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アルカ  作者: 試作439
第一章 ~アルカ・ソフ・オウル~
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第十一節 47話 〇〇〇の知る歴史 2

「一九〇二年。コミュニオンとクルーチスの世界支配体制に異議を唱えたフロイトは水曜会を設立する。両組織の和議に貢献すると同時に、アルベドを守る中立的第三者機関としての役割を担うようになる。当時既にアルベドロードとしての才能が開花していた私は、澱みを抱えた患者の治療を進めつつ、フロイトとの親交を深めていった。思えばここが、私の人生において最も幸福な時期だったよ。精神を病む患者をアルベドから夢を操作して救済しつつも、私は常に孤独だった。私の思想や能力を理解してくれる人が存在しなかったためだ。しかし、そんな時にフロイトと出会った。彼は私の能力を理解しており、人格、理念、思想、全てを肯定してくれた。やがて水曜会の存在を知り、私は協力することに決めた。一九一〇年、スイス精神分析学協会を設立。翌一一年には私が初代会長に就任した。しかし、そこで私は運命の選択を誤ることになる。フロイトがアルベドの存在を世界に公式発表して、規律と抑止を強化するべきだと主張したのだ。その提案を私は確かに正しいと思えた。しかし、生来のアルベドロードとして生きる私は、全てを公表してしまうと人体実験の対象にされてしまうと思い込んでしまったのだ。正義を忘れ、己を正当化して、保身に走った私は、フロイトの提案に反対した。私と彼の諍いは、やがてスイス精神分析学協会の組織としての弱体化を招くこととなる。それは世界のバランスを失わせる引き金となってしまったのだ。一九一四年五月、私は協会会長の座を辞することになる。その一か月後、サラエボ事件が起きる。第一次世界大戦の幕開けだ」

 目の前には、ユングの説明通りの世界がコロコロと現れては消え続けている。黒の書に描かれていた絵と同じ筆致で、それらは地獄の絵画展といった様相だった。

「かたや植民地からの魂魄収集、かたや世界展開させた病院組織からの魂魄収集。コミュニオンとクルーチスが支配していた世界にとって予期しなかった世界大戦の勃発は、両組織にも疑心暗鬼の根を植え付けた。彼らにとって、統制の効かない世界ほど恐ろしい存在は無かったのだろう。それぞれの組織も急速に弱体化が進み、世界は混沌に飲み込まれて行く。私は大戦勃発と同時期から、黒の書を書き記し始めた。君も既に察しているかもしれないが、あれはコミュニオンとクルーチスの犯罪履歴の手記だ。既になす術の無い世界となっていたが、私にできるのは記録くらいだったのでね。後悔しながら壊れ続けるアルベドの光景を描き続けた。しかし、膨れ上がり続ける死者の澱みは、アルベドの浄化速度をはるかに超えて、私の魂に蓄積され続けていった。死者といっても、第一次世界大戦の戦死者九百万人のことではないぞ。億だ。戦死者や非戦闘員の死者の澱みだけではない。水曜会の弱体に始まった争いは、コミュニオンとクルーチスの暴走により、異世界から未知の病原菌を持ち運んで来たのだよ。そう。スペイン風邪だ。コミュニオンの聖人がもたらしたテクノロジーは、何も殺戮兵器だけではない。故意か無自覚か分からないが、大戦は世界規模のパンデミックまで引き寄せてしまったのだよ。全てが私の責任だ。私の身勝手な主張が、億を超える死者を生み出してしまった」

 目の前のユングが、嘆きながら過去の世界を呼び出した。水溜りのような枠の中には病気で痩せ細った死体の山が映し出されている。

 それは、違うと言いたい。

 どう考えても悪いのはコミュニオンだと思う。

 ただ、パンデミックがわざとじゃなかったとしたら。戦争を終わらせたい、味方を守りたいと願って、アルベドから新兵器のアイディアを調達してきた。その時偶然に、未知のウイルスまでも持ち込んでしまった、なんてことも考えられる。一節では、スペイン風邪の発生が第一次世界大戦の終結を早めたとも言われているし。

