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二重のエコー  作者: 駒米たも
第一章 二通の手紙
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10.


【三十九時間後ー日本ー】


 冷房のきいた来客室。

 外の蝉以外、誰も喋る者はいない。

 ブラインドの羽は夏の日差しを防いでいたが音までは遮れなかったようだ。

 三方の壁にそっておかれたソファの上では社長の三俣みつまた芳雄よしおが項垂れていた。

 傍らに座る秘書の宝迫ともえは献身的だ。母が子を慰めるように、柔らかい手で三俣の背を擦っている。

 対照的なのは対面に座る研究者の三井明みついあきらとイギリスから来たミア・ハーカ―だった。

 彼らは研究者然とした顔で座っていた。グラフの数字を見比べている時と大差ない目つきの彼らは他の人間から見れば異様に映った。

 つい先ほど死体を発見した彼らは妙に落ち着き払っている。

 両名の興味は一致している。壁際に置物のように並んで立っている守衛の川田かわだ井原いはら、そして場を仕切るように立つ巨漢だ。


 東屋あずまや十矢とうやと名乗った若い刑事は、ふっくらとした頬と腹を揺らしながら室内の顔ぶれを見回した。挙動はのんびりとしていて警察官らしくない。満足そうに微笑む大黒顔は商店街あたりで持てはやされるだろう。


「被害者は石山いしやま伊紗良いさら。ここの研究員ですね」


 わざとらしく手帳のページをめくりながら東屋が言った。

 彼のどこか芝居がかった口調と覇気のなさに反応したのは宝迫ほうさこだけだった。

 彼女は苛立つ眼差しを隠そうともせず睨みつける。


「失礼ですが、刑事さん」


 甲高い宝迫の声は部屋のなかによく響いた。

 彼女は滅多に垂れることのない自らの前髪の房をすくいあげ、耳にかける。その指先はわずかに震えていた。彼女が必死で平静を装おうとしているのは誰の目から見ても明らかだった。


「石山は世界各国からお預かりしている貴重書を電子上に取り込む作業チームのリーダー。ただの研究員ではありません。うちにとって貴重な人材です」

「それは失礼しました」


 言い慣れているのか、滑らかに東屋は謝罪を口にする。


「その石山さんの遺体が発見されました」


 快適なはずの室温が冷えていく。

 落胆と恐怖、様々な感情が含まれた雑音が落ち着くと、東屋は再び喋りだした。


「死亡推定時刻は一昨日の21時から0時の間と思われます」

「一昨日だって!?」


 立ち上がった三俣は慌ててソファに座り直した。

 彼の広い額にはびっしりと汗が浮かんでいる。すがるような視線を宝迫に向けると、彼はしきりにハンカチで額の汗を拭いはじめた。


「彼女は事故で死んだのかね?」 

「今は何とも言えませんね。巨大シュレッダーに挟まっていたとしか」


 東屋の淡々とした報告に想像したのであろう何人かが反射的に口を手で覆う。


「それでですね。皆さんにお集まり頂いたのは、亡くなった石山さんの足取りを確認するためなんです。川田さん、お願いします」


 はい、と守衛の川田が言葉を引き継いだ。


「八月三日、一昨日。石山さんは遅くまで残業をしていたようです。館内記録によると、昨夜22時14分に研究室から退出。22時30分に正面玄関を通過したという記録が残っています」

「そこまでは、生きてたわけですね」

 

 東屋の確認に誰も答えない。疑心と不安に満ちた眼差しが交差するだけだった。続きを促されて川田はおどおどと報告を再開した。それはミアを迎えた時の自信など微塵も感じさせない、怯えた若者の顔だった。


「22時15分から館内の警備システムに異常が発生。内容は監視カメラのエラーです。館内の様子を映していたモニターが突如ブラックアウトしたので巡回中の井原さんに連絡しました。セキュリティチェックを行ったところ、監視システムに攻撃がくわえられていると分かったので一時的に館内のネットワークをシャットダウン。おそらくハッキングを受けたのだと思います」

「ハッキング、ですか? 失礼ながら……御社のように古本を集めているだけの会社が?」


 東屋の疑問に、委縮していた三俣が憤慨したように顔をあげる。


「ウチはその道の最新技術を研究しているんです! この建物内で保管している古書の値段を考えれば、窃盗団がうちを狙ったとしても驚きませんね!」

「そうですか。それで、何か盗まれていましたか?」


 東屋は理解できないといった様子で肩をすくめた。三俣は顔を紅潮させ拳を振り上げたが、本当に相手が興味ないのだと分かると疲れたように手を下ろした。


「宝迫君」

「昨日、井原さんからの報告で金庫をチェックしましたが消えたものはなく、全て揃っていました」

「そうか」


 ほっとした顔の三俣とは正反対に、守衛の井原は厳しい顔つきを崩さなかった。

 ミアは数点の疑問を抱いた。ビアスの家で見た監視映像は21時15分だった。

 あの映像には電話をとった石山が、白衣のまま慌てて外へ飛び出して行く場面が映し出されていた。


「カメラの映像はすぐに戻りました。確か……22時45分頃だったと思います。生きた石山さんが映っているのは22時15分まで。取り込み作業をしているのが最後です。ID記録によれば22時30分に正面玄関を通過したとありますが……」

