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アルカ  作者: 試作439
第一章 ~アルカ・ソフ・オウル~
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第十三節 68話 アルカ・ソフ・オウル

 宇宙から星が生まれる。

 星から大地が生まれる。

 大地が岩や砂になり、水と攪拌かくはんされて、生命のいしずえとなる。

 命を持っていないと思われる物質は、果てしない時間を旅して、やがて必ず、魂を宿す。

 魂を、宿す。

 ……。

 どこに?

 重さの無い者が、どこに魂を宿すのか?

 重さが無いということは、命を持っていないということ。

 命を持っていない者が、魂を抱くことなどできない。

 ただ、浮くだけ。

 何者でもない何かが、空に浮くだけ。

 ……

 ……。

 空。

 そらの中に浮かぶ、命の無いあたし。

 魂の無い、あたし。

 ……。

 あたし?

 あたしって何だっけ。あたしは空。何も無い。

 なのになんで、あたしはあたしって知ってるんだっけ。

 ううん。

 難しすぎてわかんない。

 まあ、いいか。

 疲れているのか、頭の中を砂が流れ続けているような音が聞こえる。

 あたしが誰でも。どうでもいい。

 どうでも……。

「広瀬亜瑠香よ」

 何かに、呼びかけられた。

 うん?

 なんであたしは、自分が呼びかけられたって分かったの?

 広瀬亜瑠香? 

 それはたしか、あたしを呼び表す呼称……。そう、名前。名前だったはずの呼称。

「目を開きなさい。広瀬亜瑠香」

 目。眼球。光の情報を伝える感覚器官。中枢神経によって脳と繋がり、網膜を通して外界情報を理解することが可能になる。約百万の神経線維からなる……。

 んあ?

 なんであたし、こんなまどろっこしい考え方してるんだ?

 目は目だろ。なにをややこしく考えてるの。目を開け?

 よくわからないが、謎の声にとりあえずは従ってみよう。あたしは目をゆっくりと開いた。

 目の前はうっすら黄色い。だが、周囲は赤く朝焼けのように澄み渡っているのが分かる。なんだろう。嗅いだことの無い空気というか、見た事も来た事も無い場所。

 澄んだ黄金と透明な赤。よくわからないが、そうとしか言えない空間がずっと続いている。

 そんな空間に、眼鏡をかけたおじいちゃんが浮かんでいた。

 うわ、浮いてるよ。おじいちゃんが空に浮いてる。あたしの目の前で。

「広瀬亜瑠香」

「はい?」

 って、返事しようとしてびっくりした。あたしには口が無い。口が無いのに声が出た。テレパシーのようなものが出たよ。

 どういうこと? どうなってるのこれ?

「今、君はさぞや混乱していることだろう。落ち着くが良い。全ては終わった」

「全ては終わった?」

 あれ?

 あたし、何してたんだっけ?

 何をしていたのか思い出す前に、開かれたままの目の前にいる男の顔に意識が向いた。眼鏡をかけた男。初老の域に達しており、痩せていて知的だ。見覚えがある。

 次の瞬間思い出した。ユングだ。

 壮年をやや超えたあたりの写真を見たことがある。体全体が白いので高齢者と見間違えたが、歳はもっと若い。

「ユング!」

「どうか怒らないでおくれ。今の君の怒気を浴びただけで、私は粉々に砕けてしまいかねない。落ち着いて。もう一度言うが、全ては終わったのだよ」

 ユングがしおらしく背中を丸めた。少年が母親に謝るかのようだ。

 その時あたしは思い出した。ニグレドのこと。

 私は世界を救うために、五百年もの間、アルベドでナラカを元に戻す手立てを考え続けてきた。そして、遂にその方法を見つけることができずに、ミコを助けるために……。

「終わったって、どういうこと? あなたは既に世界と一つになって、理想郷とやらを作ってきたっていうの?」

「いや。そうではない。終わったというのは、私の計画が完遂されたということではないよ。私と君の戦いが終わったということだ。君の勝利で」

「はあ?」

 何を言っているのかちっともわかんない。

 あたしの勝利?

 あたしはまだ寝ぼけているのだろうか?

