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アルカ  作者: 試作439
第一章 ~アルカ・ソフ・オウル~
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第十二節 51話 三日目~五日目

 斐氏神社の本殿に着くと、既にそこそこの行列が出来ていた。五十人は下らないだろうか。高齢者や子供が多い。一様に元気の無い人々を、斐氏神社の信徒さん達が元気付けている。

 先頭のほうに回りこむと、正装した那美がいた。額に金色のかんざしのようなものを着けて、いかにも神々しい装いをしている。思い返すと政府関係者などとの面会でも神社宗師っぽい毅然とした態度と服装をしていた。この姿だけを見ると、たしかに神様っぽく見えなくもない。見ただけで救いを感じる人もいるだろう。数週間前に太腿丸出しでマリウスを蹴りつけていたとは思えない堂々とした立ち振る舞いだ。

 瓶に入れた水をひしゃくで汲み、列の先頭から一人一人の頭に少しずつかけていってる。何やってんだろあれ。

「那美さん。こんばんわ……」

 あたしが挨拶すると、那美も頷いて返した。

 正直、今は那美と顔を合わせづらい。ユングが曼荼羅に黒いしずくを垂らした後、那美にだけは何があったのかを伝えておいた。那美はあたしに何も言わなかったが、あたしは自分がしくじったと思っている。交渉の失敗を咎められるのではと、心が萎縮してしまうのだ。

「あの、その水は?」

「裏山の滝の水だ。あそこの水は元々邪な物を清める効果がある上に、アルカが修行時に何度も浸かった。その時に枝も浸かっているはずなので、ある程度の澱みを祓う効果があるはずなのでな」

 ああ、すっかり忘れていた。そうだった。何度も禊の時に滝に打たれたっけ。

 枝の浸かった水に澱みを祓う効果があるっていうのは、マリウスの時に実証済みだ。マリウスを覆っていたナラカの殻を、枝を浸した水をかけただけでふやけさせることができた。

 あたしはその場でトウを開き、那美に水をかけられた人々をアルベドから見てみた。起きているので分からないが、たしかに普通の人よりは状態が良いような気がする。

「あの、例えば、枝を浄水場や貯水池に入れて、そこから一気に枝の神気を流し込むっていうのは……」

「さすがに意味が無い。滝の水は元々が神気を蓄えていた上に、アルカが何日も居た場所だから効果がある。ここの敷地の水だからここまでの効果がある訳で、アルカが水道水などから自力で澱みを祓う水を作ろうとしても、効果はかなり薄いはず」

「ですよね……」そうは問屋が卸さないか。

 あれこれと悩むくらいなら、まずは行動。あたしは那美を手伝った。水で澱みを洗い清めている間にも、次々に斐氏神社に車で人がやって来る。普段お参りなんてしそうに無い人も、こういう時だけは神仏に頼ろうとする。勝手なものだ。

 結局、列を作って並んでいた人々の倍以上は後からやってきた。全員の澱みを浄化させて、一先ずは危険な状態に見える人がいなくなった。喧騒も落ち着いた頃には、夜もかなり更けてきていた。

「あの、那美さん。ミコは今も家にいるんですか?」

「いや。なんでも、ケーキ屋でアルバイトをしている友達が倒れたとかでな。滝の水を持たせて見舞いに行かせた。珠理がついているので心配は無い」

「そうですか……」おそらく宍戸さんだろう。水があるのなら大丈夫か。

 ミコとはずっと喧嘩したままだ。手紙を受け取って読んだが、文面を見た限りでは未だに怒っているかもしれない。

 ただ、あれから世界が激変してしまった。今のミコならば、那美の言っていた事も全て信じてくれるのではないだろうか。そうすれば、必然とあたしの妖の枝についても理解してくれるかもしれない。