「実際に彼女が外に出たことを記録する映像はない、ということですね。川田さん」

「はい、あの時はバタバタしていたので、誰かが外に出て行ったことに気づきませんでした……」

「正面玄関を通る時は必ず守衛室前を通ります。カードリーダーにカードをかざせば音も出る。それなのに気づかなかったんですか?」


 手帳にメモをとっていた東屋が顔を上げる。


「あとでIDの入退室記録を見て気づいたんです。向こうも、こっちが忙しそうだから気遣って声をかけなかったんだと……あの時は、そう、思いました」

「いいでしょう。続けて下さい。巡回中の井原さんに連絡したと仰っていましたが具体的には何を話したんですか?」


 胸ポケットから覗く武骨な黒い無線機をいじりながら、川田は不安げな顔を井原に向けた。


「川田から監視カメラに不具合が起こった、一緒に確認して欲しいと連絡がありました。私は、すぐ戻るから宝迫さんと石山さんに連絡をとれと指示し、無線を切りました。記録によると館内に残っていたのは宝迫さんと石山さんの二人だけでしたからね」

 川田の代わりに井原が答えた。


「宝迫さんには監視カメラの不具合が起こったので今日は残業を切り上げてくださいと連絡を」


 川田は作業室の石山にも連絡を取ろうとしたが、内線には誰も出なかったという。

 IDの通過記録を見たところ正面玄関に石山退館の記録が残っていた。

「それでもう帰ったんだんだと安心したんです。そうしたら井原さんが戻ってきて……」

「私が正面玄関にある守衛室へと到着したのは連絡を受けて3分後の22時18分でした」


 その後、館内に残っている人と本社への連絡、そして連絡モニターの復旧作業はシステムに詳しい川田に任せ、井原は地下金庫へ向かった。異常は無かったが、念のために翌日宝迫と金庫の中を確かめた。紛失したものはなく、何者かが侵入した形跡もない。守衛の人間はシステムへのハッキングが目的だったのではないかという結論に至った。

 その後の足取りも井原は説明した。金庫室を確認したあとは、急いで食堂と建物周辺を見に行ったと言う。外部からハッキングを受けたのならば、外との電波が繋がるその二か所からしかない。しかし不審者の姿はどこにも無かった。

 念のためにと塀の外も確認し、外周をと回ってから井原は守衛室に戻ったと言う。


「この建物内は携帯電話もインターネット回線も使えないということでしたが……その二か所で電波が繋がると知っていた人は?」

「食堂で電話が出来ることは誰でも知っていたと思います。しかし外の一区画を知っている人はほとんど居ないでしょう」

 近隣に後から建てられたマンションがあるせいで、外壁沿いのほんの一部分だけにインターネットの電波が入ってしまうようになったのだ。そこを中継して内部のクローズド回線にアクセスできるが、ほんのわずかな敷地なため今まで放置していたのだと言う。

 ミアは隣の三井を見た。さきほど彼の言っていた食堂と外に電話がかけられる場所があるという言葉を思い出したからだ。


「死亡推定時刻に、石山さんのIDを使って外に出た人間がいたということですが」


 東屋が次に何を言いたいのかは明白だった。


「そいつは守衛室にハッキングを仕掛けた人物と同じではないでしょうか。カメラを使えなくしたのは金庫室を開ける為ではなく石山さんを殺害するため。彼女のIDカードを盗み、そして堂々と正面玄関から出ていった」


 東屋の説明は現実味があったが、納得できない部分もあるとミアは思った。隣の三井も同じ意見のようだ。苦い顔で腕を組んでいる。


「刑事さんは事故ではなく、他殺と思っているんですね」


 井原の質問に東屋はもったいぶって頷いてみせた。


「今日、ここに皆さんを集めた理由は」


 本人にその気はないのだろうが、東屋はのんびりした声のまま言った。


「真実を話してもらうためです。特に三俣社長、三井さん。あなたたち二人の話はじっくりと伺いたい」


 丸い鼻の穴が勢いよく空気を押し出す。


「あなたがた二人とも、一昨日の夜は館内にいましたね?」


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