 ただ、目の前のユングは紳士的で、思慮深い雰囲気を放っている。奈落、地獄をそのまま身に纏い顕現けんげんした時の姿とはまるで違う。知的で洞察力に富んだ、医者のような立ち振る舞い。

 ううん。全くわかんない。

「何があったの?」

 あたしは素直に尋ねた。

「天使の光だ」

 ユングが指をすい、と動かすと、水たまりのような形の窓が現れた。そこに映っているのは、あたしだ。

 ミコを庇い、体の下に抱きかかえたあたしが映っている。

「君が絶命した瞬間、世界を覆う規模の天使の光が、君に降り注いだ」

 窓の中のあたしが暴漢に殴られた瞬間。

 天から、光が落ちてきた。

 最初細い線だったそれは、すぐに照明のような明るさとなり、数瞬の後、ナラカの幕をニグレドに押し込み、世界を包んだ。

「英雄。勇者。聖者。武神。救済者。数多の人々の崇拝を受けた存在だけに降りる、天使の光。君に降りたこれは、私の想いをはるかに超えた光となって、ナラカだけではなく、闇に捉われていた私の魂も救ってくれた」

 光を受けた黒い馬のような姿をしたユングが苦しんでいる。やがて巨大化して、以前にも見た黒い龍の姿に変身した。身を守ろうとしているようだが、その姿すらも光で徐々に削られてゆき、やがて消滅した。

 そして、目の前の眼鏡をかけたユングが、男性の姿から白い龍の姿へと変わった。

 ああ、今まで気付けなかったが、これが彼の本来の魂の姿だったんだ。

 巨大な白龍。

 これがアルベドロード、ユングの本来の姿。

 白龍が口を開いた。「天使の光により英霊が天に迎えられる姿は、世界で多く見られている。だが、ここまでの規模の光は、観測されたことは無かった」

 白龍の呼び出している夢の視点が変わった。

 光が、地球だけではなくて、地球を中心とした全宇宙に向けて広がり続けていた。

 これ全部、あたしがやったことなの?

 あたしが放った光?

「ええっと、よくわからないんだけど、つまり、今いるここはアルベドで、あたしは既に死んでるってこと?」

「違う。君は死んではいないし、ここはアルベドでもない」

「え?」

「ここは、ルベド」

「ルベド?」

「そう。アルベドのはるか上層の界域。神々の存在する世界だ。仏教の用語を使う斐氏神社風に言うならば阿頼耶識あらやしき。絶対知の弁証法的発展の頂点にいる、と言っても、今の君ならば理解できるだろうね」

 まどろっこしいな。小難しい哲学用語を使っているが、ようするに、ユングはあたしが全知全能だって言いたいのだろうか。

「本来ならば私は立ち入れない神域なのだが、どうやら君を案内する大役を仰せつかったようでね」

 案内? 大役?

 分からない。ユングが何を言っているのか。

 あたしは、あたしの肉体が死ぬ瞬間を見たんだけど。

「アルカ君。君の体を確かめなさい」

「体?」

 あたしは自分の手足に目を向けた。目を向けたつもりだった。だが、あたしの目は、そこに理解し難い存在を映し出した。

 樹。

 途方もなく巨大な樹木。

 あたしの体が樹になってるよ。ギリシャ神話のドリアードのように、体と妖の枝が同化して、黄金の巨大な樹木になっている。

 いや、巨大という表現は正しくない。

 距離なんて尺度で言い表すことができない。数兆の銀河を内包した一三八億光年先までの宇宙が、無数にあたしの体内に存在している。

三千大千世界さんぜんだいせんせかい。今、君が目にしている光景だ」

「……」

「千の世界の集まりを小千世界と呼び、小千世界が千集まった空間を中千世界。更に中千世界が千集まった世界が大千世界。千の三乗。すなわち十億の世界を見下ろせる場所がここ、ルベド。今の君はルベドから三千大千世界を見下ろしているのだよ。ほら、あそこを見てみなさい」

 白龍が下を指さした。

 途方もなく離れた場所。あたしのへその下あたりだろうか。

 へその下といっても、光速単位でも計れない程に離れている。

 それなのに、なぜへその下と感じるのだろう。なんかそう感じるから、としか言えない。とにかく、すごく離れた場所。

 黒い染みが広がっており、その中心部から白い光が少しずつ外周に向かい広がり続けていた。

「あれが、私と君がいた小千世界のほんの一部だ。私の影響で奈落が顕現していたが、君に降りた天使の光が全てを浄化した。更に私の魂が生みだした悪夢が周囲に手繰り寄せていた、全人類が滅亡した小千世界の一部にも光が広がり、今もその力は衰えていない」