 どうしよう。このままミコが戻って来るまで待たせてもらおうかな。

 などとあたしが考えていると、那美が信徒から電話を受け取って話を始めた。しばらくやり取りを繰り返した後に、あたしに手招きをよこしてきた。

「アルカ。鰐丘病院の院長先生からなのだが、病院に不眠病の患者が溢れて大変らしい。手伝いに行ってあげてはくれないだろうか」

「あ、はい。分かりました」

 断る理由は無い。今のあたしに出来ることといったら、わずかでも人々に安眠を与えて澱みを浄化させることしか無い。

 あたしがその場を去ろうとした時、那美が手を掴んできた。真剣な顔つきだ。

「アルカ。この世界は、おそらく失敗した」

「……」

「私は死を恐れない。なぜなら、死後は末那識界を経由して、魂が再構築された後に前五識界へ輪廻転生するという法則を知っているからだ。斐氏神社の宗師の仕事として、せめて信徒達だけでも安らかに末那識界まで送り届けてやりたかった所だが、私には妖の枝が無い。だからといって、アルカにその仕事を頼もうとも思わない。アルカ。おまえはこの滅びる世界から脱出して、望む世界に行くが良い。また憧罷に苦しむことになるだろうけど、アルカは十分に報われて当然のことをした。私は君を責めないよ。今までありがとう。感謝している」

 それは、那美からの別れの挨拶のようなものだった。那美は既に、世界の滅亡が避けられないと核心している。ユングの体内に取り込まれて、世界を渡る覚悟が決まっている。

 そんなことはさせない、と、言ってあげたい所だが、あたしの口から声は出なかった。あたしには自信も確信も無い。

 ただ、那美の覚悟を目に焼き付けたまま、あたしは斐氏神社を後にした。



 世界の滅びが始まって三日目と四日目は、ほとんどの時間を鰐丘病院で過ごした。土曜日と日曜日にあたったのだが、時間と共に病院を訪れる患者数は増えて行き、ロビーから廊下、駐車場まで、ぐったりした人々が溢れ出した。やがてしびれを切らした人々は、自衛隊が救援支援している緊急避難所の公民館などに流れ出した。

 死者は一人も出ていない。しかし、街の至る所で事故や喧嘩が起こっていて、人々同士の暴行による怪我人が増え始めていた。特に酷いのが高速道路だ。WISSは人から人に空気感染するとのデマがインターネットで伝わり、市街から田舎に疎開する人が殺到したのだ。大臣が守ると言っていた社会インフラは早々にマヒして、警察も徐々に機能しなくなっていった。

「睡眠薬は飲まないようにして下さい。飲むと意識を失った数分後には心停止してしまいます。WHOは今も懸命にWISSの原因究明に取り組んでおります。この放送もいつまで続けることが出来るのか分かりませんが、ご覧の皆さん、どうか希望を捨てること無く冷静な対応を……」

 五日目の午前。テレビからは唯一頑張って放送を続けている国営放送のアナウンサーが、青白い顔で必死に話し続けている。民放のテレビ局は既に放送していない。いや、放送しているのだが、録画した映像を繰り返し流し続けるだけになっているのだ。現在は体力を残す個人のラジオ局や、インターネットで実況を続けている数人の放送が唯一の情報源だ。自衛隊は半ば機能していない。というよりも、WISSの重症化に伴い、精神の錯乱症状が現れ始めている。武装した人間の近くにいるほうがはるかに危険な状況だ。だが、治安崩壊の心配も今は無いだろう。既に満足に動ける人がほとんどいないからだ。

 あたしは必死で、人々の澱みを洗い流し続けた。既にアルベドには澱みを浄化する機能が無い。だが、枝を浸した水には、澱みを洗い流す力が不思議と宿った。その水にタオルを浸して絞り、倒れている人々を拭くだけで、わずかに澱みを祓う効果があった。顔を拭うだけで、倒れている人の苦しみが和らぐのが分かる。那美にはできないって言われてたけど、何故かできる。どうしてだろうと考えていて気付いた。枝が薄い金色に光っていたのだ。おまけに、あたしの魂も強く巨大に成長している。妖の枝は宿主の魂の成長と比例して強くなる。あたしでも気付かないうちに、枝も力を増していたのだ。多分、那美もあたしの成長を予測できなかったのだろう。