 自分の身を守りたいと考えたユングの気持ちも分かる。時代はまさに狂気の時代。化学兵器のために人体実験が平然と行われ続けていた頃だ。逃げたくなるのも当然。

 医師として才能を活用し、人助けを続けていたユングと、今のあたしの思想には、大した差は無い。時代が違い過ぎただけだ。

 ただ、そんなあたしの思考を口に出すのも憚られるほど、目の前のユングは不安定な様子をしている。

 億を超える人の澱みを身に宿す。

 転移といったっけ。

 妖の枝を身につけたあたしには澱みは転移しないが、魂が成長したタイプのアルベドロードには厳しいはず。

 正気を保てるわけがない。

「私は浄化の追い付かないアルベドに溜まった澱みを、己の魂に集めては奈落へと行き捨て続けた。やがて少しずつアルベドも澄み渡り、本来の姿を取り戻していく。その頃には、私の精神は既に分裂していたのだろう。ただ後悔だけが私を動かし続けていた。そんな時、関東大震災が起きた。東洋にそれほど興味の無かった私はアルベドから探知して、そこで初めて私と同格のアルベドロードが日本にも居たことを知ったよ。二宮セツ。数世代前の斐氏神社の宗師。彼女も優れたアルベドロードであり、妖の枝の保持者であった。不慮の死を遂げた魂の救済を行う彼女を見つけた時、黒の書に描き留めて終えるだけではなく、もう少し日本についても調べておくべきだった。日清戦争と日露戦争。二つの大国に連勝した日本の陰には、彼女の支援があったのだと気付き、先に手を打っておけば、更なる大戦を誘因させることにもならなかった。そう。第三帝国の隆盛だよ」

 ユングの脇に、軍隊の行進風景と、それに敬礼する独裁者の姿が現れた。

「有名無実化して、名前の通り単なる精神分析学の集団と化した水曜会と、第一次大戦により弱体化したコミュニオンとクルーチス。ここに旧ローマ帝国のコミュニオン残党が割り込み始めた。ファシズムを標榜する彼らは巧みに大衆を扇動して、支持を集め始める。同時期にナチスドイツもアルベドの存在と利用法に気付いた。既に優れたアルベドロードを抱えて活用していた日本も加わり、世界は大戦前夜の様相を呈し始めた。そんな時だよ。我が師、フロイトが無念の死を迎えたのは。当時のコミュニオンとクルーチスは、完全に連合国側の中枢に入り込み味方していた。そこで、ナチスドイツはフロイトに対して枢軸国側に加わるよう強くアプローチを繰り返し、アルベド研究に協力するよう強く迫った。しかし、フロイトは再三にわたる誘いを断り続けた。業を煮やした独裁者はフロイトに対する憎しみを、彼の同胞であるユダヤ人へと向け始めた。民族に対する迫害が激しくなり、母国オーストリアが侵攻され、彼の娘が拉致されるに至り、フロイトは自分が死ねばナチスドイツはアルベド支配を諦めて、ユダヤ人への迫害を止めると考えるようになった。晩年の彼の魂は絶望に打ちひしがれていた。私にできることは、せめて彼が安らかに眠ることができるように祈るだけだった。彼の死と同時に私は誓ったよ。初心に返り、彼が心の底から願い続けた全ての魂の開放と自由を必ず成し遂げる。そしてコミュニオンとクルーチスを滅ぼすだけではなく、彼の晩年に失意と絶望を与えたナチスドイツ、それに味方した枢軸国の面々に罪を償わせると。以来私はユングの精神から完全に分裂して、世界の陰から戦い続けた。ナチスドイツは実際にかなりの知識を有していたよ。侵略地の人間で人体実験を繰り返して研究を進め、全ての書物を焼き、世界への隠ぺいも完璧だった。要となる瞑想や浄化の知識は持たなかったが、奈落に関する研究はとても進んでいた。放置しておくと勝手にコミュニオンとクルーチスを滅ぼしてくれるとも思えたが、それでは私自身の手でフロイトの受けた屈辱を晴らすことができない。そこで私は復讐を優先した。連合国側にアルベドから見つけてきた情報を与え続けて、第二次世界大戦を終結へと導いた。それはコミュニオンとクルーチスに利する行動となってしまうが、二度の大戦により両組織の人材も随分と減り、その全容が小規模であるということも確認できた。以降は両組織にインプリンティングを刻んだストゥ君やマリウス君のようなスパイを作り、初期の大義を忘れたかつての水曜会のメンバーの子孫にもインプリンティングを植え付けて水曜会を復活させた。そして情報を集めつつ、私でも未だに気付かずに存在している聖人やガーゴイルの所在を調べ続けてきていたのだ。一網打尽に潰して、捕われている魂を開放するためにね。それがマリウス君の暴走ひとつで、全てが瓦解してしまった。逃げ出した聖人や持ち逃げされたガーゴイルに封じ込められた人々の魂を開放する狙いは、今回の件で全て無に帰してしまった」

 復讐。うん。

 大義というか、筋は通っている。気がする。

 ユングは後悔している。フロイトと袂を分けた事を。

 ただ、あたしとしては、ユングの気持ちも良く分かる。アルベドを理解できる者同士として。

 アルベドロードを理解出来る者はアルベドロードだけだ。

 あたしも同じ時代に生きていたら、ユングと似た人生を辿ったかもしれない。純粋に人助けをしたいって気持ちはかなり似ている。

 だが、決定的に違うのは、アルベドロードとしての能力。妖の枝は澱みをちっとも吸い付けないが、枝の無いユングは魂に吸い入れてしまう。結果、精神が分裂したと。

 人間一人が抱える澱み。あたしは安上さんを始まりとして、多数の人の澱みを浄化してきた。枝を動かしている時は魂も自然とアルベドにあるので、人の澱みを直に魂に浴びたこともある。あれはきつい。負の想念の塊が直撃すると、息が詰まって頭が揺れる。

