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二重のエコー  作者: 駒米たも
第一章 二通の手紙
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12.


【ネバダ州 リノ】



「それで」

 肘をついたビアスが炭酸水をすする。


「結局、探していた安倍晴明の手紙は見つかったの?」

「そうね。見つかったと言えば、見つかった」


 そこでミアは初めて歯切れ悪く言葉を濁した。

 ミアのハンズフリーイヤホンには無線電波に乗ったエコーが憑いていた。

 彼女が裁断機の置いてある部屋で叫び声をあげたのは、三の井戸守り宛ての手紙が石山と共にシュレッダーにかけられていたためだ。

 半狂乱になった彼女が川田を呪殺しようと頑張りはじめたので、仕方なくミアは三井に相談をもちかけた。元の持ち主である三井なら何とか彼女を落ち着かせることができると思ったためだ。

 しかし三井とエコーは波長が合わない者同士。

 三井にエコーの声は聞こえず、会話が成立するはずもない。

 だが、意外にも三井はミアの言葉を信じた。優し気に声をかける三井の姿に思わずミアは動揺したが、そのおかげでエコーは落ち着くことが出来た。

 今頃、シュレッダーの中身は大英図書館に送られていることだろう。……心配して一緒に憑いていったハンズフリーイヤホンと一緒に。


「……ミアからの贈り物と聞いて、今頃本国イギリスで盛大に喜んでいるであろう修復士グレイ君の未来に幸あれ」

「? そうね。彼、難しい仕事が好きみたいだし。血塗れの細かく切断された異国の手紙なんて白いパズルより手ごたえあるんじゃないかしら」

「ソウダネー」


 ビアスからのまったく心のこもらない返事にミアは首を傾げる。


「それで? 大英図書館から石山に盗まれた手紙のありか。エコーから聞いたんでしょう?」

「あった、テイカド印刷で石山が電子化してたやつが」

「電子化!? 本体は見つからなかったの?」

「……ナカッタヨ」


 目を合わせないミアの顔を、ビアスは覗き込んだ。


「これは私の独り言だけど。そういえば、エコーってずっと日本でミツイさんの家に伝わっていた割には英語が上手だよね。それに付喪神とか式って相性が良い人としか喋る事ができないって言ってた。彼女が二度目に連絡してきたのって、ちょうどミアがうちに来た時だったよね」


 レモンイエローの瞳が横にそらされる。


「彼女、元が日本の精霊なら木霊こだまって名乗れば良かったのに。どうしてわざわざエコーなんてギリシア神話の精霊を持ちだしたんだろう。ねぇ、もしかして。大英図書館から盗まれた安倍晴明の書簡ってエコ」

