第十三節 69話 アルカ ~イエソド~
「……ルカちゃ……、アルカちゃん、しっかりして!」
「アルカ! 目を覚ませ!」
「外傷はありません。そろそろ意識を取り戻すはずなのですが……」
ううん。うるさいなあ。何をそんなに騒いでるの。みんな……。
「アルカちゃん! 死んじゃやだ!」
「ミコ?」あたしはぼんやりした頭を振りながら、ミコに声をかけた。
「アルカちゃん!」
「アルカ!」
「婦長。目を覚ましました」
周囲がわいわいと騒いでいる。あれ? あたしなんでミコに抱きかかえられているの?
「アルカちゃああああん……」
ミコがあたしの胸に顔を埋めて泣き出した。
「ちょっ、苦しい。あははは」
あたしはくすぐったくてミコを離そうとしたが、ミコがしっかりと抱き付いて離さないのでその手を止めた。何があったのか代わりに説明してくれそうな人がいないかと、周囲を見回した。
すると、すぐ隣にいるポニーテールの親友が、眼鏡をキラリと光らせた。
「レン。何があったの? あたしに」
レンは不敵な笑いを浮かべて、あたしの肩をポンポンと叩いた。「まだ寝ぼけているようだね。君はWISSに罹患して倒れた。しばらく気を失っていたが、今こうして無事に目を覚ましたってわけさ」
「WISS……」
「忘れたのかしら? 世界突発性睡眠不可能症候群、通称WISS。アルカちゃんは倒れて、しばらく眠ったままだったのよ?」
浅黒い肌の美人看護士さん、ストゥさんが、安堵した様子であたしの頭を撫でた。
「WISS。はあ。あたし倒れちゃってたんですね」
あれぇ?
……。あたし、何か大切なことを忘れているような……。
「アルカちゃんはここの避難所じゃ一番のねぼすけさんよ。数時間前からWISSが突然終息して、世界中の意識を無くしていた人たちが目を覚まし始めてるわ。WHOでもまだ理由が分からないらしいわね。テレビやラジオもついさっき復旧して、どこもWISS特集をやってるわよ」
鰐丘病院の看護婦長の織田さんが、太い指で人の集まっている方向を指さした。あたしが顔を向けると、大画面テレビの前には避難していたらしき人たちが食い入るようにテレビを見つめていた。
……。なんだろう、この違和感。
何かが違う気がする。けど、何が違うのか思い出せない。喉の奥に小骨が刺さったようなもどかしい痛みが、頭の芯から外れない。
「広瀬さん。気付かれたようですね。良かった」
後ろのほうから声をかけられた。振り返ると、ミコの母親の二宮那美が微笑みながら立っていた。
「ああ、えっと、ミコのお母さん。こんばんわ」
「もう朝の時間よ。今は既に十一月一日の早朝です」
「あ、そうなんですか……」
ううん。寝ぼけているのかな。頭がぼんやりして、雲がかかっているかのようにすっきりしない。
那美の後ろから、那美の秘書っぽい人が出てきて、蒸しタオルをどうぞとあたしに差し出してきた。
「あ、どうも……、えっと、たしか大江烏さん……」
「はい。ご回復されて良かったですね。ミコ様もとても心配されていたのですよ」
烏さんが言うと、ミコはようやく泣き止んだようだ。周りに人が集まってきたので急に恥ずかしくなったらしい。まだ鼻をぐずぐずと鳴らしているが、ようやく笑顔をあたしに見せた。
「パパ、街のほうはどうだった?」
「ああ。警察や消防も機能を回復した。ここも無事なようだな」
レンが父親に声をかけながら近寄って、仲良く話をしている。たしか県議会議員をやってる人。
レンの父親の周囲には斐氏神社の人たちが集まっている。元気な者が炊き出しをやっているようだ。担任のマルや、ミコが好きだと言っていたマリウスっていうイケメン白人が食べ物を配っている。
……。ううん……。
何かがおかしい気がするんだけどなあ。それが何なのかがちっともわからない。
「アルカちゃん、お腹空いてるんじゃないの?」
食事を配給している姿を見ていたあたしに、ミコが声をかけてきた。
「お腹……」ミコに言われた途端、あたしの口より先に腹の虫がきゅるると返事をした。
食事。そういえばもう何百年も、何も食べてなかった気がする。
「うん。そうだね。あたしも何か食べようかな」
「来て。宍戸さんからケーキの作り方教えてもらえたんだ。あたしの作ったのが余ってるから、アルカちゃんだけにあげるよ」
やった、ラッキー。
ミコに手を引かれて、あたしは歩き出した。
イチゴの乗ったケーキを目にした瞬間、頭の中に詰まっていた悩みが白いクリームのように溶けて消えた。