 それを、億単位で浴びてきたら。

 精神が病むのも当然だ。そりゃ魂も砕かれるって。

 以前にも聞いたことがある。アルベドロードは澱みを吸収しやすいと。

 ユングがナラカを身に纏っているのは、新しい澱みに触れることも無くなるからってのもあるんじゃないだろうか。

 同情はする。でも。

「だからといって、今の斐氏神社を襲うのは酷いんじゃないですか?」

「……」

「あなたの話の通りだと、二宮セツさんでしたっけ、斐氏神社の宗師だった方は、フロイトやコミュニオンとクルーチスの争いには直接関係していません。たしかに、ドイツやイタリアと同盟を組んで枢軸国側に立った日本はあなたの恨みの対象だったかもしれないけど、それも日本の敗戦で禊は済んでいるはず。だったら、今頃烏さんを殺す必要は無かったんじゃないですか?」

「……恐怖だ」

「え?」

「私は恐れたのだよ。既に死んだと思っていた二宮セツの子孫が生き残っていたという事実に。私のインプリンティングは、魂にサインを刻むことにより、人生の行動を縛りつけつつ、死した後に操ることが出来るようになるというもの。インプリンティングを受けた者の記憶を回収するのは、サインを引き剥がした時だ。つまりは、あの時マリウス君からサインを回収した時に初めて、斐氏神社がかつて戦った因縁のある相手だと気付いた。滅ぼしたと思えた相手が生きていた恐怖と、情報を集めなければならないという使命が、彼女を殺害させた。結果、彼女の魂の欠片から君の妖の枝について知る事もできたがね」

「そんな強弁、通るわけがないでしょう」

「強弁ではない。それに、斐氏神社の者を抹消することは、確認を怠った私自身へのけじめでもある」

 けじめ。そういえば、隔離施設でも何度か言っていた。

「けじめって何のことよ」

「裁きのけじめだ。狙いが逸れてしまった。そのけじめだ」

 何のことかさっぱり分からない。彼は何を言いたいんだ?

「君は、斐氏神社が開宗したのは、この地ではないという話を聞いたことは無いのか?」

 それなら聞いたことがある。戦争で焼け出されて、鰐丘で森崎議員が新しく場を設けたと。

 あたしは首を縦に振った。

「マンハッタン計画という言葉を知ってるか?」

「?」

 聞いたことある気がするが、すぐには思い出せない。あたしは首を横に振った。

「一九三九年九月二十三日。フロイトは失意のどん底の中、薬物注入により息を引き取った。彼の魂がアルベドに無事還ったのを見送った後、私は行動を始めた。十月十一日、アメリカ大統領ルーズベルトの元に、一通の手紙が届けられる。それはアインシュタイン博士の署名が入れられた手紙だった。内容はウランによる新型爆弾の製造を上申するもの。そう。核兵器だ」

 くらり、と、頭が揺れた気がした。

 まさか。

「私は予期していた。アルベドロード二宮セツを擁する日本は、必ずや最後まで立ち続けて、私の復讐の邪魔をしてくる。倒すためには彼女が予知すら不可能な意識外からの圧倒的火力による攻撃しか無い。そう考えて先手を打っておいたのだ。十六歳にして夢の世界で相対性理論を解き明かした優秀なアルベドマスター、アインシュタイン。私はアルベドから彼に夢を見せて、核兵器製造の知識と正当性を植え付けた。アインシュタインは私の思い通りに動いてくれたよ。第二次世界大戦はほぼ私の計画通りに事が進み、斐氏神社とその分霊があると言われた広島と長崎への核兵器投下で終わりを迎えた。斐氏神社は当時は曜司神社という名だったな。あやかし、妖怪の『ヨウ』を曜日の曜に、枝の『シ』は司るという漢字に変えられていた。当て字とは日本語独特の優秀な技法だね。おかげで逃げ延びた者もいたことにさっぱり気付けなかったよ」

 B29から投下された原子爆弾の作ったキノコ雲が、ゆっくりと薄れていく。

 テレビでも見た事のある光景だが、視点が低い。

 これはつまり、ユングの視点だ。ユングが原爆を投下する瞬間を、アルベドを通して直に見ていたのだろう。

 エノラ・ゲイと書かれた機体が、悠然と広島市街から遠ざかっていく。


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