「じゃあ、ビアス。私、戻らないと」

 ボストンバッグを抱えて立ちあがるミアの腰にビアスがまとわりつく。


「待てぇー!」



 大英図書館所属ハンス・スローン特別遺産管財人、仮称ミア・ハーカー。

 逃げ出した本を追う者。

 正式名称【1831年製造木製H~M収蔵書棚/特別遺産指定】

 デンマークで土から生えていた時から木霊(エコー)である彼女の正体を知っているのは、持ち主と、友人と、元収蔵品だけである。





【グレイの場合】


「ごめん、今日は用事があるから電話をきるよ!」


 大勢いる兄弟からの電話を切ったドクター・グレイの気分は上向きだった。

 あのミア・ハーカーから頼られたという自負が彼の歩みを速めていた。

 研究室前では実習生たちが怯えた顔でドクターの道を開けている。

 彼の修復士としての腕は一流だ。天才的とも言える。

 己の研究室の扉を勢いよく開けた彼は絶句した。

 シュレッダーにかけられた一枚の手紙を復元して欲しいと聞いた時には楽勝だと思った。

 だが他の三トンの紙ごみと混ざりあった上、その全てが血塗れだとは聞いていなかった。

 泣きそうなグレイの携帯電話、今しがた切ったばかりのそれに着信が入る。

 また、家族の誰かからの電話だろうか。


「はい、もしもし」

 半ば無意識のうちにグレイはボタンを押していた。


「あの、もしもし。グレイ様ですか」


 それは泣きそうな女の子の声だった。

 はいそうですと機械的に背筋を正し、グレイは答えてしまった。


「ああ、良かった。お話のできる方で。ミア様から素晴らしい修復士の方だと伺っております。お願いです、私の友人を助けてください」


 あ、これは絶対に逃げられない案件なんだなとグレイは悟った。



【三井の場合】


「修復するから、あなたの式神二人とも借りるわよ」


 そう言って去っていった女の事を三井は思い出していた。

 式神の話など久しぶりに聞いた。それもにわかには信じられないような話を、だ。


 京都に住んでいた頃は、よく井戸端で祖母が話してくれたものだ。


「三井の家は、三の井戸を守る者。井戸は幽世と現世を結ぶ出入口。ここにある井戸ももちろん繋がっているけれど、私たちの血の中にも結びつける糸は流れているんだよ」


 冗談だろうと笑い飛ばしたが、幼い自分は確かにこの世ならざるものの存在を信じていた。

 成長し、物の分別が付いた頃。祖母が死んだ。

 彼女から手紙を託された時に感じた、そこに或る何かの存在。

 それを消す為に三井は研究者になった。そんなことあるはずないと証明するために。

 結局、心のどこかでは信じていた。だからこそ、どこからか聞き付けた石山が手紙を買いたいと申し出た時、三井は怒り狂ったのだ。「これは俺のものだ」と。


「別に信じなくてもいいけれど。あなた『寄んだり好かれたりする性質』みたいだから気をつけた方がいいわ」

 ミアと名乗った女は別れ際にそんな忠告をした。


「井戸の円はマジック・サークルにも例えられる。護ること、そして何か呼びだすことに長けた図形だわ。そんな物を名に刻んでいるのだから、関係のあるものを呼ぶこともあるでしょうね。もっとも、あなた自身は鈍感だから周りが『そうだった』としても気づかないでしょうし、該当する奇特な『何か』が呼び出される可能性は低いけど」


 一応忠告しておくわ、あなたのこと嫌いじゃないしと去って行った女の瞳こそ、人間では無い『何か』のように思えた。

 職場から自宅まで数分の距離。

 自宅謹慎を命じられた三井は今日もマンションのベランダで煙草を吸っている。

 夏のうだるような暑さと、日差し。

 回るファンの音と遊ぶ子供の笑い声がうるさい。


「あれ、三井さんを昼に見かけるなんて珍しいですね」


 とつぜん声をかけられて、三井は飛び上がるほど驚いた。

 見れば仕切りの向こうで隣人が洗濯物を干している。

 互いに気楽な男一人暮らし。日曜日の昼にやることなど大して変わらないのかもしれない。


「悪い、煙草消す」


 別に構いませんよ、と隣人は笑う。


『名を刻んでいるのだから』


 三井の脳裏にミアの言葉が頭に浮かんだ。

 長い間隣に住んでいるこの男の苗字すら、三井は知らない。普通は知っているものなのだろうか。挨拶してすれ違うだけの存在を。


「あんた名前は?」


 他人に名を聞くことなど、三井の人生には数えるほどしかない。珍しい判断だった。

 事実、普段の三井からは考えられない反応に男は驚いた表情を浮かべた。クリスマス・キャロル後のスクルージを初めて見たクラチットも、きっとこんな表情をしたのだろう。


「やっぱりいい」

「いえいえいえ、すいません。自己紹介が遅れました。引っ越しそば持ってた時にもしたんですけど」


 涼しい室内に入るべく立ち上がった三井を男は止め、細いフレーム眼鏡を意味深に持ちあげた。


「あなたの親愛なる隣人です」

「……ソウデスカ」

「あっ、スパイダーマン、観た事ありますか?」

「いや、無い。じゃあな」


 三井はベランダのドアを閉めた。

 結局名前は聞けず仕舞いだ。

 この日、三井は三つの事柄を知った。


 ひとつは、隣人の知性が思った以上に残念であったこと。

 ひとつは、隣人が思った以上に映画、もしくはアメコミ好きであったこと。


 ひとつは、ミアの言う所の『奇特な何か』など、この世に存在するわけがないと云うこと。



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