 ユングの言う通り、広がる光の外周にある世界からは、死と滅亡の空気しか感じられなかった。それら真っ黒な死の世界を光が包む度に、何億、いや、何十億もの声が、あたしの頭の中に響いてくる。

 うわ。感謝があたしの体内に流れ込む。それにつれて、力がみなぎり、どんどん背が高くなってく。

 あたしの体は今もまだすくすくと成長していた。どこまで大きくなるのこれ?

「どうかな。君の身に何が起きたのか、これで理解できたかな?」

「いえ、全然」

 あたしがストレートに答えると、ユングは困った顔になった。白龍なのに眉毛が八の字になったのがよくわかる。

「あ、いや、全然ってわけじゃないけど」

 アルベドの浄化の光を使ってナラカを消すってのは、初期に狙ってたことだ。それが、あたしが死ぬことにより、天使の光が降ってきて、一撃で達成しちゃったと。

 天使の光。ヤコブの梯子や薄明光線とも呼ばれている、トウから漏れる光。うん。わかる。

 世界を辿ってた時、コミュニオンやクルーチスが行っていた魂魄捕縛術でもしょっちゅう見た。ストゥの長寿の秘密。病すらも癒す効果のある、アルベドからの光。

 枝を制御する修行の前に那美から聞いた話では、宮沢賢治は光のパイプオルガンと比喩していたらしい。

 ただ、その光があたしに降るってのがわからない。あたし何かしたっけ?

 五百年以上頑張ったんだけど、結局は世界を元に戻す策を見いだせなかったのに。

「やれやれ。君は本当に、自分のことに気が向かない性格をしているね。普通の人間は、他人を助けるために何百年も孤独に戦うなんて道を選べないものだよ」

 ユングに呆れられて、あたしはちょっとだけムッとした。

 そんな、変な人みたく言わないでほしいよ。あたしは普通です。

「ええと、あたしの頑張る心がアルベドと反応することにより、ナラカが浄化されたと。で、世界七十億人の人々の感謝の心が、今もあたしを成長させている、でいいの?」

「七十億どころの話ではない。中千世界や大千世界の君自身に目を向けてみなさい」

「?」あたしは素直に、あたしの体内にある高層界域に目を向けた。

 そこには、同じ十六歳の時間を流れる無数のあたしが存在していた。サッカープレーヤーになってオーバーヘッドシュートをゴールネットに叩き込んでいるあたし。サーフィンで最高難易度といわれるロデオフリップをキメているあたし。完全数を証明してノーベル賞を受け取っているあたし。空飛ぶプテラノドンの上で昼寝しているあたし。スーパーハッカーとして世界経済を大混乱に陥れて遊んでいるあたし。宇宙の最前線でパイロットとして異星人を退治しているあたし。

 見てて恥ずかしくなるような人生を送っているのがいっぱいいる。

 そして、それらは上層界域、すなわち大千世界やルベド高層ほど、奇想天外で荒唐無稽こうとうむけいだ。

「多くの人が夢に憧れる世界が、アルベドには溢れている。これらの世界は、文化や社会の中から今も生まれ続けていて、距離の壁を越えた共通概念としてある。君が救ったのは私がニグレドに捉えていた七十億人だけではない。その七十億人が恋い焦がれる別世界の自分の可能性。さらに別世界の自分が思い願う世界と、君でも認識できない、他者の魂が生み出す世界の先にある人々にも光を与えたのだよ。ルベドにいる今の君ならば、世界、いや、全宇宙は、人の魂の認識の内側に存在するものと理解できるだろう。君の救った七十億人の魂の内側にも、また三千大千世界が広がっていて、その先にも君にすら認識できない三千大千世界がある。全ての魂の数は七十億に千の三乗を掛けて、更に幾度も千の三乗を掛けなければならない。今の君は、兆や京をはるかに超えて、がいじょじょうこうほどの魂から感謝を受けた存在となった。人はそのような存在を神と呼ぶ。こうしてルベドに辿り着き、三千大千世界を見通す者となったのは必然だね」

「神?」

 あたしが?

