第十三節 62話 事象想定 9
人とは何なのか。精神とは何なのか。心とは。情動とは。生とは。死とは。
高次脳機能生命体は欲望と規範を抱く。カモノハシにも広い住処を持ちたいという望みがあり、オウムにも人の言葉を理解したいという希望がある。亀にも地上より海底のほうが美しいと感じる審美嗜好があり、蛇も樹木の立ち姿を神と重ねて尊む。
そして、それが安易には手に入らないと悟ると、魂が澱む。
空に生きる者よ。地を這う者よ。海に生きる者よ。陸を進む者よ。どうか。どうか自分を否定しないで。自分を拒否しないで。
そう。拒絶だ。
魂と精神の間には拒絶の断崖がある。
私には解る。精神は魂の規範を嫌い、魂は精神の欲深さを忌避する。肉体の活動により衝突して削れる理性の老廃物。それが澱み。
肉体を持ち生き続ける者たちに降りかかる悲劇。魂のまま在れば、決してあなたたちの尊厳は傷を受けないというのに。
それを受け入れて更に生き続けろと、どうして言えることができようか。
ニグレドに生を受けた者は、誰しもが泣く。生まれた時。傷を負った時。愛する者と別れた時。逃れられない死を悟った時。
ああ。私にはできない。あなたたちに再び肉を持てだなどと。
選択しなくて良い。そのまま何物にも成らず……。
……。
「今回はここまでか」
ぷっ、と、枝に取り込んでいたナラカの空洞から吸い上げた澱みを吐きだした。私の口から離れたそれは、アルベドの光の海へとあっという間に溶けていく。
理解していることだが、タナトス、死への欲動が濃い。ナラカの筒の中心にある程なのだから当然か。油断していると私の精神までも死の欲に引き寄せられてしまう。生きる希望を失った魂たちを再びニグレドに宿らせる事は、残酷なのではなかろうか。ユングと一体になり、新世界で新しい生と成るほうが楽なのかもしれない……。
「いや」
いけない。
タナトスが枝に残っているのだろうか。思考が破滅に流される。私は目を瞑り、枝の先端に意識を集中させた。一瞬で正気を取り戻す。
私がこの場所に逃れて、既に五十年の時を経た。
ここまでインフィニットリーダーにより、数えきれないほどの夢を願い、世界を創り、手繰り寄せて可能性を追った。しかし、どうしてもナラカと同化した魂をニグレドに再び宿らせる手立てが考え浮かばなかった。
ここに至るまで効果のある策もあるにはあった。私が神を偽ることだ。
だが、それでも救える存在は少ない。私を信じてくれる者は世界では少数であった。
そもそも、私自身が私は神だなどと自称することに嫌悪を感じている。自分を神だと信じられない者が、他人を信じさせられるはずもない。
そう。間違いなく神はいないのだ。なぜなら、私がこの場所から見渡しても姿が見えないのだから。
神などという者は、後世の人間が偉大な成果を残した者を称賛するために後から呼びならわしただけ。そう結論付けて諦めた。
迷走を交えながら思考は一周して、インフィニットリーダーに頼らない方法、枝を使い私の精神に悪影響を及ぼさない程度の澱みを口に含み調べるといった目先の作業に頼る研究に戻った。赤ん坊が何でも口に含もうとする行為を参考にしてみたのだ。
しかし、それでも好ましい知識は得られなかった。しかし思考の膠着状態を動かすことには成功した。イメージが膨らんだのだ。
私だけが悩み続けても思考に限界がある。私はナラカ内部の澱みになっている全ての生命から発想を借りることにした。人間としての私では到達できない思いつき。鳥の解放感。虫の生存本能。彼らは稀に私の思考の埒外にある発想を与えてくれる。
蟻を守ろうとする蝉の義侠心に、私の想像力は刺激を受けた。私の限られた知識では到達できない精神活動が、世界を内包していると気付かせてくれた。
かつてフランスの哲学者ガストン・バシュラールは言った。想像力は一本の樹木である。それは気付かぬうちに宇宙の樹となり、世界を飲み込み作り上げると。
なるほど。今の私ならば理解できる。想像力、つまりは知識と心のぶつかり合いは、宇宙へと至る道すらも創造する。
人は想像することにより行動を始める。行動は経験を生み、経験は学問と技術を生み、学問と技術は融合して進歩を生む。進歩はやがて普遍という名の結晶に磨き上げられ、世界の智慧として宿る。あたしは妖の枝をまだまだ使いこなせていなかったと、一匹の蝉が悟らせてくれたのだ。
生きとし生けるもの達が、私が見つけなければならない道の在り処を照らしてくれる。その道とはすなわち、生命に強い意志を持たせる『言葉』。そう。私は魂の姿となっている者達に対して、短い言葉程度ならば伝えることができる。言葉の光を当てることができる。
単純だが効果的な方策。ナラカに向かい『呼びかける』だ。
虫。トカゲ。イルカ。ヒト。
全ての生き物にかけるべきたった一つの共通した言葉。それを探すために、高次脳機能生命体を理解する。
かつてフロイトは言った。文明というものは、怒った人間が石の代わりに言葉を投げつけたときに始まったと。今この時、文明が滅びを迎えようとしているこの時にこそ、言葉の真価が問われる。
私は作らなければならない。たった一つでいいのだ。全生命に伝える言葉を創る。
見えて来るはずなのだ。生命が生き続けたいと心に染み渡らせる言葉が。