 だが、それでも世界を覆った澱みの幕をどうにかできると思えない。

 まだ、世界中で多くの人間が生きているだろう。だが、それもいつまで持つか分からない。

せめてAIの看護ロボットでも実用化されていたら良かったのに。

 インターネットにアップロードされた画像には、世界中の機能しなくなった都市の画像が貼られていた。

 ある国では教会に集まった人々が、跪きながら神に祈りを捧げ続ける姿が。ある国では宗教の指導者らしき人物を十字架に張り付けて、石を投げて殺害する姿が。

 南米のとある国の画像の中には、鶏舎から脱走した鶏の群れが、ネズミや猫、犬や羊と共に群れを作り、一塊の山のようになって身を守る姿もあった。

 あたしは病院だけではなく、街の複数個所にある避難所も渡り歩き、澱みを祓い続けた。ここまであたしの目が届く範囲では、一人の死者も出していない。

 中には体力のある人もいて、あたしが軽く首元を拭っただけで気力体力を回復する人もいた。外は十月の下旬。ずっと外にいると凍死もありえる。動ける人たちの助力を得て、街頭で倒れている人々を病院や避難所に運び、必死で看病した。

 昼過ぎになると、自衛隊員らしき一人が避難所横の特設テント下で料理を始めていた。

「配給食の缶詰めだけじゃ物足りないだろ? それに食材を腐らせるのももったいない。世界は酷い状態だが、こんな時こそきちんと食べて栄養補給さ」と、大きな中華鍋を振り回しながら、のん気に野菜炒めを作っている。

 香ばしい匂いが辺りに漂い、アルベドの異変の影響で不気味な空の色に覆われた避難所の駐車場に、避難者達の笑顔が浮かぶ。

「随分とのんびりしているのだな」

 その時、空気が震えた。

 鉛色の街の空全体を覆う黒雲が一点に集まり、澱みが黒く輝くナラカへと固まっていく。一瞬晴れた黒雲の合間から赤い夕焼け空が覗き、空に浮かぶナラカ、いや、ユングを赤く照らし出した。

 ユングは以前に見た黒龍の形を成していない。とりあえずはニグレドに現界できれば良いとでも考えたのだろうか、魂を横にしたような形をしている。

 それはまるで、空を翔る巨大な黒い馬のように見えた。

「広瀬亜瑠香。君はいつまでそのようなママゴトを続けるつもりなのだ?」

 ユングが声を出しただけで、周囲にいた数人が倒れた。

 あれは、だめだ。もう既に、以前に見た奈落のような禍々しさを放っている。気をしっかり保たなければ、あたしも意識を失ってしまう。

「何、が、ママゴトだってのよ」

「完全に救世主のママゴトだな。既に世界の八割以上の魂が澱みと一体化して、そろそろ収穫の時期に入る。抗っても無駄だよ。もはやこの流れは誰も止められない」

 八割……。気付かなかった。あたしの周りでは、それなりに活動できている人もいるってのに。

 頑張っていればなんとかなる。抵抗を続けると何かが起こる。

 そう考えて、あたしはひたすら人々の看病を続けてきた。

 ユングは七日で、世界は滅ぶと言った。今は五日目。正確には四日と二十時間ほどだ。百時間以上の時間が経過している。睡眠の質は人によって差異がある。アルベドが澱みを逆流させている現状では、熟睡できる人はゼロだろう。

 この状況が国連や科学者の手によって突然改善することは、もう無いのかもしれない。誰も頼ることができない。

「せめて、この街だけでも見逃してくれないかしら」

 顔を黒馬に向けているだけで力が抜ける。

 けど、ダメで元々、試しに言ってみた。

「それを私が見逃すとでも思うのかい?」

 黒馬が空に顔を向けて、ふっと息を吹きかけた。それだけで、空に浮かぶ黒雲が瘴気を増して、ニグレドにまで押し下げられる。

 う。あれは浴びるだけでまずい。

 あたしは体を丸めて蹲り、枝を使って必死に澱みの霧から身を守る。しばらく待つと霧が薄まり、さっきまで野菜炒めを作っていた自衛隊員の横たわる背中が見えた。それに気付いた時には、意識を保っているのはあたし一人だけだった。

「計画が遅れることは無い。そろそろ君も、最後の日の選択を考えておくと良い。皆や私と一つになるか、君は君のまま一人で世界を渡るか」

 ナラカの幕で形作られた黒馬が空に薄れて、それはやがて見えなくなった。


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