 ちっとも実感わかないんですけど。

 ただ、今この瞬間も、何千万人、何億人の感謝の声が魂に響いてくる。

 それを同時に全て聞き分けられるあたしの思考もどうかしている。聖徳太子は同時に十人の話を聞き取れたというけど、あたしはその数億倍の声を聞いているのに、ちっとも心が混乱しない。

「全ての魂の開放と自由。私の目指した理念を、まさか君がこのような形で成し遂げてくれるとは、夢にも思わなかった」

 白龍が目を細めてあたしを見ている。

 時間が経ち、記憶が徐々に回復してきた。

 あたしは確かに見て来た。二十世紀初頭のヨーロッパに生まれた混沌こんとんを。その中で、ユングが必死に戦いを続けて、争いを無くそうと、病める人々を救おうと努力してきたことを知った。結果、魂が澱みを吸収してしまい、黒龍となって奈落に落ちたことを知っている。

 目の前にいる白龍ユングも、十分に神っぽい。

 うん?

 けどさっき、ユング自身はルベドに立ち入れないとか言ってたよね。あたしを案内とも言ってた。

 それに……。

「あたしがまだ生きてるってほんと?」

「……。ああ。生きてる。正確には、君の持つ妖の枝と君の魂が融合することにより、魂は生きながらえている」

 なんだろう。今、ちょっとだけ躊躇いのようなものがあった。

「……。ミコは? ミコはどうなったの?」

「そのことだが。君には二つの選択肢がある」

 なんだろ。ユングが慌てた感じで早口になった。

「一つはルベドの住人として、三千大千世界を永遠に見守る存在となる道。無限に育つ世界の未来を見渡し続け、時にアルベドから人を導き、時に肉体を持ちニグレドに降りて人類に介入することもできる。ただしその場合、妖の枝は失われるであろう。もう一つが、妖の枝の力を使い、再び三千大千世界のどれか一つに転生する道。その場合は、妖の枝は失われない。それに、肉体と魂が繋がっていない今ならばシンクロシニティ・タイも起こらないはずだ。好きな世界に降りるが良い。変わりに、君の生きた五百年以上の智慧と、ルベドで見知った記憶の全てを失うことにな……るであろ…………う…………」

「ユング?」

 なんだろう。白龍の声が震えている。

 その声が、二つ、四つと、ユングが割れていく?

「まずい。やはりか」白龍が焦りの含んだ声をあげた。「い……か、聞くんだアルカ。君の魂は、急激すぎる成長に耐えきれ……崩壊を始めている。このま……は、魂が負担に……砕けてしま……」

「ユング!」

 まずい。ユングが割れているわけじゃない。あたしの目が割れていたんだ。

 世界が十六個、六十四個と増え続け、あたしの体は樹皮が剥がれるように少しづつルベドに溶けていく。

「今すぐに願いを言うのだ! 私が必ずや君を送り届ける!」

 願い?

 願いって、そんな急に言われても。

 あたしの心の中には、秭、穰、溝って数の感謝が流れているんだよ。それだけの数の人々が辿った人生が、手のひらに溢れかえっている。

 選べと言われたって、多すぎて選びようが無い。焦らされると混乱して……。

「まずい……私では手におえ……い……」

「随分と困っているようだな」

 その時、白龍の後ろから、人の姿をした光が現れた。

 巨大な白龍と比べたら、爪の先程度の大きさしかない。それなのに、白龍の姿をしたユングを遥かに超える魂の力が溢れている。

 眩しい。後光が強すぎる。認識できるのは形だけで、誰なのか全く分からない。

「私も手伝おう」

「あな……たは……」

「急ぐぞ。彼女を救いたいのであろう?」

「あ……とう、ござい……す……先生」

 白龍が、渋く響く低い声の誰かと話をしている。

 ああ。けど、あたしにも時間が無い。世界が八一九二個、六五五三六個と幾何学模様のように増え続けて、一瞬でほとんどが消えていく。記憶が次々にルベドに溶けていく。

「さあ、君は何を望む?」

 私の……望み……。

 私の望み。それは……。


 そんなの、決まっている。


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