリアの机の上に広がるのは皺だらけのゴシップ専門誌、宅配ピザの空箱、どこでも見かける炭酸水のパッケージボトルに空になったチョコレートクッキーアイスクリームの箱。そこが日に焼けた全裸の美女、ビアスの職場であり巣である。
「やー、早かったねー。連絡してまだ半日たってないのにさー」
「ちょうどいい飛行機があって」
溢れんばかりに注がれたマグカップのコーヒーを渡されたミアは立ったままそれを受け取った。ビアスと呼ばれた女性は王座代わりの事務椅子の上に胡坐をかくと自分のマグに口をつける。
その表情は寝る前にココアを飲む年頃の少女のようで、両手に包まれた巨大なマグに描かれたアイラブNYの文字はここがネバダであることを差し引いても土産物屋でよく見かけるものだ。
しかしミアは視線をそらした。普通の若者は服を着ている。顔立ちは幼いが身体は肉感的。同性であっても目のやり場に困る存在、それがビアスである。
「それで何の用」
「すぐに仕事の話? 久しぶりなんだからさぁ、もうちょっと旧友との再会をよろこんでよぉ。ま、ミアのそういうトコロ、嫌いじゃないーけどー」
そう言ってビアスはマグカップを持ち替え、キーボードのボタンを鼻歌交じりに操作した。
アニー・ビアスは電子上の情報収集を専門とするフリーランスの何でも屋である。本人は俗称であるハッカーという言い方を嫌い、自分の事を「検索辞典」と呼んでいる。それは自分の技量に対する絶対的な自信の表れであり、不可侵のプライドだ。
一つに纏めあげられたブルネットのソバージュに子供のようにキラキラと光る灰色の目。顔に散ったソバカスと赤身を帯びた小麦色の肌。家では服を着たくないという謎めいた心情のもと全裸で過ごしている。肩甲骨に刻まれた悪魔と天使の片翼を模したタトゥが、コンソールに触れるたび楽し気にうごめいていた。
変人という言葉は彼女のためにあるようなものだとミアは思う。そんなミアの気持ちを察したのかビアスが振り返った。
「文字通り飛んできてくれたお嬢さんに面白い物、みせてあげる」